前回の吉野川オアシスの四国龍馬街道写真展は、土佐勤王党の血盟の翌月、剣術修行を名目に、諸国の情勢を探る密命を武市半平太から受けて讃岐、長州、大阪京都、阿波を巡った時の四国内の旧街道を紹介した展示でした。しかも、琴平で、美馬君田から紹介状を受け取って讃岐山脈を越え 阿波美馬の鎌村熊太に逢って 活動資金を用立ててもらったという新事実の紹介が要点でした。
安楽寺を訪ねた時、副重職から当時、琴平には末寺や檀家が数多くあった、というお話を伺っています。美馬と琴平間は頻繁に僧侶が越えた道があった!という訳です。龍馬もその道を経て美馬に来たということは考えられます。
美馬君田は 美馬寺町にある安楽寺の隣の願勝寺の第45代住職でした。後に全国を廻り、琴平で還俗して私塾を開きますが、日柳嚥石らの影響を受け勤王家となります。「燕石ある処には必ず君田あり、君田の影には常に燕石あり」と言われ、慶応元年1865年、燕石とともに高杉晋作を匿い、その罪で燕石と共に4年間獄につながれています。
維新後も再び琴平で私塾を開き、旧琴平小学校初代校長も務めています。
明示7年7月27日没。63歳でした。後に、その功により正五位を贈られています。
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Posted at 2010-04-12 18:51
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Posted at 2010-04-12 21:22
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Posted at 2010-04-12 21:35
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Posted at 2010-04-13 05:01
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