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水の上を歩くWalking on the Water
2020年6月28日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
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マタイMatt. 14:22-33
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群集を帰してしまわれた。23 群集を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ、助けてください」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで「確かにあなたは神の子です」と言った。
★神のやり方、人のやり方 God’s Way & Man’s Way
イエス様は、大きな奇跡をなされた後、人々が自分を自分たちのために利用して担ぎあげて、人間的なメシアに仕立て上げようとするのを見て、ひとり寂しいところに祈りに行かれました。イエス様には、政治的なことを変える力ももちろんありますし、様々な能力もあり、人々を奇跡を通して自分の方向に扇動し続けることだってお出来になりましたが、その人気を捨てて、一人祈り、十字架の業、みじめな方向、神様のやり方に集中されることを選ばれました。
(神の国に集中するならば、一人のリーダーを持ち上げるべきではない。もし、持ち上げるならば間違ってしまう。。。。)
“人”すなわち、神に用いられている人、器、に焦点が当てられてた結果、イエス様は神のもとに身を避けた。
★舟の中 In the Boat
一方弟子たちは、しいて舟に乗らされ、自分たちだけで向こう岸に行くことになりました。
弟子たちは、どんな気持ちだったのでしょうか。見たこともない群衆が自分たちの先生に会いに、五千人以上も集まって、そして、あんなにすごい奇跡を見て興奮冷めやらなかったに違いありません。また、このすごい先生の側近であることに誇り高く、鼻高々であったことでしょう。ダビデもそうでしたが、勝利を経験した後は、気持ちが高揚するし、自己過信をするものです。もっとも、弟子たちの場合は、自分がしたことではなく、自分の先生がしたことでしたが。。。
★嵐 Storm
そんな中、逆風のため、普段は楽々進んで行けるところを、こぎあぐねていました。ペテロのように元漁師たちも弟子の中にはいました。しかし、どうもできなかったのです。
これは、本当に皮肉でもありますが、神の憐れみによるお計らいのように感じます。
私達も、このようなことを経験することがあります。
人生の中で、神を信じているし、神にも用いられて、祝福の道を歩んでいるように感じるが、一方で、こぎあぐねているような時。私たちは、いち早く、それを悪魔のせいにしたりしやすいものですし、周りの人のせいにしやすいものです。
神に完全に服従して、神の御働きをしたイエス様の業を見て、その側近であることで紅葉し、高慢になり、自分たちに焦点が当たっていた弟子たちは、慣れた水の上でこぎあぐねていたのです。
★私だ I am. エゴー・エイミEgo eimi
In the fourth watch of the night: This was somewhere between 3 a.m. and 6 a.m.
そんな中、人影が見えました。弟子たちは、幽霊だと思って恐れました。
これが、先ほど言ったように、彼らがいかに、自分の力に頼り、自己過信し、高慢であったかを示しているのではないでしょうか。
恐れは信仰の反対。ですが、信仰と同じ力を持つています。
自分の力によりたのんでいると、恐れが伴います。というのは。自分の力には限界があるからです。
すると、声が聞こえました。
V27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。But Jesus immediately said to them: “Take courage! It is I. Don’t be afraid.”
モーセが、召された時に、私は何者でしょう。。。人々が神について聞いてきたら、なんと答えましょう?というと、神様はご自分のことを、「I am」と答えられました。
説明する必要のない、有って在る方、それが神。全ての力、権威を持ち、全てを成し、治めることのできる方。ご自分自身で。です。
弟子たちは、自分たち、また器、人としてのイエス様に頼っている時、行き詰まりました。が、イエス様が嵐の中で現れ、エゴー・エイミと言われました。
★お言葉をください Give me your Word!
ペテロは、プロフェットギフトでもあり、すぐにデザインを見抜き、行動が早い者で、イエス様に即お願いします。もしあなたでしたら、私に命じてください。と。
ペテロが理解していたのは、
イエス様が自分の力の源であること。
イエス様に頼るなら、どんなことでもできること。
しかし、それには、主である、イエス様の御心が無ければならないこと。
それで、み言葉をお願いしたのです。
イエス様は、ゴーサインを与えました。来なさい。と言われます。
するとどうでしょうか。ペテロは水の上をイエス様のように歩いたのです。
★恐れ Fear
そして、ペテロは波を見て、恐れた瞬間に沈み始めました。
V30,31「主よ、助けてください」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」, “Lord, save me!”31 Immediately Jesus reached out his hand and caught him. “You of little faith,” he said, “why did you doubt?”
ペテロがイエス様だけを見ていた時は、沈みませんでした。しかし、波を見た途端沈み始めました。イエス様は、それを見て信仰が薄いと言われました。
すなわち、私たちの信仰というのは、イエス様に焦点を合わせることに終始するということです。
イエス様意外に焦点をすえるならば、私たちは、恐れの中に落ちます。なぜなら、私たちは瞬時に自分の力に頼ろうとしてしまうからです。
★今日のメッセージ Message for you
イエス様がご自身で模範を示されていますように、
人々が、奇跡のできる人間イエス・キリストに注目を集める時に、イエス様は、父なる神様と父なる神の目的、十字架のみじめな死を遂げることに集中しました。
ペテロは、エゴー・エイミなる、有って在られる、全ての力の源である神、イエス様に焦点を合わせる時に、水の上さえ歩くことが出来たのです。
しかし、波を見、自分の力に集中すると沈みました。
あなたの目は、どこに向いていますか。すなわち、あなたの信仰はどこに向いていますか。自分の能力、または能力の足りなさですか?
それとも、神の下さった計画でしょうか。神の下さった目的でしょうか。
それとも、あなたを賞賛する人でしょうか。あなたを攻撃する人でしょうか。
あなたを水の上を歩かせてくださることのできる神でしょうか。それとも、嵐でしょうか。
今日、あなたの存在の目的がはっきりと示されますように。
また、あなたの目が神のみに向けられますように。。。
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