信号が
(●)(○)
変わりますとパッポウが鳴く
ここはどこの
ふかい海峡
ゆらり曲がる
函館元町十字街
レールをゆく深海魚
ゆけるまでしかゆけない愛しい市電
とける太陽をゆっくり光らせ
(あとは知りません
旧家の娘が
幻のドックでスカートをひるがえす
金森商店の土蔵で
真鍮の円筒オルゴールが止めば
うしろの静か
(つぎ 止まります
家族そろって おもてなしに
函館梁川町電停前
いつでも どこでも
洋食のからす亭
婚約者たちの ナフキン
きつね色したエビフライの赤い尾
半音あがり
パッポウも鳴いて
イルカ 原潜 十和田丸
御用のないもの
めずらしそうに集まってくる
2012年春
ある日、別居中だった夫のアパートを朝帰りの女のように、
そっと出ると、ふいに女の耳には駆け寄らずにはいられなく
なる、ある種の高い音域に捉われて、私は小走りした。
タンポポが咲く駐車場と、子供の姿をみない高層マンションの
広場の角を、急ぎ越すと視界の中にバサバサした綿屑のよう
なものが飛び込んできた。見るなり「手で掬いとり口許に寄せ、
二本指でそっと撫でるのよ」、間髪入れない感情が、鳥肌を立
てていた。
巣から落ちた子雀は、無方向に鳴いては飛びすさり、止まって
は一層鳴いていた。梢のように赤みある、細くけなげな脚は片
方折れていた。チョンチョンと跳ねて、まだ飛び立てもできず、
バサバサと羽ばたき、地面に傾き、ひきずる羽を、うまくも畳
めず、ぶざまに、ただ、鳴くだけだった。
(拾って、後、どうする)という考えがよぎると、子雀が一層
ひどく、這いずり回りだしたような気がした。子雀の方に、自分
の影を、ゆっくり近づけ、黒い塊を、横からおおいかぶせた後、
見もせずに通りすぎた。
それから二ヵ月ほどした、かんかん照りの休日、自分のアパー
トを出ると、路地の四つ角で、大きな青虫がのこのこと這うの
に出くわし、ぎょっとした。あまりにも鮮やかなマットの黄緑
色で、節ごとに黒く四角い模様が二つずつ並び、頭の先の五、
六本の髭が触覚なのか、左右に振り振り黙々と進んでいた。
このままでは、干からびるか、車に轢かれる。なんとかしなく
ちゃと心が焦った。いやそんなことよりも、アスファルトに突
然あらわれた、鮮やかさの、なまなましさの、この無防備さに、
慄いているだけなのかもしれなかった。枯れ葉を青虫の前に置
き、進行方向を庭の有る家へ向けようと、思いついた。
一度目は無視された。二度目、枯れ葉にかさりと、足がのると、
方向が変わった。いいぞと三度、四度とするうち、ぎくりとし
て立ち上がった。これは罠に誘うのと同じじゃないか。
私は、枯れ葉を捨て、遊びともつかないことを止めて、歩きだ
した。その時、車がカーブを切って、私の枯葉によって進行方
向を変えた、まさに其処へと進入してきた。
電柱の脇、かんかん照りの側溝の近く白っぽく汚れて糸をひい
たものの先に、わたひの影はとても短かった。
2011年晩秋
扇状地を
いくつもの河川が
夢みる侵入のように蛇行し
とり残された三日月湖は
緑のまま、まばたきもしなかった
わたしたちは声を失って
人形(あのこ)は何も映さない瞳になって
人形(あのこ)は後ろに首をかくんと折れて
花は冷えて
人に愛されなければ
人に畏れられなければ
この世にはなにひとつ存在しないんだよ
明け方の夢を
おさないこころと
クローバーに編んで
人形(あのこ)と人形(あのこ)の頭に載せた
くつがえされた玩具郷が
二人遊んだ湾岸都市に
うっすらと埋もれている
人形(あのこ)はあくびし
人形(あのこ)は眠る
ついたら起こしてね、と瞬(またた)いて
2011年初夏
廃庫となった車両倉庫の
引き込みレール跡のどん詰まりに
事務所はあった
背中にモッコはあるのか
はい それだけはなんとか
万人の幸福という
饅頭を仕入れにきた
赤いのぼりには
千個売ったら一モッコ
それは使命とあった
万人の幸福と銘打つ
それでハピー 違うかね
千個売ったら使命は終わり
死んでいい
なに、また千個売ればいいんだがね
背中に一モッコを背負って
床に敷かれたダンボールの
僅かな段差につまづいた
夜もふけて
使命のアイロン式幸福スタンプを
エネル源につないで待った
隅から這い出した
金型が甘い玩具のようなものは
赤熱して
三本の湯気印を浮かべていた
集中力がいった
ほのかな焦げの香りが
逃げながらわらうこどものように満ちてくる
ジュッ
冷えた
雪明りを踏み
ジュッ
目指している黒ゴム長靴がある
寒風に
ジュッ
さらされた肌は
生臭い匂いにつつまれる
あれは無毛のいきものの
本然の匂い
ジュッ
じゃないか
みごとだ
ぶれのない均一の印じゃないか
腱がしびれて喜びにあふれている
ああ何かないか
ほかに何か
万人のなんでもいいだろう
むせかえる
この朦朧は
わたしには窺いしれない
餡こへの兆しではないだろうか
それも
真坂
ふる三月ならぼた雪の静けさ
洗いもしてないカーテン窓から
むらさき餡こが
ひとつと這い出してくるのが
薄目にみえる
2009年冬
夕陽の橋を
渉らなければ よかった
あんなにも
見つめたりしなければ よかった
橋のまんなかで
爪まで小焼け
かなしくないのに
うまれてはじめて涙ながれた
まんなかでは
つむったまま
小石を渉ればつめたくて
心地 いいでしょう
髪の毛も さぞひろがるでしょう
かなしくなくて
石のひとは
ひとよりふかい腕を寄せるでしょう
あかい小石をくちにして
月はあかるく
あかる小石はなるという
*あかる…赤いこと
2009年春
冬の電車で、連結器近くの座席に腰掛け、視線を少しばかり泳がせると、合わせ鏡のような隣の車両には誰もいなかった。
ただ一定の方向に進んでいるに違いはなかったが、ここを基点に果てしなく両側が、どこまでも延びているのではないかという奇妙な感覚に囚われた。
目的地がどこであれ、こうなってみると、どこかへ向かっていると感ずることは、乗り込んだ地点での約束ごとが、どこまでも有効であると信じているだけに過ぎなかった。
いまこうして、巨きな物理が変革されているとしても、わたしは、昨日の早朝、初めて出版する書物の校正刷りに朱をいれた原稿の束を抱えて、揺られているより他はない。
わたしの右手、進行方向には誰もいない車両が延々と続き、わたしの座る連結部から左手には、停車駅ごとにまばらに人々が乗り込んで、そうしていまだ約束が有効ならば、東へと電車は走っている。
*
三重に住む姉に久しぶりに電話した夜は、記憶力がよく、おしゃべりな姉に押されて、切り上げる箇所を見つけられないまま、いつしか幼い頃の話へと向かっていた。気性の荒い漁師村へ赴任してきた巡査の娘が、いつも綺麗なハンカチでえっえっと泣いていた話だった。
商売をしていた我が家の父は、村ではインテリだったから、娘をよろしくと挨拶があったらしい。「ほら、警察のタカコちゃんの誕生会にあんたが行くことになって、手作りの贈り物がいいという話になって、ストローをつなげたペン立てを一緒に作ったじゃない。あれ、ものすごく喜んでくれたじゃない」覚えているかと姉はいう。姉は先天性股関節脱臼で、しばらく歩けない時期があった。
もう何十年と回想することのない時代だったためにまったく手がかりすらないほど記憶になかった。「ほら雑誌の付録にあって、ストローを糸で針を通して筏みたいにして…」と言われたところで、かすかに白地に赤や青のラインの入ったストローの筏が、沈んだ海から縦に浮上してくる映像がぽっかりと浮かんできた。
*
車両連結部の嵌め殺しの硝子窓は、互いに重なりながら微妙にずれ合い線路の継ぎ目ごとに揺れていた。
その隙間に、降り始めた小雪が舞い込み、ふわりゆらりと、いつまでも舞うので、わたしは、とてつもなくながい遥かな昔からの、巡礼の途上であったことを思い出し、薄汚れた装束の胸の奥深くで、固く目を瞑った。
2008年秋
草の小籠に
ふじ額いのつゆ草 ねんねこよ
沖まで きょうは浅瀬だな
ひかって ひかって
めにしみるな
たんぽぽの
綿毛のふとんで ねんねこよ
風にねて 風にねて
ほっと ひとつ飛べばな
自在の夢のつぎつぎ
ねんねこよ
鳥のねぐらの岩棚で
かえらぬ卵も
ねんこよ
お、おおおお
ねんねこよ
山から乳房おりてくる
いっぱい張っておりてくる
お、おおおお
ねんねこよ
汗かいた 耳のうらに聞こえたな
烈しい防御の紀元から
薄いセルの瞳
ひとつ ほどけ
くるぶしの夢から
身を這い出しわたしの五月の寝床で
おまえを柩とするという
乱暴な五月の指先で
わたしの舌が混紡にほどけ
つややかな貝の
渦巻きをなぞると
わたしの脚のあいだに
貝は眠り
世界の未明を
るるる
僅か回した
あれは明滅する烏
ゆらふら 推進する硝子質
みるみる尾につけて
渚にのまれる
二畳紀二億四千万年の灰の虹
暁闇に貝は
黴に濡れ
ひと茎の夢を背負って
光裂の渚を這った
海で大量の喪があったのだと
貝は白いカケと黒い脂をすこし吐いた
それは人間のものですかと
わたしは尋ねた
黙って貝は
草むらを吸った
ひとの 意識が
地軸を 狂わすとき
傾く 葬列の海 一夜
存在しながら
存在しないも 同然
の霊が 大量に うまれる
名は名 みずから 喪を
執らねば ならない
海域のやわらかさ
あの人かもしれない
あの人を導く おなじ指で
押し返す 汀をにぎる
薄いセルの瞳
ひとつ 回し
貝とうまれて
人に眠る
人にうまれて
貝となる
地上の ことばが
貝に うまれ……
あたたかい
潮みづながし
南洋の彫像の歯をみせて
貝は
倒れた
あの日 夕陽の阿比と
ふたり 真っかな氷(シガ)コにとけて
何処まンで
何処まンでも ながれていった
阿比は 鬼ユリかげろうもえて
阿千は オヒメになりてえな
岸と岸の 真ん真んなかで
ふたり 真っかな氷コになって
何処まンでも
ながれてゆけば
岸と岸の なんもかも
岩たち草たち なんもかも
けがれなき金剛(ダイアモンド)の
きっと阿千はオヒメになって
あの日 真っかな かげろうながれ
うまれて 何処まで ながれてゆくのが
償いなどで あるはずがない
夏の蕚(うてな)が 揺れるたび
風は 梢にとまり
カガヤキノイタダキデ
よぞらを裂く
マタタクカラユレナイ草
霧(き)れない野 カタコユリ
小舟の水尾は
むらさきで打たれる
岸は水に
コトリ ほどけて
瑠璃 さえずる
まわるカガヤキ 草群がる川
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