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嫉妬の構造 カインとアベル  

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嫉妬の構造 カインとアベル  ...
  
2021年2月14日曜日バイリンガル礼拝動画はこちらから


創世記Genesis 4:1-13
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。6そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7 あなたは正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」8 しかし、カインはアベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。9 主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。11 今や、あなたはその土地にのろわれてりう。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」13 カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。

アダムとエバに子どもたちが産まれた。長男がカイン、そして次男がアベル。そして、二人は成長し、自分で働くようになり。神に捧げ物持って行った。
今日は、この二人の子ども、カインとアベルの捧げ物とそれにまつわる出来事から、学んで行きたいと思います。

★贖い・救いの待望 Awaiting Redemption
アダムとエバは、動物の皮衣を着せてもらっただけでなく、神様から救いの約束をいただきます。創世記3:15 に女の子孫から救い主がでると約束された。
アダムとエバは、救いを待ち望むがあまり、長子をカイン、「わたしは得た」Possession, a spear と名付けました。そして、そうでないことを悟り、次男はアベル「空虚」Vanity, vapor, breath. まるで救いが無いことがいかにむなしいかということを表現しているようです。

★贖いについて Redemption
贖いというのは、代価を払って買い戻すという意味です。例えば、私が奴隷の身になります、私を自由の身にするためには、誰かが、私の働きの分の代価を払う必要があります。誰かが来てその金額を払うと、私はその奴隷とされた場所から解放され自由になります。救いの原理もそうです。アダムとエバは罪を犯し、エデンにいられなくなり、死ぬようになりましたが、それから解放されるには、誰かが代価を払わなければなりませんでした。神様は毛皮を着せ、かれらに誰かの命の代価を払って彼らの恥が覆われることを暗示し教えられました。救い主が来る、すなわち、救い主が命の代価を払ってくれるということを彼らは分かっていました。

さて、カインは田畑を耕すものとなり、アベルは家畜を飼いました。
二人が神の前に捧げものを持ってきました。

★捧げもの Offering
V3-4 3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、And in the process of time it came to pass that Cain brought an offering of the fruit of the ground to the LORD. 4 Abel also brought of the firstborn of his flock and of their fat.

そして、聖書には、神はアベルの捧げものに目をとめられたrespectedとあります。どうしてでしょうか。贖いと信仰の見方が重要になってきます。

●カインの捧げもの Cain’s offering
この箇所は私たちの教会でも初穂の原理について話す時に引用する箇所ですが、今日は初穂のお話は省きたいと思いますが、カインはある時期になって地の収穫物を神に持ってきたとあります。が、それが初穂であったとは特筆されていません。
本来ならば、一番初めに取れたものを神に持ってくるのが相応しい捧げもの、贖いの法則から行くと、残りの全ての収穫が贖われるという法則であります。

箴言3:9-10
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。9 Honor the LORD with your possessions,And with the firstfruits of all your increase; 10 So your barns will be filled with plenty,
And your vats will overflow with new wine.

カインの捧げものは、自分の働く田畑で取れたものでしたが、一番に取れたものではありませんでした。
言わば、彼は、彼の行いを神に捧げたのでした。
汗水たらして働いたことには変わりはありません。しかし、そこには信仰が必要ありませんでした。一生懸命働いた一部を、神に捧げるという「行事」にしたのです。
これは、宗教に当てはまります。少しでも神にお近づきになろうと、人間的な努力と、人間的な考えで神に近づこうとするのです。

これには、救いがありません。
ご覧の通り、信仰も必要ありません。

●行いの罠
行いに頼る宗教は、信仰が分かりません。信仰は神の業に期待し、信頼しますが、行いに頼る宗教は、自分の行いを信頼していることになります。神を信じる必要はない野です。
ですから、信仰はあるないであり、大小ではありません。注意してください。あの人の信仰は大きい、なーんて言うことは危険です。しかし、信頼度は贖いの理解から来る捧げものによって目に見えますね。アベルのように。

●アベルの捧げもの Abel’s Offering
一方で、アベルの捧げものは、初子の中で一番最上を持ってきたとあります。
英語では脂肪とあります。日本語では最上のものとある。脂肪は最上の捧げものと位置付けられているのでしょう。なぜかというと、脂肪を捧げたことは、最上の動物をほふっているということ。動物の血が神の前に流されたということです。そこに犠牲が伴っている。幕屋でも脂肪を神の前に焼き尽くして捧げることを指定されいてますように。また、脂肪は、人の情欲を示すものであり、人間中心の想いや欲を神の前に焼き尽くしていることがうかがえる。
アベルは初子の最上を神に捧げつくした。ここには行いだけではなく、信仰が伴っています。

へブルHebrews 11:4
4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
By faith Abel offered to God a more excellent sacrifice than Cain, through which he obtained witness that he was righteous, God testifying of his gifts; and through it he being dead still speaks.

★カインの恥 Cain’s Shame
神は、アベルの捧げものに目をとめられたとは書いてますが、カインの捧げものを拒否したとは書いてありません。しかし、カインにはそれが耐えられませんでした。
恥は、大好きな神様の顔が自分に向かなかったことから来ました。
恥を考える時に、恥を感じることができるように私たちの脳が造られているのは、まぎれもなく神様のデザインです。
よく話しでいるので繰り返しませんが、恥の癒しは、共感、エンパシーです。憐れみです。
私達も恥を感じて、カインのように顔を覆い下を向きたいことがありますね。
その時は、自分に優しく、なぐさめ、では、次はどうしたらよいかと興味を持てばいいのです。恥は、探求心のために、自己向上のために用いられるべきです。
このように自分の内側で恥を消化できればいいのですが、カインはもう一つのやり方をとりました。

それは、自分の外に恥を向けることでした。それはアベルです。恥を妬みに変え、恥を恨みに変え、相手を消す、殺すことで恥を抹殺しようとしたのです。というのもアベルがいることで自分の恥が消えないからです。

日常の生活の中で私たちはこんな極端な経験をすることが無いかも知れませんが、どうぞ、心に耳をすましてみてください。
モーセの十戒では、

出エジEx 20:17
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。
“You shall not covet your neighbor’s house; you shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.”

とあり、他人のステイタスを欲しがってはいけない、すなわちうらやんではいけないと言っています。十戒にあるからには人類の幸せにとって大切な教えなのです。

ブリネ・ブラウンも著書の中で、恥と妬みについてこのように表現されていました。
妬みと恥の関係ですが、自分の足りないと思っているところについて、すなわち隠れて恥を持っている部分について、他人の中にそれを成功的に持っている人を捜して妬ましく思い、攻撃するというのです。攻撃というのは、裁くということです。
彼女は例を挙げていましたが、自分と似ているポジションの人にからく評価したり裁きをしやすいのです。たとえばあなたがリーダーなら、いや牧師なら、他の牧師を裁きやすくなる、というのです。
それは当たっています。例えば牧師として自分に自信がない、恥を感じているからこそ、他の牧師を裁きたくなる。。。

今、あなたは誰かを裁いているでしょうか。裁きは、人間関係を断ち、良いものが流れなくなります、いのちの交流を断ちます。ちょうどカインがアベルを殺したように。
裁かなようにと気をつけるよりも、自分の恥がどこにあるのか、考えることと、その恥に優しくし、自分のペースで自分を愛することと神に教えられることが大切です。

自分に厳しい人は他人にも厳しい。
自分の恥が解決してない人は、人を裁きやすく、人を妬みやすい。

神は七節で自分で治めなさいと言われました。
自分に優しくもう一度やってみようと向上のため立ち上がることをしたいですね。

★神の恵み God’s Grace
神は、いつもお優しい。私達は神の恵みの中で成長します。
みなさん、このカインに何が起きたか知っていますか? 神は、彼の命を守られました。のがれの場所を備えられました。そして、カインからエノクが生まれている。エノクはみなさんご存知の通り、神にとても愛されて、死なずに天に行きました。
なんという慰めでしょうか。

今週も神の恵みに頼り、神を信じ、神にお仕えして行きましょう。
キリストの贖いは完全であります。
#嫉妬 #礼拝

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