《雅羅・/・ 襍囈〝年越し〟風習 ❖ ’24-14 ❖》

東京上野の国立博物館の正月飾り(小正月まで飾っている)。
護国院「大黒天」境内の手水舎にあった繭玉飾り。
一般には見掛ない風情(首都圏)。


久し振りの里地・里山。
森を横断している国道246号線。すぐ脇には厚木飛行場がある。

森の半鐘蔓の種子がひとつ、ひっそりと魅せてくれた。
伝統的行事は、継続して欲しいと思った一瞬だった。
《 未見の正月飾り;一月十四日の散歩 !!》
 陰暦で、一月一五日を小正月・十五日正月等と云われ伝わっている。
その前日を年越し(お晦日?)と祝い、「十四日年越し」と呼んだ。
元日から七日までを大正月、十五日を小正月と正月の終わりを意味する。
昔はこの小正月までが松の内であり、門松を飾っていたのだが、
江戸時代の徳川幕府の命により1月7日までが大正月と決めてしまった。
6日の夕方に門松やしめ縄を取り払う事で、「6日年越し」と言った由。
だが、この大正月慣習は関東地方以外では広まらなかったようだ。
今でも関西地方では、小正月まで門松を飾る所が多々あるようだ(未見)。
また、小正月は大正月とは違い、豊作祈願など農業に関する行事が多い。
正月の終わりとして6日又は、14日の夕方をもって門松を外す。
この事象を「松納(まつおさめ)」と表現されている。
「松上がり」「松倒し」「松送り」「松直し」「お松払い」等とも言われる。
1月15日の小正月の前日にあたる14日は年越しの日とされ祝っていた。
年越しと云えば大晦日だが、1月6日、1月14日なども大晦日行事があった。
「6日年越し」「十四日年越し」と呼ばれ伝わっている。
とはいえ今では、小正月の習慣がすたれ、十四日年越しの習慣も消えた状況だ。
元々、一月十四日は団子小正月(陰暦正月十五日)の前日十四日を年越しの日として祝った。
餅花を作り祝ったり、団子や前年の初穂を農神に供えたりする。特に農村で行われた行事でもあった。
小正月は旧暦の正月、1年の最初の満月にあたる1月15日とされていた。
太陽暦が用いられるようになり、行事も習慣も変化してしてしまった。
又、小正月は女正月とも言われ、地域によっては女性の骨休みの日とも云われる。
暮れから正月に掛けて多忙に扮した主婦を慰労、ねぎらう意味があるとか。
更には、農作物の豊作を願う行事ともされてきた。
お餅をまゆの形に作った「まゆ玉」を神棚にお供えしたり、
竹柳の枝先を稲の穂たれに例え門前や家の中に吊るすという風習もある。
農作物の豊作を願う行事でもあるのが小正月の特徴か。
*       *       *
先年末から年始、私ごとでもせわしく過ごした。更には災害等、絶句の日々。
私的には一段落し、14日の午前、近間の里地を散歩した。
“シモバシラ”が見られるかも、と楽しみにしていたが見れなかった。
散歩中にハンショウズルの綿帽子がヒトツだけ眼を楽しませてくれた。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月14日、記」

People Who Wowed This Post

×
  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account