アジサイ神社の横を水を満々とたたえ流れる用水路は春野町を縦横に掘られていて田畑に水を入れています。この用水路は西にある大河 仁淀川から取水しています。この水路は江戸時代初期 土佐藩家老 野中兼山の指導のもと造られた水路です。野中兼山は他にも物部川や、四万十川にも同様な堰や水路を造り、人手による掘割港湾としては日本最古と呼ばれる手結(でぎ)港や室津港の築造も行っています。こうして拓かれた水田や漁場の結果土佐藩の石高は大変増大したと言われています。しかも350年経った現在でも野中兼山の造った堰や水路、港の多くは使われているのですから驚きです。
しかし野中兼山を取り立てた殿様が退くと、捏造された罪で家族全員で流罪 謹慎となります。そして野中兼山は直ぐに亡くなります。しかし藩は残った家族の幽閉を解かずそれから40年後に男子全員の死去を看取って幽閉を解きます。土佐藩は「恩を仇で返す」ような仕打ちをした訳です。
物部川の中に野中兼山の造った「山田堰」の遺構が残されています。ここは近年新たな堰が上流に作られた為に山田堰の一部を保存して周囲は公園になっています。ただ「山田堰」と知って此処に来ないと看板も目立たないので気が付かないと思われます。この「山田堰」の工事は25年もかかっていますので相当な難工事だった様です。多くの農民が建設には関わった苦労した筈ですからもう少しきちっと顕彰しても良いのではないだろうかという感想を持ちました。春野町の水路と同じ様に満々と水は流れています。地元の人は代々この水面に野中兼山の姿を映し見ているに違いないですね。
天気は快晴、夏草の茂る河川敷の遊歩道にはトンボが群れをなして飛んでいます。ふと、ヒラヒラと黄蝶も舞っています。裸足になり暫く山田堰の周りの様子を写真に収めました。
野中兼山 : http://www.kigenhaeikayo.com/column/c006.html
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Posted at 2015-06-13 21:41
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Posted at 2015-06-14 16:07
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