ローマ11章 神の憐れみ
Jan
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2017年1月8日日曜日礼拝
前回、ずいぶん前になりますが、ローマ10章では、「伝統から確信へ」という題で、イスラエル人がいかに伝統にこだわるのではなく、確信が無くては救われない。ということを話しました。今週も引き続き、パウロは、イスラエルの救いについて話しています。
この章を一言で言い表せば、ロマ11:29に集約されているといえます。
V29 神の賜物と召命とは変わることがありません。For the gifts and the calling of God are irrevocable.
これは、神様の道の不思議であります。みなさん、これは、この章ではイスラエルのことを話しているという文脈ですが、私たちの人生に置き換えてみてもそうなのです。
★イスラエルは神に拒絶されたのか?
パウロは、なかなかイエス様を受け入れないイスラエルに対して、神に拒絶されているのではない。と訴えています。
V1-2, すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。.
V7-8, では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」
○私たちも、なかなか祈りが聞かれない時に、自分の思いがかなわない時に、神に拒絶されているのではないか。。。と結論付けるところがあります。それは、自分の歩みの歴史を無視して世の霊に惑わされているのです。アブラハム、イサク、ヤコブ、神の選びの中でどんな時も神がともにいて導かれてきたこのイスラエル人が、今救われていないからと言って拒絶されているのではない。
心がかたくなにされている者もいる。でも、そのかたくなさをも、全世界の救いのために、神は、用いているのだ。と続きます。。。。
★イスラエルの役割
V11-12 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。
イスラエルは、以前にも言いましたが、神に背を向けても、落ちぶれても、神の裁きを受けても、順風満帆の時でも、どんな時でも、神の民として、全世界に神を指し示しながら生きているもの。イスラエルの失敗でさえ、神は、異邦人のために用いられている。
★接ぎ木の例え
V17-25
パウロは、オリーブの木の接ぎ木の例えで、一つの霊的なイスラエル(神を信じる人たち)について話している。ユダヤ人は台木であり、異邦人は、野生のオリーブの木だ。
① 根が聖ければ、枝も聖いv16 if the root is holy, so are the branches
アブラハムはじめ、信仰の父たち、偉人たちの故に、ユダヤ人は神様に愛されている。目をかけられている。私たちも、たとえ家族にクリスチャンが一人であったとしても、あなたのキリストにある聖さは、家系、世代にわたる祝福であることを覚えていてください。呪いは四代、祝福は千代です!
② 根が枝を支えているのだから、誇ってはならないv18 if you do boast, remember that you do not support the root, but the root supports you.
この初めの信仰の偉人たちが信仰を届けたからこその、今のキリスト者たちなのだから、信じないユダヤ人を見て、自分を誇ってはいけない。それでも、なお、私たちは継れたものであり、土台は、起源はユダヤ人たちだからです。
③ 神は台木の枝を惜しんだ。イスラエルについて心を痛めている。V21 For if God did not spare the natural branches, He may not spare you either.
神は、イスラエルについて心を痛めている。
④ 不信仰が無ければ、枝はもう一度容易に継がれる v23 if they do not continue in unbelief, will be grafted in, for God is able to graft them in again.
信仰さえあれば、心の確信さえあれば、イスラエル、ユダヤ人たちは、容易に接ぎ木される、元の木に戻ることができる。
⑤ 野生種を栽培種に接ぎ木するのは本来は難しいが、神にはおできになること。V24 how much more will these, who are natural branches, be grafted into their own olive tree?
★神の憐れみと不思議
ロマ11:33-36
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
すぐに、神に拒絶されているなどと、結論付ける私たちですが、神には、私たちに計り知れない知恵と知識をもって私たちと私たちの周りの人たちを導いておられるのです。ネガティブなことを想うときに、少し立ち止まりましょう。静まり、神に信頼しましょう。
★私の体験
私は、思い出します。もう、ミニストリーができないほどに疲れ、もうやめよう、向いてない。と思った時がありました。鬱になり、自暴自棄になり、自殺願望さえありました。もう、こんな汚れた自分が神の働きをすることができるはずがないと思いました。そうなると、ますます自暴自棄となりました。
ちょうどその時、アメリカへ導かれたので、もうアメリカに行って、ミニストリーはやめようと思いました。もう、私の名前を働き人のリストから取り除いてくださいと、主任牧師に頼んだところ、彼は、「神様からの賜物と召命は変わらないから、人間の私がそうすることはできない」と言うのです。まあ、アメリカに来たら、自然消滅できるかな、野垂れ死にするかもしれないし。。。とも思ってアメリカに疲れた精神できました。すると、初め一、二か月で、日本人留学生が私のドームの部屋で救われたのです。また、人が集まりだし、一年後、聖書の学びのグループが始まりました。すべて自然発生的でした。私は、神様を畏れました。”私”ではない。私は、神様にこのように用いられるように造られているのだ、と確信したのです。
皆さんの、人生の上にも神様がこのように働いているのです。皆さん方は、特別な神様の器です。私が、神様の計画をむちゃくちゃにできないのです。自分に与えられた召命を壊すことすらできないのです。神様は、試練の時も、苦しみの時も、罪の中で自暴自棄の時にもともにいらっしゃるのです。
ぼ