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ギター余話

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(22)

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等身大であるという話を聞きまし... 等身大であるという話を聞きましたが、
ハッキリしたことは分かりません・・・。
事実だとすればそれほど小柄な人ではないですね。


石碑の文字は判読できないですね... 石碑の文字は判読できないですね。
年月を感じさせます・・・。


なかなか忙しくていっぺんにアップができないですねぇ・・・。
小刻みアップで時間がかかってしまってます・・・。

松尾芭蕉像です。
中尊寺には松尾芭蕉の句碑が似合いますね。
この日は「奥の細道」のことが書いたるようです。
かなり薄くなって判読できないですが・・・。

この有名な句を芭蕉が詠んだなんと、
57年後の1746年にこの芭蕉句碑建てられました。
年代的には江戸時代ということになります。
薄くなるわけですね・・・。

源義経が平泉に自害し、
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、
松尾芭蕉は門人の曽良と2人、
「奥の細道」の旅に出ます。
芭蕉46才、曽良41才の春です。
江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、
まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは、
束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、
それに合する衣川。
そこには往時の栄華はなく、
旧跡は田野となってひろがっているばかり・・・。

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#旅行

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ペガサス
Commented by ペガサス
Posted at 2014-07-01 18:51

高松市屋島は源平の屋島の合戦「扇の的」の逸話が有名です。また奥州藤原氏の家来で義経の家来として参戦して落命した佐藤継信の墓所も有ります。その因縁で平泉には親近感が有りますね。

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Toshiaki Nomura
Commented by Toshiaki Nomura
Posted at 2014-07-06 15:32

この地から屋島まで転戦して行って戦死というのも辛いものがありますね。
高松市との縁というのはこんなところにもあるんですな。
その昔にしたらものすごい距離だったわけですから凄いことです。

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