私は昭和23年小2の時から野球に興味を持ち・・60数年の<虎キチ>です。 小西得郎さん以来数多くの野球解説者に出会いました・・ 的確な技術論・・試合中の配球の読み・・選手交代まで・・ 大半の解説者は結果を見て<やっぱりそうでした・そこが間違いでした・>の後出しじゃんけん・・ 失礼ながら・配球の読みや交代論では素人の私を上回る人が少ない・・ <野村克也さんと豊田泰光さん>、は別格です・・感心してさすが・・プロだなと感心したことが多かった・・ お二人とも<歯に衣着せぬ毒舌>だったので・・一部の人からは敬遠されたようですが・・楽しみに拝聴していました。 昭和33年18歳の私は<TVやラジオ>のクイズ番組に度々出場して<クイズ荒らし>と揶揄されていた。 新人の<長嶋茂雄さん>が、本塁打30本を記録した・・ 私も山を張っていくつかの問題を考え答えをメモしていた・・ 不覚にも2行目に掲載されていた5人目のの<樋笠>は、メモしていなかった 9問目~新人で30本の本塁打を打った人5人を挙げよ・・ 質問を聴きながら・・しめた・・予想通り・・質問後即に<豊田~大下~戸倉~深見> とすらすら答え・・合格と勘違いした・・ 司会の<三国さンが、後一人>・・頭から血の気が引いて真っ白になった・・ 会場がざわめいた<ヒント・・ヒント>が聞こえるが、司会者は無言で時間終了・・ <イの一番に豊田泰光>と鮮明に記憶が残っています。 後日<今 東光和尚~ 林教授(推理作家・木々高太郎さん)にも、お目にかかる機会があった・・ 林先生は伯父の村上 啓夫(英米の推理小説の翻訳家)と懇意・・父親の従弟で合原医院の院長の慶応病院の先輩でもあった・・ 後日談~ 2週ぐらい前に<社会科の先生>が初代のチャンピオンになったが・・何度もヒントやアドバイスを重ね・・ 異議が出たので2代目候補の私にはには大変辛かった・・ 会場のざわめきを、聴き反省会でちょっと極端だったかな・まずかったな・と議論したらしい・・ その後も幾多の番組で <後一歩>が、続いたが21歳の時点で<クイズ番組>を卒業した。 長じてから顧みると・・未成年の若者が質問が終わると・・間もおかず回答すると<生意気~太々しい・・>と、解釈され意地悪されたらしい・・ 私の立場からすると・・一呼吸置くと迷ったり~詰まったりを恐れて即回答でしたが・・ 別の番組で勝ち進んでいる時にプロデユーサーから手紙をもらった。 実力もあるのだから・・答えるときは深呼吸して一息おいてから答えると印象も良くなるよ・・ その方は・・後年<新聞社のトップ>になられて活躍された・・ 後期高齢者になった現在でも早とちりは直りませんが・・業界の古狸・・他人の意見を<聴く耳>はだいぶ改善されたようだ・・