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ぼくしのめがね

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苦しみからの贖い Redemption of body and suffering/trauma

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苦しみからの贖い Redemp...
2021年4月4日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
https://youtu.be/LotgxDb1Bis


イースターおめでとうございます。何と二回目のオンラインでのイースターとなりました。皆さんの上に神の変わらない守りがあることを感謝します。
さて、今年のイースターのお話しはうめきについてです。

うめきというのは、あまり人とシェアすることもなく、一人で苦しむ時に言いようもない声というか胸の内、腹の底に動く感情であると思います。文字通り、苦しい時には声がでてうめいたりします。熱が続いて苦しい時、交通事故で身体が痛くて動けない時、頭や胸を強打したとき、ものすごく深い悲しみを感じる時などに私達はうめきます。そのうめきは、必ずしも大々的に人に見られるものでもありません。人知れずうめきます。

イエス様も呻かれたことをご存知でしょうか。ラザロの死と蘇りから見てみたいと思います。ヨハネの11章です。今日は全ては時間の関係上読みませんが、みなさんお話しはよくご存知と思います。

★イエス様のうめき
イエス様はラザロの死に際して、呻かれました。
ヨハネJohn 11:33-35
そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」35 イエスは涙を流された。
Therefore, when Jesus saw her weeping, and the Jews who came with her weeping, He groaned in the spirit and was troubled. 34 And He said, " Where have you laid him?"
They said to Him, " Lord, come and see."
35 Jesus wept.

ラザロの姉妹のうめきは、なぜラザロの死際にイエス様がいてくれなかったのか。イエス様さえ一緒にいてくれたら、助かったのに。という、肉体的な距離についてでした。

イエス様のうめきは少し違っていたようです。
私達も、突然友が死んでしまった時、一番思うのは、一緒にいて楽しく関係をもっていたかったということです。いなくて寂しい。関係が持てないと言うことが一番のうめきであり悲しみです。

ラザロはイエス様の近い友達でしたから、イエス様は、突然に、そのような関係が死によって奪われたことに、罪と死の力に対しての憤りとともに呻かれたのではないでしょうか。

★死んでも生きる永遠の命とは
ヨハネJohn11:25-26
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. The one who believes in me will live, even though they die; 26 and whoever lives by believing in me will never die. Do you believe this?”

みなさん、死なない命、永遠の命について考えたことがあるでしょうか。
永遠の命というものは、ただ、永遠に生きると言うことではない。
神と繋がり、神との関係を深く持ちながら生き続けることです。すなわち、永遠の命=神との関係なのです。
ですから、今、キリストを信じて、誰でもキリストがあなたの罪のために十字架にかかって身代わりに死なれ、葬られ、蘇られたことを信じるなら、あなたは永遠の命がもらえるのです。
すなわち、イエス様との繋がりを信じることで持ち、その関係を永遠に持つことなのです。

ですから、関係を今、キリストと持つことが永遠の命その物なのです。

★トラウマの贖い
●映画から
鞭打たれたり、手や足にくぎを打ちつけられる時、また、木にかけられてもがかれている時に、うめき声というのが映画のイエス様は出されています。
聖書に記述されているところは少ないのですが。

何週間か前にも話したのですが、私たちの救い、成長、癒しはキリストに自分を見出すことであると言いました。イエス様は、苦しみの中で呻かれました。あなたが人知れずうめくように、イエス様も呻かれました。

心理学的に話すと、トラウマの癒しのためには、うめきが一つのプロセスとなります。体の中にうごめく苦しみを感じなければ癒しには到達できないのです。何も感じないで感情の癒しを得ることは無いのです。
トラウマの癒しの先駆者の一人、Peter A. Levineは、著書Walking the Tiger の中で、昔からある土着の信仰や癒しの方法でも、トランス状態で体に苦しみうめきを体験したりして癒しに導くとあります。キリスト教でも、聖霊に触れられた時に癒しが起きますが、みんな何が起きているか頭では分かりませんが、聖霊様が臨んでミニストリーしてくれている間、身体の中にうめきを感じることが多いです。私の体験はそうでした。
イエス様が十字架前に、死に面して感じられたうめき、十字架上で感じられたうめきは、私たちの癒しのためであったのです。イエス様は、私のためにうめいてくださったのです。
自分のうめきをイエス様のうめきの中に見る時に私たちは癒されるのです。

★聖霊様のうめき
今は、イエスを信じる者たちの内に聖霊様が宿られます。聖霊様のうめきが次のように記されています。
ロマRomans 8:22-23,26-27
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。22For we know that the whole creation groans and labors with birth pangs together until now.
23 Not only that, but we also who have the firstfruits of the Spirit, even we ourselves groan within ourselves, eagerly waiting for the adoption, the redemption of our body.
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
26 Likewise the Spirit also helps in our weaknesses. For we do not know what we should pray for as we ought, but the Spirit Himself makes intercession for us with groaning’s which cannot be uttered.
27 Now He who searches the hearts knows what the mind of the Spirit is, because He makes intercession for the saints according to the will of God.

聖霊様は今日も私たちのためにとりなし、回復と癒しのためにうめいておられます。

★贖いは今日あなたのものに
ヨハネJohn19:30
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。When he had received the drink, Jesus said, “It is finished.” With that, he bowed his head and gave up his spirit.

贖いの業は、全て完了しました。私達がそれに付け足すことはできません。私たちの働きで贖いや癒しが完成するのではありません。
イエス様がしてくださったことを信じる、受け取るだけでいいのです。そのままの姿で、主の前に出ましょう。自分の弱さ、悲しみ、うめき、のままで主に向かいましょう。



#イースター #復活祭 #礼拝

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