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ギター余話

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桑の実・・・???

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毛が生えてるんですね・・・。... 毛が生えてるんですね・・・。

不意に見つけたこの実・・・。
桑の実じゃないかと思いますがどうだろ・・・。
食べられそうですが、
食べる気がしないという感じ・・・。

今日久しぶりに日差しがあった・・・。
7月に入って梅雨らしい日が続いてました。
大忙しの日も続いてます・・・(*´▽`*)

昨日から歯医者通い・・・。
歯の根元が侵されてるとのことで、
長々通うことになりそうです・・・(*_*;

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#自然

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子供達の合奏・・・。

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お母さんお兄さんも聴きにきてま... お母さんお兄さんも聴きにきてました。
こちらが緊張してしまった・・・。


発表会に向けての子供たちの合奏練習。
あざみ野練習場にて・・・。

孫たちを相手にしてるみたいだったなぁ・・・。
きらきら星を練習。
可愛いね・・・(*^^)v



#ブログ

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(最終回)

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一ノ関駅で新幹線を待ちます。... 一ノ関駅で新幹線を待ちます。


「やまびこ」が静かにホームに入... 「やまびこ」が静かにホームに入ってきました。


駅で買った笹かまぼこを食べなが... 駅で買った笹かまぼこを食べながら、
一日の行動の回顧。


車窓から見る夕日がきれいだった... 車窓から見る夕日がきれいだった。
800年前の藤原氏の時と変わらないんだろうな・・・。


東北新幹線「一ノ関駅」に到着。
中尊寺ともお別れです・・・。
一日としてはいろいろ見られたのではないかと思いますが、
時間的に抜けてしまったところもありました・・・。
また、次回の訪問の時の宿題に残しておこうかな・・・。

やはり印象ぶかっかったのは「金色堂」ですが、
最後に訪れた「「無量光院跡」は特に印象に残った。
800年の時の流れ・・・。
諸行無常・・・。
一炊の夢の儚さ・・・。
吹き止まない風を受けながら肌で感じました・・・。

新幹線「やまびこ」に乗って帰還です。

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#旅行

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(28)

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風吹き止まず・・・。 水面の波... 風吹き止まず・・・。
水面の波おさまらず。
悠久の時の流れを感じさせますね・・・。
今は木があるのみです。


宇治の平等院を模して造られたと... 宇治の平等院を模して造られたとのことです。


金鶏山に沈みゆく夕日の光の中に... 金鶏山に沈みゆく夕日の光の中に、
阿弥陀如来が浮かび上がるように作られていたようです。
秀衡の描いた極楽浄土だったんでしょうね。
素晴らしい光景だったと思います。


湖畔の赤いツバキが印象的でした... 湖畔の赤いツバキが印象的でした・・・。


「無量光院跡」

今回ここが一番印象的だった。
もう跡形もないんですが、
800年の時の流れを感じさせる場所でした。
諸行無常・・・というところでしょう。

藤原秀衡が造営した浄土庭園を持つ寺院。
今日との平等院を模してそれより一回り大きく作られた。
仮想の極楽浄土。
阿弥陀如来を安置して、
金鶏山に沈みゆく夕日に浮かび上がる、
阿弥陀如来像・・・。
この様子こそ秀衡が描いたこの世の極楽浄土なのです。

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#旅行

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(27)

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東物見台からの景色ですが、 な... 東物見台からの景色ですが、
なんだか箱庭のような眺めでした。
北上川の流れがあり一両の電車が走り、
のどかな風景です・・・。


月見坂にはこのような鮮やかな新... 月見坂にはこのような鮮やかな新緑を見ることができます。
これはもみじですかね・・・。
5月の新緑はきれいです。


月見坂の終点です。 中尊寺とも... 月見坂の終点です。
中尊寺ともここでお別れです・・・。
歴史的な建物を見た後でほっと溜息も出ました。


月見坂を出るとすぐ、 「弁慶の... 月見坂を出るとすぐ、
「弁慶の墓」の指示板が目に飛び込んできました。
これ素通りできないと寄り道・・・。


大きな石碑が立ってます。 これ... 大きな石碑が立ってます。
これは新しく建てたものだそうです。


大きな石碑のある隣にある、 小... 大きな石碑のある隣にある、
小さなこの石碑が昔から伝わる弁慶のお墓ということです。
これはだいぶ年月が経ってそうです。



中尊寺のお堂めぐりも終わり、
月見坂を出口に向かって降りていきます。

途中に「東物見台」という視界が開けた場所があり、
そこから景色が秀逸でした。

5月ということもあり新緑が鮮やかで綺麗でした。
まさに目に青葉状態・・・。

月見坂を下り終えると「弁慶の墓」という場所に出ます。
「武蔵坊弁慶・・・。」
源義経を語るときには欠かせない人物ですね。

今は大きな石碑が建てられてますが、
隣りのこじんまりした石塔が実際の墓と言われてるそうです。

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#旅行

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(26)

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「地蔵堂」です。 売店が隣接唯... 「地蔵堂」です。
売店が隣接唯一のお堂かな・・・。
あまりひと気がなくひっそりとしたたたずまいでした・・・。


ここには人がいませんでした。 ... ここには人がいませんでした。
ちょっと地味なのかもしれないです。


八重桜ですかね・・・。 物凄い... 八重桜ですかね・・・。
物凄い咲き方で勢いがあり圧倒されました。


ここもものすごい桜。 みな立ち... ここもものすごい桜。
みな立ち止まって感嘆の声を上げてました。
ここが一番すごかった!!


緩やかな道を上がっていくと、
参道と合流した右手に「地蔵堂(じぞうどう)」があります。
こちらの地蔵堂境内には、
西行上人の歌碑と臼田亜浪(うすだあろう)の句碑があります。
また、地蔵堂と向かい合うように建つ赤いお堂に道祖神が祀られています。

「観音堂」
本堂の斜め向かいにあり、
薬師堂に隣接してるお堂です。
本堂の向かいと言うこともあるのか、
参拝者も少なく
どことなくひっそりとした佇まいと言った感じでした。

ここまででお堂めぐりも終了。
いよいよ中尊寺ともお別れです。
まだまだお堂類はあるのですが、
日帰りということで時間的制約があり、
全部は見きれませんでした・・・。
それでもいい雰囲気のお堂めぐりができました。

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#旅行

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(25)

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かなり巨大なつくりで、 カメラ... かなり巨大なつくりで、
カメラには端から端までは写りませんでした・・・。


ここの水は冷たくて、 凄い透明... ここの水は冷たくて、
凄い透明感でした・・・。


中尊寺境内にある鐘楼。 これは... 中尊寺境内にある鐘楼。
これはいまでも撞かれてるのかな・・・。
立派な鐘楼です。


枝ぶりの凄い松。 かなりの竹で... 枝ぶりの凄い松。
かなりの竹で支えられていた。
樹齢どのくらいなのかなぁ・・・。


中尊寺は天台宗のお寺なんですね... 中尊寺は天台宗のお寺なんですね。
東北の要ということです・・・。


「峯薬師堂」 かなり古めかしい... 「峯薬師堂」
かなり古めかしいお堂です。
「峯」が付くというのは、
本来山の中にあったことを示すんですね。


石造りのちょっとずんぐりしてま... 石造りのちょっとずんぐりしてます。
中心に何か彫られてるのですが、
光線の具合で写りませんでした・・・。


「峯薬師堂」の脇にある池。 こ... 「峯薬師堂」の脇にある池。
ここに梅雨のころになると天然記念物の「モリアオガエル」が、
産卵にやってきます。
「オオサンショウウオ」の卵も見えてました。


「中尊寺本堂」です。

中尊寺は、天台宗東北大本山。山号を関山(かんざん)といいいまして、
慈覚大師(じかくたいし)を開山(開基850年)とします。
12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代藤原清衡公によって、
多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営され、
関山丘陵一帯に大伽藍が建立さました。

14世紀に惜しくも金色堂を残して往時の堂塔は全て消滅しましたが、
経蔵、金色堂覆堂、石製五輪塔・宝塔、野外能舞台の5件の
重要文化財建造物のほか、3000余点の国宝や重要文化財
を伝える美術の宝庫でありまして、
全盛期の遺跡が良好な状態で保存されています。


「峯薬師堂」

寛永年間(1624~1644)の中尊寺山内古絵図を見ると、
本堂南側の山中に「山ノ薬師」と記されており、
そこが本来の峰薬師堂があった所とされ、
現在の建物は棟札により元禄二年(1689)の建立とわかり、
その時、この地に移されたと考えられているようです。

ご本尊は「薬師如来」、その左右に日光月光菩薩が安置されています。


「宝塔」

笠の形状やその上の宝珠から平安時代末のものとされ、
この相輪は五輪塔の空風輪の形を成しています。
(一説には同院に住持した密淨上人の墓とも伝えられているようです)

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#旅行

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(24)

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金色堂の参拝を終え出てくると、... 金色堂の参拝を終え出てくると、
左手に釈迦堂(しゃかどう)があります。


ご縁を願う人が多く訪ねてくるよ... ご縁を願う人が多く訪ねてくるようです。
おみくじも結構ありますね・・・。


そもそもこの鐘楼は、2階造りだ... そもそもこの鐘楼は、2階造りだったのですが、
1339年の火災によって焼けてしまいました。
現在の梵鐘は1343年に鋳造されたもので、
鐘身の銘文には、この建武の火災について詳しく書かれています。


「釈迦堂」に関する由緒書きはありません。
建武4年(1337年)の火災で、中尊寺は金色堂以外の全てを
全焼してしまったといいます。
その全焼する前の釈迦堂には100余体もの
釈迦如来が安置されていたという記述がありますが
その後の野火で焼失しているので、その後釈迦堂が
再建されて今の釈迦堂になったかどうかは分かりません。

讃衡蔵の向かいは「阿弥陀堂(あみだどう)」
ご本尊は阿弥陀如来。
そして向かって右に小槌を両手で高く掲げた大黒天。
左に蔵王権現(ざおうごんげん)が安置されています。
素敵なご縁を願い、多くの方が参拝されます。
また、こちらのお札所には、蔵王権現が描かれた散華も置かれています。

「鐘楼(しょうろう)」
参道から細長い鐘を見ることができます。
県指定文化財であるこの梵鐘(ぼんしょう)は、
余韻が長く赴きある音を持っていると言われています。
しかし、長い歳月を経て鐘には窪みができ、
今はこの音色を聞くことはありません。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(23)

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「新覆い堂」ほど大きなものでも... 「新覆い堂」ほど大きなものでもないですが、
かなりがっちりとした作りです。
芭蕉が見たのはこの中に収められていた金色堂なんですね。
なんだか想像すると楽しいですね・・・。



堂内の真ん中に一本柱が立ってま... 堂内の真ん中に一本柱が立ってますが、
なんと書いてあるのかはわかりません・・・。


源義経と藤原秀衡の対面の場面で... 源義経と藤原秀衡の対面の場面ですね。
中がうす暗いせいか、
はっきりとした感じでは見えないですね。
秀衡と思しき人物にあたるライトも邪魔な感じです・・・。


この絵画の説明文です。 なかな... この絵画の説明文です。
なかなかの名文・・・。
暇な方は読んでみるのもいいですね。


平泉の旧市街の絵ということです... 平泉の旧市街の絵ということです。
やはりちょっとはっきりとは見えないです・・・。


平泉旧市街の説明文です。... 平泉旧市街の説明文です。


この木のうねり方が凄かった!!... この木のうねり方が凄かった!!
いかにもこういう場所の木って感じがしましたねぇ・・・。


「金色堂、旧覆い堂」

堂は建立当初は屋外に建っていたが、
建立の数十年後には建物を風雨から守るための「霧よけ」のような施設が造られ、
やがて正応元年(1288年)鎌倉将軍惟康親王の命令で、
金色堂を外側からすっぽり包む形で覆堂(さやどう)が建設された。
現在の金色堂覆堂は1965年に建設された鉄筋コンクリート造のもので、
金色堂はこの覆堂内のガラスケースに収められ、温度・湿度が調整されている。
様式的に室町時代の建築と考えられている木造の旧覆堂(重要文化財)は、
金色堂の北西に移築されている。

実は芭蕉が見た金色堂はこの覆堂に入っているものだったんですね。

なかなかこれほどの古い建造物を見ることというのはないと思います。
600年以上、金色堂を守ってきたこの旧覆堂は、
なんとも渋く風合いのあるものです。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(22)

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等身大であるという話を聞きまし... 等身大であるという話を聞きましたが、
ハッキリしたことは分かりません・・・。
事実だとすればそれほど小柄な人ではないですね。


石碑の文字は判読できないですね... 石碑の文字は判読できないですね。
年月を感じさせます・・・。


なかなか忙しくていっぺんにアップができないですねぇ・・・。
小刻みアップで時間がかかってしまってます・・・。

松尾芭蕉像です。
中尊寺には松尾芭蕉の句碑が似合いますね。
この日は「奥の細道」のことが書いたるようです。
かなり薄くなって判読できないですが・・・。

この有名な句を芭蕉が詠んだなんと、
57年後の1746年にこの芭蕉句碑建てられました。
年代的には江戸時代ということになります。
薄くなるわけですね・・・。

源義経が平泉に自害し、
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、
松尾芭蕉は門人の曽良と2人、
「奥の細道」の旅に出ます。
芭蕉46才、曽良41才の春です。
江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、
まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは、
束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、
それに合する衣川。
そこには往時の栄華はなく、
旧跡は田野となってひろがっているばかり・・・。

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