東北大学災害科学国際研究所、通称IRIDeS(イリディス)。そのロゴマークが深い。「災」の字を反転した文字になってあり「禍を転じて福と為す」から「災害転じて……」ということなのだろうか。 詳細はこちらへ (ちょっとスクロールして下さい) ↓ http://irides.tohoku.ac.jp/outline/index.html
「熊本地震はなぜ起こるのか」 東北大学災害科学研究所の説明によると、九州は北と南に陸がそれぞれ引っ張られていて、今も一年で2㎝ほど動いているそうだ。いずれは九州は二つに分かれてしまうと言われている。その活動によって起きたのが熊本地震であるという説明であった。 この地震により、今まで分かっていた活断層以外が多くあるということを知り、今後の調査・研究を進めていかなければ、というお話が聞けた。とても分かりやすく納得するのであった。
いざ、『仙台防災 未来フォーラム2017』というわけで、ホテルより現地へ歩いて行こうとしたが、時間がギリギリということでタクシーを使う。そのお陰でタクシーのドライバーさんより話が聞ける。「釣り好きで、千葉からこっちに来たんだけどね。震災でやられてしまった。怖くてねえ、今は田舎の方に引っ込んで一時間以上かけて仕事に来ているんだよ。震災後は取材班のタクシードライバーを半年したよ。取材班の人達は現地の人でないから、食物の買い物も控えてくれ、と言われていて私もそれに付き合ったから、毎日カロリーメイトと水の小さなペットボトルで腹を空かせて仕事してたよ。みんな人生が変わってしまったよ」と震災での声が聞けた。しみじみと六年か、と話されていました。 また、釣りが楽しめる時が来るといいのだが……。
三月十一日、新幹線にて。 「仙台防災未来フォーラム2017」が仙台国際センターで行われる。私もそちらで震災についての理解を深めるため、展示場へ足を向けている。震災から六年、被災地の方からすれば七回忌ということになるのでしょう。今、どの様な思いで過去と未来を見ているのだろうか。心中は私の様な者では、その悲しみや辛さの感情の尾すら触れることが出来やしない。その私の空洞化している処に、埋めなくてはならない思いがあるはずだが、時間が過ぎて行けば空洞すら消えてしまいそうだ。見つめ直そう。 そんなことを考え、仙台に向かう。新幹線のホームから見える夕日は、背中を押していた。 (明日、展示場での様子をアップする予定)
先日、詩人会で知り合った詩人さんから詩誌が送られてきた。なんて嬉しいことだ。インターネットによるデジタルメールとは違い、郵便で送られた冊子というのはなんとも人間味を感じられる。 これからじっくりと拝読しようと思っているが、読むのが勿体無いというこの気持ちは遠足の前日みたいな心境だ。楽しむ前のプレリュードは、とてもワクワクとした旋律で弾んでいる。 というわけで、山岡 遊さんと萩原 章さんの詩誌が手元に。感想は四月の詩朗読イベントでお会いできるので、その時にお伝えしよう。 四月一日。山岡さん主催の『詩の虚言朗読会』が楽しみだ。たぶん、妙な(文学的)朗読会なのだろう。ちょっと怖い気がするが、オープンマイクありなので私も特攻しようかな、なんてちょっぴり思ったりして…… アナログチック、 なんか人間味が感じられて濃くていいなあ。。。
『詩は元気です☆』にご訪問の皆さま、いつも誠にありがとうございます。ブログアクセス数の一万刻みで、ご報告させていただいています。この度は、五万アクセスになりました。数字なのですが、これがとても励みになって、私の詩を投稿する喜びとなっております。感謝、感謝です。 皆さまが元気になるような詩を書いてアップしようと思っているのですが、なかなか私の力量不足で拙い詩になっていますが……。もっともっと、精進してまいりますので、今後もお付き合いいただけると幸いです。 ブログを開設してもう時期七ヶ月、私の詩に関わる環境も外へと出向き変わってまいりました。詩作はもちろん、詩のイベントなどもご紹介できるようにアクティブに盛り上げたいと思ってまーす! よろしくです。。。
昨夜は朗読の練習に励む。家族からしてみれば、いきなり父ちゃんどうしたんだ? って感じだろう。詩を書くならば静かな父ちゃんだが、感情を入れて詩の朗読をしているだからいつもと違う。 そして、その音声を録音して聞いてみる。それににしても酷い朗読だ。感情をどんなふうに言葉へのせて表現すれば良いのか、悩んでいる様子が声に出ている。また、ゆっくり読むのはかなり難しい。早く読むとほぼ棒読みなってしまう。ん〜、この詩の場合はゆっくりと読まないと雰囲気が伝わらない、難しい方だ。 ただ、感情を飾らず素直な言葉にすれば良いのだが、屈折五十年、表現は詩を書くことに偏ってしまい実際に声で伝えることが…… まあ、朗読するにあたって考えることが多い。いや、何も考えないない方がよいのかもしれないが。 とうぶん五里霧中な感じだか、まあ声を出して何回も読むしかないようだ。 頑張ろっ。 いつしか朗読をアップできる日を夢みて。。。
昨夜は青年が旅に出る話を書き終えたのちに眠りにつく。すると、その話に類似した夢を見ていた。目が覚めてそのまま夢の内容を書き留めておこう。 なんだか電車の中で忙しい。もう降りないといけないようだが、鍵付きのロッカーに荷物が入っていて、鍵を解除しそれを取り出すのに慌てている。ああ、もう時間がない。手に取ったビニール袋を持ち出し電車から飛び降りた。なんとか目的の駅に降りることができた。改札に向かいスイカを出そうとした時に気づいた。貴重品を入れているバックを忘れてしまった。やってしまった。何で一番大事な荷物を持ってこなかっただろう。財布とiPadが入っているというのに。仕方ないので駅員に聴いてみた。「さっき乗っていた電車にスイカを忘れてしまったのですが、どうすればよいですか?」と。駅員は「では、これを持って線路を歩いてください。それで大丈夫です」そう言って縦1メートル、横50センチくらいの白い板を渡した。駅員に促され線路に降りる。仕方なく私は線路を歩き出した。 薄っすらと雪が積もっていた。私の他にも歩いている者がいた。子ども二人と父親。雪を握り投げ飛ばしている子どもの。いったい、この家族は何をしているのだろう。やはり電車に大事な忘れ物をしたのだろうか。しかし、私のように白い板は持っていない。それに慣れた感じで線路の上を歩いている。 ふと、白い板に何が書いているのかと思い見てみた。赤で文字が書いてあるのだが、私の目がおかしいのか何が書いてあるのかわからない。たぶん、この人が忘れ物をしています。荷物を渡してください。と、荷物を持ってきてくれた方がわかりやすいように書いてあるのだろう。 しばらく歩いているとあの家族たちもいなくなっていた。そして、線路もなくなり昼間なのに少し暗い坂道を下っていた。これでは、荷物を渡されることはないだろう。しかもすでに白い板も持っていない。私はこれからどうすればいいのだろう。……とりあえずさっきの駅へ戻ろう。ちょうど中年男性が二人、向こうから歩いてきた。「あの、駅はどっちですかね?」と、訪ねてみた。すると、「駅? この辺にはない。ずっとあっちだな。二日くらい歩かないと」そう言われた。えっ、そんなに遠くまで私は歩いてきたのだろうか。おかしい、これはおかしい。夢ではないか……… そんなところで目が覚めた。ああ、なんだか疲れてしまった。「迷」と題目を付けたくなる夢だ。この夢を分析するとどういうことが見えてくるのだろう。ただ荷物がないという不安の夢だろうか。 その前にトイレに行こう。迷わずに行けるはずだ。
最近は明治頃に発表された詩作をおもに図書館で拝読。ハマっているのは島崎藤村。本名は春樹らしい。島崎春樹、いいのに。島崎藤村(とうそん)を子どもの頃は「しまざきふじむら」、だと思って苗字苗字みたいだなあ、なんて思っていたけど。。。やはり、藤村は言葉の使い方が綺麗だ。三角眉に丸眼鏡だが、容姿と作風のギャップもまた面白い。ああ、怒られそう。誰に? では、著作権も切れているので作品をアップしてみよう。 白壁 たれかしるらん花ちかき 高樓(たかどの)われはのぼりゆき みだれて熱きくるしみを うれしいでけり白壁に 唾にしるせし文字ならば ひとしれずこそ乾きけれ あゝあゝしろき白壁に わがうれひありなみだあり 望郷 寺をのがれいでたる僧のうたひしそのうた いざさらば をこの世のわかれぞと のがれいでゝは住みなれし 御寺の藏裏(くり)の白壁の 眼にもふたゝび見ゆるかな いざさらば 住なば佛のやどりさへ 火炎の宅(いえ)となるのを なぎさめのなき心より 流れて落つる涙かな いざさらば こころの油濁るにも ともしびたかくかきおこし なさけは熱くもゆる火の こひしき塵にわれは焼けなむ 藤村は恋に生きるひとなのだろう。恋の遍歴も逸脱的だ。兄の娘とも関係をもってしまうほど。そのエネルギーを綺麗に詩にしてしまうのだか、なんて自己防衛と描写力を備えた才能の持ち主なんだ。好きな人間ではないが、才能は尊敬してしまう。うーん、してやられているのか。。。
インターネットのニュースでX JAPANの映画についての記事を拝読(X JAPANの音楽は聴いてこなったが)。YOSHIKIさんが語っていた言葉はとても素敵だ。 「僕は生きていることが奇跡だから…。ファンの人たちに頂いた第2の人生、第3の人生だと思ってるんです。怖いものは何もない、明日死んでもいいというくらいに思ってる。でも、頂いた人生をちゃんと全うしてファンに返したい。映画に秘めたことは“不可能なんて何もない“ということなのですが、それをどこまでできるのかな…と思っています」 ひとは誰かのために成長して行こうとすることが、幸せということなのだろう。