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- 増えたパン・第四のしるし Multiplied Bread
教会のランチタイムに皆さんにお誕生日をお祝いしていただきました。今年は、どんな年になるでしょうかー。
夜は、一日早いですが、お誕生日ディナーに行きました。雨が降ってシアトルらしい夜でした。ブルガリヤ料理、お店の人も大変フレンドリーで二時間くらい話しこみました。楽しかったです。
2015年12月13日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/4K7_QQb3KkM
ヨハネ6:1-14
1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。
2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。
5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。
今日の箇所は、有名なイエス様の五千人の給食の奇跡の箇所です。今日のしるしから、私たちは何を学ぶでしょうか。ご一緒に見て行きましょう。
★ ピリポを試して言われた
4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。
5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
イエス様は人気がありました。どこに行っても多くの人がついてきます。
イエス様は、「ピリピを試して言われた」とあります。そして、「自分では、しようとしておられることを知っておられた。」と。ピリピには、イエス様と一緒にいるとどんな働きができるのか、イエス様とともにある人生がどんなものであるのかをその身をもって体験することとなったのです。
あなたの人生に、イエス様がともにいれば、どんなことが起きるのでしょうか。
期待をもって読んで見ましょう。
ピリピには、よく分かりませんでした。V7 以降で、今から食べるものを買いに行ったとしても莫大な金額と労力がいる、これだけの大勢の人たちを食べさせるのは不可能に近いと結論を出します。
私たちの頭で算用して、不可能だと思えることは、この世の中にたくさんあります。
ピリピも、人間の知性をつくして考えてみたけれども良いと思える結果に出会えませんでした。
★ 一人の少年のお弁当
そこに、一人の少年が自分が食べるお弁当を持っていて、それを使ってくださいと差し出したのです。
しかし、このことも、弟子たちは、「一体なんの足しになるのか」とばかばかしいこととして取り上げたのです。
しかし、イエス様は、言われました。
それを持ってきなさいと。
人間の頭で考えてばかばかしいと思えるような小さいものを神様は、用いられるのだということをここで忘れてはいけません。
あなたは、自分が神様に用いられるなんて、まさかと思うでしょうか。しかし、よく聖書を読んでみてください。まさかこの人が。。。という人に限って神様に大きく用いられているのです。聖書の中で、まさかこの人がという人こそが、イエス様から賞賛の言葉を受けているのです。
あなたは、神様の仕事をするには、小さすぎると自分のことを評価していますか?
あなたこそ、相応しいのです。
ただ、イエス様を愛して、イエス様のなさることに信頼して、自分の小さな持てるものをイエス様の手の内に指しだすなら。。。
★ 分けるごとに増えたパン
イエス様は、少年のお弁当を受け取ると、それを祝福しました。そして、皆を座らせて自分の分を取ったら隣に回すように指示しました。パンは、取ってはまわし、取ってはまわされました。そして、半分にバンを裂くごとに増えていきました。全員が満腹になって、まだ12のかごにバンがいっぱい余るほどでした。当時男だけで五千人と数えられていますから、女子どもを入れるとどれほどの人数だったことでしょうか。みんな満腹したのです。
★ イエス様のしるしが示すものは
この章の後ろの方、48-51 節に 「イエスさまがいのちのパン。生けるパンである。」と、書かれています。そして、誰でもこれを食べるものは永遠のいのちをもつことができる。もう、渇くことがない。もうお腹がすいたということがない。イエス様が全ての問題を解決し、そして満たしてくれることの出来る方である。ことを示しています。
イエス様は、五千人以上の大群衆をたった二匹の魚と五つのバンという小さなお弁当で満腹にすることが出来ました。
イエス様と共にある人生は、このように豊かに増し加えられるのです。
そして、イエス様が来られ、十字架と死と葬りと復活と昇天によって可能になったことは、私たちがこのいのちを手渡していくことが出来るようになったのです。
隣の人に分かち合うことができる。ピリポに言われたように、私たちでこのパンを手渡していくことが出来る。
そして、自分の手の内にあるパンを隣に分けていく。すなわち、自分の手におさまるくらいの知識、能力で十分ということです。私たちは、時々伝道するのに、あまりにも知識が無いとか、自信がないとかいって伝道するのが億劫になります。しかし、あなたが食べて満足した、そのパンを手渡せばいいのです。
実際、人がキリストに導く人数は、その人の幼い信仰のときのほうが多いと言われています。年数がたてば立つほど、億劫になったりするものです。
少年のお弁当のパンを思い出してください。イエス様が祝福されて、みなに渡しました。あなたの手にある福音は、すでにイエス様に祝福されています。これ以上なんのつけたしも必要ありません。そして、このパンは、無くなることがありません。手渡せば手渡すほど増えていくのです。
ただ、第一歩の勇気、少しのあなたの犠牲が必要なのです。
後は、神様の業です。
神様の奇跡がついてくるのです。恐れずに、となりの人に分けていきましょう。
今は、クリスマスのシーズンです。日本人には、一番浸透しているキリスト教に由来するシーズンです。クリスマスの本当の意味を伝えようではありませんか。
ぼ
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