星の見えない夜に
Feb
14
タカマ那智の曲だなぁと。
今までずっと、那智→颯太の曲として
聴いてたけど。
案外、タカマ那智→中ツ那智でも
成り立つかもしれない。
闇に囚われたタカマ那智の曲だと考えれば、
いろんな想像が広がる。
僕がずっと前から思ってることを話そうか。
Feb
14
こうも変わるんだなぁと。
なんかこれ、中ツ那智からタカマ那智への
祈りみたいだ。
――届けば、いいな。
闇夜に咲く花
Feb
14
あとは、これをどうやって届けてどう活かすのか。
制作過程をいろいろ呟いている割に、
全然アップしてなくてごめんなさい……。
いずれそのうち、
複数話まとめてアップすることになると思います。
どうかそれまでお待ちくださいませ……。
踊り子(ドール)の見る夢
Feb
13
ああ、あれも自分なんだと、
同じになれないけれど同じなんだと、
そう気づくことで救われたけど。
タカマ那智の場合は、
同じだということをわかった上での闇落ちだから、
どうやって浮上すればいいのかがわからない……。
物語上、中ツ那智の存在が鍵になるのは、
決めてたことだけど。
でも、それは今じゃない。
そこに辿り着く前に、
タカマ那智自身が浮上しなきゃいけない。
どうすればいいんだろうなぁ、マジで。
Mirage
Feb
13
この展開はもう何年も前から考えていたけど。
肝心の、闇落ちした那智を
どうやって掬い上げるかを考えてなかった(苦笑)
ここを乗り越えないと、物語全体が壊れる。
現状、圭麻ママの慰めや説得も、泰造パパの叱咤激励も、
颯太フィアンセの愛の言葉も、
届かないところへ行ってしまわれている……。
それほたで描いた「奇跡」は廻り舞台では使えないし。
なんとなく、
中ツ那智はタカマ那智のことを、
「同じになりたくてもなれない異質な存在」として
捉えていた気がするんだけど、
タカマ那智の場合は、
そこまではっきりとした境界がない気がする。
だからこそ、「自分」を責める気がする。
そしてだからこそ、浮上できない……。
う~ん。どうしよう。。。
わずかな嘘とひとつの真実
Feb
13
「嘘」というほどのものでもないのだけど。
あえて肝心なところを端折って話す颯太と、
その不自然さに気づいてしまう仲間たち。
そして、思わぬ形で「真実」を知ってしまった那智と、
彼女を支える仲間たちの様子を、
この曲を聴きながら書いてた。
……ということを書いている最中に
地震が起きた。
4階なので、結構揺れを感じましたが、
大丈夫でした。震度は3でした。
最大震度6強、
揺れも広範囲で心配ですね……。
皆さまのところは大丈夫でしょうか……?
カルピスウォーター
Feb
8
最初の配属先で、路頭に迷い、「自分探し」に奔走した。
2番目の配属先は、
電話に出ただけで、名乗っただけで、
同業者から非常勤だと間違われる、
それほどまでに男社会の職場だった。
伝家の宝刀引っ提げて、
北風と太陽を使い分けて、
とある目的達成のために働く、
ちょっと特殊な仕事だった。
特殊な仕事だったし、
すごく男社会だったけど、
だけど案外、ワークライフバランスは
保ちやすい職場だった。
今となれば、「天国」にさえ思えてしまう、
そんな職場だった。
3番目の配属先は、
私がずっと興味を持っていた職場だった。
やりたいと思っていた仕事だった。
だけど、いざやってみたら、
思ってたのと違うことがたくさんあった。
失恋の痛手も癒えていない頃で、
仕事でも無力感が強くて、上司に怒鳴られまくって、
自己肯定感はズタボロだった。
だけど。
その配属先で3年間、
「晴天」を夢見て、「晴天前夜」を何度も聴いて、
何度も泣きながら、けれどがむしゃらに働いているうちに、
「評価」されるようになった。
私の実績を認められるようになった。
後輩もできて、彼女はまるで、
ほんの少し昔の私みたいで。
懸命に頑張る姿が、
自分は力不足だと落ち込みながらも、
懸命に頑張る姿が、
少し前の自分を見ているみたいで。
だからこそ、丁寧に教えていたのに、
ちょっとずつ成長していく姿が嬉しかったのに。
頼もしかったのに。
寿退社を告げられて、
まるで裏切られた気分になって。
相手には何の非もない、
私の勝手な醜い感情。
そのやり場がなくて、
「泥中に咲く」をよく聴いていた。
ヨルシカをよく聴いていた。
やり場のない思いを抱えながらも、
ここを出れば、きっと充実した生活を送れるはずだと、
私も「幸せな家庭を持つルート」に踏み出せるはずだと、
そう思っていた。
だから今はここで頑張ろうと、
踏ん張ろうと、そうやって頑張って、
私は「評価」を手に入れた。「自信」を手に入れた。
やがて私は、惜しまれながらも異動した。
「これからはプライベートを充実させてください」と、
そんな上司の言葉を餞に、今の部署に異動した。
だけど。
プライベートの充実なんて、
夢のまた夢だった。
私にとって、「幸せな家庭を持つルート」が
いかに遠いかを知った。
今の配属先に来たことで、
余計に遠ざかった気がして、辛くて辛くて何度も泣いた。
なんで私はここに来たんだろうと、
絶望に絶望を重ねて、心身に異常をきたしかけた。
何度も絶望を繰り返し、
そして悟った。
私にはこの生き方しかないんだと。
何だかんで、結婚は博打だと、出産も博打だと、
そんな風に思ってしまうのは私自身だ。
それよりはまだ、
仕事の方が、真っ当な評価を得られると、
そんな風に思っている私がいる。
今の部署は一刻も早く抜け出したいけど、
抜け出したからって、楽園が待っているわけじゃない。
組織の末端で疲弊するよりは、
中枢に行きたい。
それは私にとって、
決して楽な道ではない。
だけど、「楽だと思っていた道」が、
楽じゃないことを知った。
「憧れていた道」が、
果てしなく遠いことを知った。
手が届かないくらい遠くて、
無理に手を伸ばせば、凄まじい反動を食らうことを知った。
だから、「夢」見ることを辞めた。
「現実の道」を歩くことにした。
私にとって、実現性の高い道。
他の道に比べればまだ、可能性のある道。
そんな私が今聴いているのが、
この曲だ。
徒花の涙
Feb
7
性差別の根強い社会なのか。
森会長の発言により、
世界的に知れ渡った気がします。
発言の一部をマスコミに
切り取られたものだけではなく、
前後の文脈も含めて、
彼の発言を読みました。
前後の文脈も含めた彼の言葉に対し、
「このどこが問題なんだ」と、
マスコミが意図的に切り取って
悪意のある報道をしただけだろうと、
そう主張する意見もいくつか読みました。
確かに、前後の文脈も含めて読んだら、
だいぶ印象が変わりました。
女性の数を増やせば
それでいいという問題ではない。
むやみやたらに数だけを
増やせばいいという問題ではない。
その点については、大いに賛同します。
ただ。
どうして、社会に参画する女性の数が
少ないのでしょうか。
上層部に、「幹部」と呼ばれる地位に、
「委員」と呼ばれる役職に、
女性が少ないのでしょうか。
人口に占める割合は、男女ほぼ同じで、
どちらかというと、女性が少しだけ多いというのに。
それを理解せずに、
数だけを増やそうとするから、
こういうことになる。
数を集めればそれでいいわけではなく、
質が大事なのは、男性だって同じです。
議論が活発なのは非常に良いことだし、
主張を簡潔に述べられるかどうかは、
男女の差異ではなく、個人のスキルの問題です。
女性が社会に参画できないのは、
そういう生き方を選べないからです。
幹部になれないのは、
組織の中枢に入れないのは、
そういう生き方を選べないからです。
一人の男性が、「夫」の地位と、「父」の地位と、
「幹部」の地位を手にすることは、
ままあることだけど。
一人の女性が、「妻」の役割と「母」の役割と
「幹部」の役割をこなすのは、
非常に難しいからです。
今の日本社会で、女性に幹部になれということは、
「社会で活躍しろ」ということは、
一部のスーパーウーマンを除き、
「家庭を捨てろ」と言っているも同然です。
そんなこと、できるわけないから、
だから、多くの女性は家庭を選ぶんです。
それしか選べないから、
だから社会に出れないんです。
社会に出ても、
低い地位に甘んじているんです。
以前、ネットでこのような話題を読み漁っていた時、
どなたかがおっしゃっていました。
そんなにも女性幹部を増やしたいなら、
結婚も出産も禁止すればよいと。
そして、そんなにも少子化を食い止めたいなら、
女が社会に出ることを禁止すればよいと。
大いに頷いてしまいました。
結婚も、子どもを持つことも、
社会的な地位を得ることも、
男性はできるのだから。
一人の男性が、それをなし得ることは、
ままあることなのだから。
「レディースデイ」の存在くらい、
大目に見てほしい。
でも、そんなことを言えば、
批判が渦巻くのだろうな。
でも、それくらいのささやかな希望がなければ、
女性は生きていけません。
女性にとって、結婚や出産と、
バリバリ働くことは、
全く別の線上にあるんです。
同じ線上にあるように見えて、
実は全く別の線上にある。
専業主婦と、ワーキングマザーと、
バリキャリは、全く別の生き方なんです。
同じ道の上にある複数の選択肢ではなく、
全く別の道に存在する、
それぞれの通過点であり、
選ぶしかない唯一の道なんです。
にも関わらず、
家庭に入ることを選んだ女性に、
家庭を優先することを選んだ女性に、
社会で「活躍」することを求めることは、
全く別の人生を歩めと言っているのも同じことです。
今の人生と全く別の人生、
ふたつ同時に歩めと言っているのと同じことです。
逆に、社会で活躍することを選んだ女性に、
家庭を持たずにバリバリ働いている女性に、
「どうして結婚しないのか」と、
「少子化問題について議論する暇があったら、
あなたが子どもを産めばいい」と、
そんな言葉をぶつけることは、
それと同じくらいの暴挙です。
そのことを全く理解していないから。
全く理解せずに、
「女性」を主語にして論じてしまうから。
無理やりに数を増やそうとしなくても、
実力社会に生きる男性に対して、
女性は実力の有無に関わらず、
本人の希望に関わらず、
選べる道が限られてしまうから。
それを理解せずに数だけを増やそうとすれば、
そりゃ、質的な問題も出てきてしまうかもしれない。
もっとも、会議に要する時間については、
発言者の質の問題だけでなく、
時間をかけて議論すべき内容に対して
必要な時間を確保できていなかったり、
会議の趣旨や目的が明確になっていなかったり、
議事進行がうまくなかったり、といった、
運営する側の問題もあると思うのだけど。
問題の本質を見ようともせずに、
「女性」を、「女性」だけを、
主語にして論じないでほしい。
設定に裏打ちされた説得力
Feb
6
「天気の子」、何やらいろんな細かい
裏設定があるようだけど。
裏設定ってさ、
作中では少ししか描けなかったけど、
実はこんな細かくて深い設定があるんだよっ!すごいでしょ!?
……って言うためのものではないと思うんだ。
まあ、作者しか知らない設定を、
読者や視聴者に言いたくなる気持ちはよくわかるんだけどさ。
でも、裏設定って、
そのためにあるわけじゃないと思う。
物語の舞台や登場人物の
骨格や肉付きを決めるための設計図。
その世界が、その人物が、
リアリティを持って息づくための、
細かなプロフィール。
それが、裏設定じゃないの?
その設定が実際の物語の中で、
どの程度反映されるかは、
諸事情により異なるだろうけど。
でも、作中に「裏設定のヒント」を散りばめて、
「どう?君は見つけられた?」、「ね?すごいでしょ!?」って
言うためのものじゃないと思うし、
それを見つけて喜んでるファンの心理も
あんまり理解できない。
……いや、かくいう私も、
神木くんの声に気づいたときは、
ちょっとした「発見!」って感じで
嬉しかったけどさ。
あ~、なんか「君の名は。」のキャラデザと
めっちゃ似たキャラ出て来たな、
あれ?声、神木くんじゃね?ってなって、
ネットで調べたら「似たキャラ」じゃなくて
同じキャラだった(笑)
確かに表札、「立花」だったね(笑)
三葉も出てると知って探したら、
確かにいたし(笑)
あと、何やら四葉もさやちんもてっしーも
いたとかいないとか(笑)
なんつーか、
そういう細かい枝葉部分に力を注ぐんじゃなくて、
もっと本筋に力を注いでほしかった。
ってか、そういう枝葉部分は、
本筋をしっかり描いた上で、
余力で行う「お遊び」としてやってほしかった。
世界観に、人物像に、キャラの言動に、
説得力を持たせるためにあるはずの設定が全部、
中途半端なお飾りになってしまっている。
作中では描かれていない裏設定を読み解くための
ヒントに成り下がっている。
だから、全く説得力を感じない。
だから、全く中身がないように感じる。
どんなに緻密に練られた裏設定だって、
それが物語の説得力を高めるのに
寄与していないとすれば、
リアリティを高めるのに
寄与していないとすれば、
それはないのと同じなんじゃないかな。
映画という限られた時間枠の中で、
そんな細かい「裏設定のヒント」、
描く必要ありますか?
それよりももっと、
描かなければいけないこと、
いっぱいあった気がするんだけど。
素材が良いだけに、
映像がすっごく綺麗なだけに、
なんかめっちゃもったいないんだよなぁ。
新海監督、
あなたにできることは
まだいっぱいあったと思います。
謎と必然性のバランス2
Feb
5
そういう意味ではさ。
大河「麒麟がくる」は大成功だと思うのよ。
「光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか」という
歴史上の大きな謎を、
丁寧に描き切ろうとしているわけだから。
宴の席での信長による
公開パワハラは有名だけどさ。
でも、この物語ではずっと、
「信長様であれば、麒麟を連れて来れるかもしれぬ」って
流れで来てたわけじゃない。
それが、いったいどこから
二人の歯車が噛み合わなくなってしまうのか。
いったいどうして、
長谷川光秀が染谷信長を殺すに至るのか。
その過程を追うのが、
すごくおもしろいんだよね。
途中、オリキャラ出過ぎで批判もあったけど、
オリキャラのパートを飛ばして見てた視聴者もいるけど、
それでも見放さずについてきた人、
けっこういるわけじゃない?
それってやっぱり、この世紀の謎を、
この作品ではどう描くのかを、
見届けたいからだと思うんだよね。
だから、「謎」を謎のままにして物語を展開し、
最後まで視聴者を惹きつけることは、
すごく重要なことだけど。
それをするためには、
起承転結の「起」から「転」に至る過程、
つまりは「承」を丁寧に描く必要があるんだよね。
それなしに、矢継ぎ早に
「転」と「結」をやられても、
わからんのだよ。
大げさな例を挙げるとすれば。
信長との初対面時に、
「信長様ならば、麒麟を連れて来れるかもしれぬ」って言って、
その日の夜に、「膳が違うっ!!」と公開パワハラを受けて、
翌日に本能寺の変を起こして、その次の日に秀吉に敵討ちされる、
そんな、「3日天下」ならぬ、
「3日物語」みたいな状態じゃあ、わけわからん、って話です。
感動も何もないだろ、って話です。
どうして、信長ならば麒麟を連れて来れるかもしれないと、
思うに至ったのか。
そして、そう思ったにも関わらず、
信長も光秀を重用していたにも関わらず、
どうして二人の間に溝ができたのか。
そしてそれがどう、
本能寺の変に発展していくのか。
そこら辺を描かないと、
視聴者は置いてけぼりを食らうわけです。
そして、それを丁寧に描いているからこそ、
少しずつ、少しずつ謎が解明されていくからこそ、
微妙な心情の変化がわかってくるからこそ、
最後まで見たいと思うんです。
それなのに、貴重なパーツを
うまくつなぎ合わせようとしないどころか、
単なる「雰囲気作りのための小道具」として
かき集めて使い捨てにしてたんじゃあ、
「雰囲気だけで内容の薄いミュージックビデオ」と
酷評されても仕方ないと思う。
- If you are a bloguru member, please login.
Login - If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account