新しい心と新しい霊を得よ
Oct
18
エゼキエル18章1-3, 14-18, 30-32
V1-3
次のような主のことばが私にあった。2 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。3 わたしは誓って言う。・・神である主の御告げ。・・あなたがたはこのことわざを、イスラエルで、もう決して用いないようになる。
V14-18
しかし、彼が子を生み、その子が父の行なったすべての罪を見て反省し、そのようなことを行なわず、15 丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、16 だれをもしいたげず、質物をとどめておかず、物をかすめず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に着物を着せ、17 卑しいことから手を引き、利息や高利を取らず、わたしの定めを行ない、わたしのおきてに従って歩むなら、こういう者は自分の父の咎のために死ぬことはなく、必ず生きる。18 彼の父は、しいたげを行ない、兄弟の物をかすめ、良くないことを自分の民の中で行なったので、彼は確かに自分の咎のために死ぬ。
★ 世代に渡る罪の正しい理解
以前、今日読んだ箇所から、インターネットで質問を受けたことがあります。それは、この箇所を読んだ人が、家系に流れる罪とか、罪の呪いはもうないと神様は言っているのではないか。。ということでした。家系に流れる罪、世代に渡る罪の呪いについて、少し整理してみましょう。
☆ 罪の遺伝
最初の人アダムとエバから、罪が入りました。その罪の性質が彼らの子どもたちに受け継がれました。彼らは、教えられていなのに、人を殺すほどになりました。そして、その罪の傾向は、今も受け継がれています。
☆ 罪のパンドラの箱
私たちは、みな、この家系の中にそれぞれ流れている罪の傾向とともに生きています。しかし、先祖が私に罪を犯させたとは、誰も言えないのです。罪を犯すのは、自分の選択であり、自分の責任です。
家系の中に流れている罪というのは、一旦それを自分が犯すと、パンドラの箱があくように、それが罪の力と呪いのサイクルがアクティベイトされ、なかなかその罪から離れられない、罪の重たさに気がつきにくいなどということがおきるのです。
☆ 神の意図
神様は、この仕組みをどうしてつくられたのでしょうか。神様は良い方です。それは、自分からこの罪の力から離れるためにです。罪が継承されても、受け継いだ人がそこで悔い改めることが出来るようにそうされたのです。
★ イスラエルの子らの責任転嫁と高慢な態度
二節で、「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』‘The fathers have eaten sour grapes, And the children’s teeth are set on edge’というこのことわざが出てきます。
イスラエルの民は、今自分たちがこの辛い捕囚となり、国が滅亡に向かっているのは、先祖たちの罪のせいだと言い、もう仕方がない、どうしようもないと言っていたのです。
どこかで聞いたことがある、また自分も何か体験したことがあるようなことではないでしょうか。
私は、シングルマザーに育てられ、いつも物が足りないという状態でしたから、いつもよそのお家をうらやましく思い、うらやましくても仕方がないのだから、何かを願うことや期待することをやめてしまいました。そして、家族を捨てた父を恨んだりしました。
またフィットネスの話しですが、体型体質の80%、遺伝子によって決まるそうです。そう思ったら、もうあのモデルのような体型にはぜったいなることができないのだから、運動をやめると言い出す人もいるそうです。
イスラエルの民の態度は、全くそのようでした。今自分の目の前の「困難」、国に流れている罪の問題、自分の家系に流れている罪の問題は、自分には個人的に何の責任もないという態度なのです。
★ 神様のメッセージ v30-32
V30-32
それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。・・神である主の御告げ。・・悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。・・神である主の御告げ。・・だから、悔い改めて、生きよ。
神様は、イスラエルの民の態度を改めるように。自分の罪として、自分の責任をとり、自分たちの中から罪を取り除くように、悔い改めるように勧めています。
そして、悔い改めるなら、新しい心と新しい霊が与えられると。
新約聖書の中で、イエス様が弟子たちの質問に答えてこのように言われている場面があります。
ヨハネ9:2,3
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生れついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」。9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、その両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
この人が盲目なのは、誰のせいですか? と、聞いています。
罪が入ったから、人類に死が入りました。死が入ったと言うことは、病気が入りました。
ですから、罪と結びつけることは、自然なことでした。しかし、
イエス様は、はっきり、罪の出所にフォーカスして、希望をなくすのはやめなさい、と言う意味でこう言われました。
「神のわざがこの人にあわれるためです。」と言われました。
すなわち、この病気は、神の栄光を阻むものではないと言われているのです。
覚えていますか、このエゼキエル書のテーマは、「神の栄光」です。罪のあるところに、神の栄光は、とどまることは出来ません。
しかし、イエス様は、そこを神様のわざが働く機会としましょうとおっしゃっているのです。
私の家族もイエス様によって癒され、神差の栄光を現されました。また、フィットネスにおいても残りの20%を用いて自分の努力で体型が変わるというのです。全く、不可能ではありません。
イエス様にあっては、可能なのです。
★ 悔い改め
神様は、あなたの一番の苦しみ、一番の困難、悩みの種、また罪も、あなたかが悔い改めるなら、神の栄光の場所としてくださるのです。
先祖の罪のために、自分の罪として神の前に悔い改める時に、あなたもかなたの家族も自由になります。
神様は、自分の責任として、今の自分が神の栄光の場となることを望んでおられるのです。
これは、イエス様の姿にも見られる一番のとりなしの働きですね。自分の家族に留まらず、自分の町、国のためにも悔い改めの祈りをしていきたいものです。そして、神の栄光を見せていただきましょう。
ぼ
Posted at 2015-10-19 04:44
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Posted at 2015-10-19 13:34
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Posted at 2015-10-25 09:34
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Posted at 2015-10-26 12:03
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