先週、「最初の挫折」について書留めましたが、人生の岐路に立った時の決断はどうだったのか? 右か左どちらが良いか説明できな決断が、本当の岐路だと思います。少なくとも私には3度はありました。浪人して再び失敗した大学受験の時、会社勤めを辞めて田舎に戻ると決めた時、そして、ここアメリカで残る決意をした時。
その時の決断の基準は? 白黒はっきりしていない時のエイヤーの決断は、直感でした。そんないい加減で無責任なという見方も出来ます。しかし、今まで生きてきて思うのですが、この「直感」なるものは馬鹿出来ないものです。ただ厄介なことにこの直感の判断基準や背景は、説明出来ないものです。聞かれたら「なんとなくそう思った」とか「感じたとか」
直感は英語でintuitionですが、日本英語にもなっているインスピレーションは「閃き」です。
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続きはメルマガ50歳からの起業から.....
再び私の履歴に戻ります。高校時代は大学受験の波に流される一人でしたが、 自分の人生観と悩む青春時期に突入しました。 前に触れましたが、高校二年夏休みのアメリカ旅行と司馬遼太郎の幕末小説に出会ったことは大きな切欠だったのではないかと思います。そして、高校三年の担任で恩師の竹田信義先生との出会い。担当科目は政治経済と倫理社会でした。特に倫理社会の授業は楽しく哲学にも目覚めた時期とも重なります。一方、北 杜夫著の「どくとるマンボウ青春期」に出てくる旧制高校の良きバンカラ時代に憧れたりもしました。「だるまさん」を答案用紙に書いてアホな真似したのは大学に入ってからです。
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ブログル友達のKoheiさんとここサンディエゴで初ランデブー。
ホテルに来て下さって、近くのイタリアンで友人の笠井さんと三人で夕食をしました。ワインを一本軽く開けてあっという間の楽しい会食。
お陰で時差ぼけ脱出になりました。
Note: MacのiPhotoでしょうか?解像度を下げるやり方がわからず写真のアップロードが出来ていません。どなたか教えて下さいますか?
「がんばることは素晴らしい。
ただ、
がんばることが
目的になってやしないか。
また、がんばってることを
誉められることが
目的になってやしないか。」
そうですね。私達、日本人は頑張る!ということをよく口にします。
大変な時期に居る人にはかえってプレッシャーになるだけになる危険性もあります。何故なら、「頑張ろう!」とかいう言葉があまりにも漠然として具体的でないから。 具体的に何をするがない。頑張るだけが目的になる呪文は危険だと思います。
震災でもそうですね。不用意に周囲が「頑張ろう!」というかけ声をかけていいものだろうかと感じたりしました。当事者の心には、逆に刃物のように突き刺さる言葉ではないかと?
英語ではよく、Take it easy... Good luckと言いますね。
応援するときにはもっと具体的である必要があるかと。
頑張るぞう!と本人からほとばしり出る気合いならいいのですが。
言葉って難しいですね。そう「魂」というか心が入っているかどうかで周囲に与える影響は大きく変わります。
サンデル教授と糸井さんの対談は面白いものがありますね。ほぼ日刊イトイ新聞 二塁手に例える洞察力というか和語の力も新鮮です。
夏に日本出張の帰りに成田空港でこの本を買って帰りましたが、起業について考えていたら、フッとこの本のことを思い出しました。
最近は日本でも講演会で引っ張りだこの吉田会長。その人生訓からいろいろ刺激を受けようとスタートした吉田の会はシアトルが第1期で昨年夏スタートしました。その1期生最後の集まりはスパで一汗流したあとに会長の話。
1銭も使わずにどうしてピザ屋の店舗を3件(20万ドル相当の現金ニコニコ払い)を得て、ビジネススタートしたか?この回答が当たらず悔しい思いを残した卒業会談。
仕上げは近くの韓国焼き肉で蒸し豚料理の初体験。(料理名失念)
これが美味。
1年前に強烈に残っている人生訓のひとつ。
「失敗して前の扉が閉まったときには、必ずどこな別の扉が開いている!それを目の前に閉まった扉をこじ開けようと固執しても無駄なこと。ちょっと回りを見渡してみろ!」
失敗し、めげて、パニクったら回りの見渡す余裕なんて普通ないのかも?
これも平常心。
1年前と現在の自分の立ち位置は確かに大分違います。
日本文化の紹介の一端で、食文化=鮨をシーフードも豊かなシアトルを架け橋の拠点に本当の鮨を広めようという動きが始まっています。
40年前、シアトルで最初の寿司を出したSHIROさん。映画にもなった数寄屋橋次郎の二郎さんとも一緒に働いたことがあるとか。
映画数寄屋橋次郎鑑賞のあとに、鮨の披露をシアトルの鮨店のシェフ5名のコラボ。映画にも出ていた大介さんもSHIRO鮨に転職し、彼の卵も堪能。
SUSHIでなく鮨を届けたいという情熱。
同じ文化紹介でやろうと思っている日本刀に通じるものを感じました。
Macで写真解像度を簡単に下げることをまだ学習しておらず、写真はFacebookにてお届けします。
「社会が失敗を許してくれないと言ってる人は、
実は、
自分が失敗を許していない。」
その通りですね。自分にも覚えがあります。
ある仕事で大変な思いと経験をしたことがあります。
許せない自分がいました。
でもよくよく考えたら、その失敗は自分にも原因があるはず。他者の責任にしている限りは、何も解決しないというかそこからの成長はありませんね。
自分と向き合う。簡単そうでなかなか出来ないことです。
月初のLabour Day Weekendからドタバタしていました。
その週末は3日間、カナダ、バンクーバーで開催された少林寺拳法の北米講習会、大会に赴き、そのまま日本からの先生をシアトル案内。
そして、仕事を追いつくにもドタバタ。
しかもパソコンがPCからMacに変わり、まだ不慣れ。写真掲載できないのが、当ブログ用に写真サイズを小さくするやり方がわからず、そのまま。今日、内倉さんに会ったときに聞いとけば良かったと楽しては駄目でしょうか?(笑)
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