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ぼくしのめがね

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喜びに導く謙遜 Humility that Leads to Joy

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我が家には、アメリカ内外からし... 我が家には、アメリカ内外からしょっちゅうお客さんがいらっしゃいます。今は、二週間ほど、日本からお友達の姪っ子さんがいらつしゃっています。 「やっぱり、本場のハンバーガー... 「やっぱり、本場のハンバーガーは美味しいなぁ」と言っておられました。。。忙しくてあまり、良いおもてなしができずにいますが、毎日、教会でお友達になった方々と出かけたり、英語の練習をしておられます。神様がたくさん祝福してくださいますように。。。。
2015年9月6日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/MhdcEuGm6YI

ピリピ2:1-11

1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

今週からまた新約聖書になりました。ピリピ人への手紙は、獄中書簡といわれ、パウロが牢獄の中から書いたものです。

◎ キリストの身体である教会=一人の人のように働いている

私は、最近キリストの身体である教会ということにとても目が開かれ、いろいろと神様から教えられています。キリストの身体である教会が私に教えてくれています。神様の霊に導かれ、まきさんがプレイデートを企画してくれ、そして、そこに来られた方がつぎのロバの子にも来られることになったり、また、ロバの子も、まゆこさんに奉仕の心が与えられ、奏楽をしてくださることになったからこそ、始められるわけであり、ケビンもみわちゃんのために、ギターの奏楽に入ったくれたり、ケニーも日本のことを知っているので私のストレスを和らげる役割をしてくれたり、エリックも子どものメッセージや物を運んだりこまごましたところを喜んでやってくれたり。。。。そのようなことを見るときに、私たちは、一つ身体のように動いているのだと感動します。流れている血のようなものが、聖霊様であり、聖霊様が一人ひとりを導いて物事をされているのだと思います。
このパウロの手紙は、このようなキリストの身体である教会にあてて書かれたものです。

◎ ピリピ書のメインテーマ、喜び

ピリピ書全体を通しての主題があります。それは、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」ピリピ4:2 
喜びを見失っては、私たちは、天の御国の方向性からそれてしまうからです。なぜなら、喜びとは、天国の通貨、お金のよう。喜びは私たちの報酬です。

ロマ5:3
「それどころか艱難さえも喜んでいます。」Not only that, but we rejoice in our sufferings, (ESV)

ヨハネ15:11
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。“These things I have spoken to you, that My joy may remain in you, and that your joy may be full.

ヨハネ4:32、34
イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。・・・イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。」 But He said to them, “I have food to eat of which you do not know.”……..34 Jesus said to them, “My food is to do the will of Him who sent Me, and to finish His work.

ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。fixing our eyes on Jesus, the pioneer and perfecter of faith. For the joy set before him he endured the cross, scorning its shame, and sat down at the right hand of the throne of God.

★教会の喜びの土台。。。教会が一人の人のように働けるのは、それぞれがキリストに繋がっているから。聖霊の交わりがあり、一致と、愛、心を合わせ、志を一つにする。

ピリピ2:1-2
こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。Therefore if you have any encouragement from being united with Christ, if any comfort from his love, if any common sharing in the Spirit, if any tenderness and compassion, 2 then make my joy complete by being like-minded, having the same love, being one in spirit and of one mind.

◎ 喜びに至るに不可欠である代価/クオリティ 謙遜

しかし、この教会のピリピの中には問題があったようです。二人のリーダーの間に意見の違いによる確執があったようです。その確執が教会内全体にストレスをもたらしていたのです。パウロは、それについて注意をしなければなりませんでした。
そして、パウロがまず、教えたことは、「謙遜」についてでした。「謙遜」とは、神様から教えられ易い柔かい心です。

ピリピ2:3-4
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。. 3 Do nothing out of selfish ambition or vain conceit. Rather, in humility value others above yourselves, 4 not looking to your own interests but each of you to the interests of the others.

他人と一つ事業を成し遂げるためには、自己中心があっては、うまく行きません。私たちは、相手を一人の神の人として、尊敬し、認める態度がなければいけません。なぜなら、あなただけがキリストの身体ではないからです。ともに働いている意見の必ずしもあわないその人に実は神様が語っておられるのかもしれないからです。自分を通すのではなく、身体全体に語っている神様に聞く姿勢が必要です。
また、虚栄に注意しなければなりません。虚栄とは、外見を飾って自分を実質以上に見せようとすることです。これは、神様の働きの一番の妨げになります。人間の世界で価値のあることは、天国では意味のないことであることが多いからです。どれだけ人を多く集めるかとか、どれだけ有名になるか、どれだけ人に有能に見られるかは、神の世界では全く価値のないことです。
天の国で一番評価されることは、忠実であることです。そして、忠実であるためには、信仰が不可欠です。

◎ キリストに見る謙遜 私たちのお手本

6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。6 Who, being in very nature God, did not consider equality with God something to be used to his own advantage; 7 rather, he made himself nothing by taking the very nature of a servant, being made in human likeness. 8 And being found in appearance as a man, he humbled himself by becoming obedient to death— even death on a cross!

また聖書の他の書では次のような箇所があります。イエス様は、苦しみの先の喜びを目指して、どんなことにも耐えたと。。。

ヘブル12:2 fixing our eyes on Jesus, the pioneer and perfecter of faith. For the joy set before him he endured the cross, scorning its shame, and sat down at the right hand of the throne of God. 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
先に述べた通り、教会が志を一つにする、一致する、ゴールを見据えているなら、そこに必ず、喜びがあるのです。イエス様は、苦しみや苦しみを与えてくる相手に焦点を当てるのではなく、その先の喜びを見据えて働かれたのです。

キリストにとっては、大罪人としての恥を着せられ、人々に誤解されることも、そして、罪人として数えられることも、評判を失うことも、地上での地位を失うことも、ものともしませんでした。
それは、ゴールを見据えていたからです。その後にある、輝かしい喜びと、愛する者たちに与えられる素晴らしい約束のために従いとおしたのです。

みえや、自己中心がそこにあったのなら、決して救いの業は私たちにもたらされなかったことでしょう。

★アイデンティティと人生の目的 

◎キリストの「謙遜」は、対人であるというより、対父なる神であった。

先日、「武士道残酷物語」と言う映画を見ました。日本人のマインドセットに住み着いている殿様のために死ぬという姿が先祖代々現代に至るまでの姿を描いていました。殿に、娘が取られても妻がとられても残酷な目にあっても、文句を言わす、何もさからえないのです。そこに、セルフエスティームはありません。そこに、喜びはありません。自分のために人を死なせる殿には喜びはあるかも知れませんが、何を言われても、「ありがたき幸せ」と言う、下々のものには喜びはありません。希望もありません。日本人である私たちは、あまりにもこの考えになじんでいます。しかし、このコンセプトを通して聖書を読んでしまったら、間違えてしまうのだと思います。

イエス様は、ゴールめざし、喜びと希望を持ちながら、従いました。
しかし、どんなひどい目にあっても、評判を失っても、アイデンティティを失うことはありませんでした。それは、神の子としてのアイデンティ、そして、神の目的がある、ゴールがあるということ。そして、神の目的を追いかけるには、神には必ずおできになるという、信仰と信頼がありました。

私たちも、教会として、ともに、一つの目的にいく時、喜びを見据え、ゴールを目指し、志一つに、互いに謙遜に一人の人のように喜びながら仕えて行きたいものです。



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MR職人
Commented by MR職人
Posted at 2015-09-07 16:32

<謙遜>は、難しいですね・・
自然に振る舞うと良いのですが・・
過ぎると<自己否定~自信がない>と・・解釈されることもあります・・

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bokushi
Commented by bokushi
Posted at 2015-09-07 17:24

職人さん!
こんにちは。お元気ですか?
そうですねー。私は、若いとき、謙遜の意味を履き違えて、完全に自己否定、自己嫌悪で生きていました。そこには、悲壮感しかありませんでした。
健康的な謙遜をいつも身に着けたいものだと思います!

今日もお元気でよい一日を!

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MR職人
Commented by MR職人
Posted at 2015-09-07 23:46

ありがとうございます・・
今日一日を大事に過ごしていきたいと日々心がけています。

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birdy
Commented by birdy
Posted at 2015-09-08 15:44

お客様の多い家は栄える、といいますね。
bokushiさんの教会が、地域の人々の憩いの場になったり、休息地だったり…
ますますわが広がっていくことでしょう。

宗教、人種、政治に関係なく、みんなが仲よくなれば世界は平和なのにね。

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bokushi
Commented by bokushi
Posted at 2015-09-08 16:00

birdyさんー
こんにちは。
ありがとうございます。最近小さいお子さんとママの集まりを始めて、そちらも、ほんわかといい感じです。
みなさんに、休んでいただけることが嬉しいです。

アメリカでは、宗教、人種、政治、そして、性別に関わらず、という風に最近なってきています。。。
恩師の言葉に、「愛があったら、分かります」という言葉がありますが、すこし、それについて黙想してみたいと思います。。。。

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