「今日の算数のテストの点数、何点だった?」
我々日本人は、小さい頃から「100」という数字のイメージに対し、洗脳されてきたように思う。テストで100点を取ることが「よくできた!」と高評価された。今思えば、ただの暗記の確認テストだったというのに、その人自身を判断する基準になってしまっていた。100点を取った人間は偉くて、0点はダメ人間。そんな風潮は、今でも変わっていないのだろうか。中学生の息子たちの勉強を見ていると、今でもアナログな「暗記テスト」が多く、日本の教育システムは、40年前に小学生だった私の頃と、ほとんど変わっていないように感じる。
そんな100点教育の弊害なのか、私はこれまでずっと「100」にこだわってきたように思う。「100」にまつわる記憶を掘り起こしてみたい。
30歳の頃、当時やっていたバンドで、1ヵ月後、1人1曲、曲を書いて出し合おうということになり、私がその時に書き上げた曲のタイトルは『100まで生きたい』であった。「未知の未来に何が待っているの 生きることを大好きになろう」と、とにかく「今」と「未来」への希望を歌詞に託した。
年の初めには、「やりたいこと100リスト」を書き出すことにしている。40個くらいまではガンガン書けるのだが、途中でペンが止まってしまう……。永遠に続くと思われる「水平質問」に答え続けなければならず、頭の中で「他には?」、「他には何がある?」という質問を問い続ける。外の空気を吸ってきたり、歩き回ったりすることで、意外と新しいやりたいことが見つかるから不思議だ。
2022年の前半には、生まれてはじめて「100kmマラソン」というウルトラマラソンのレースに挑戦した。妻の親友から声がけしてもらったことが、参加のキッカケだった。軽いノリで挑戦したわけだが、今思うと「100」という数字に引き寄せられたのかもしれない。これが「80km」や「110km」だったら、参加したかはわからない。レースは、コーチングのコーチにお願いをして、約半年間伴走してもらいながら、何とか完走することができた。レースは、13時間を超える苦しい闘いであった。
他にも、毎年の読書ノルマは「100冊」と決めている。1カ月に均してみると、月に8~9冊程度。週に2冊であるなら、社会人として最低限のたしなみだと思っている。しかしながら、布団に入って読んでいると、いつの間にか寝落ちをしていることがほぼ毎日だったりして、今年は12月1週目にして残り12冊。師走でイベントも多い中、何とかクリアしていきたい。
あれ? もしかして、私は「100」が大好きだったりするのか?
そうか、そうかもしれない。無意識だとしても、「100にこだわって生きている」といっても過言では無い。
なぜ100にこだわっているのか?
1つ1つの小さな達成が積み重なって、それがいずれ「100」になるから心地よいと思っているのだろう。
『100まで生きたい』は、1歳1歳その歳ごとの人生を楽しんで、気がついたら100歳だったと思いたいと、自分の願望がそのまま歌詞になった。あの金さん、銀さんの名言「(100歳のお祝い金を)老後の蓄えにします!」のような小粋なギャグを100歳になっても言ってみたいものだ。
「やりたいこと100リスト」には、1つやりたいことを実現すれば、残りが減っていく心地よさがある。「去年は50達成できたが、今年は60達成できている!」などと、その年が活動的だったかどうかが「見える化」される。
「100キロマラソン」は、1kmの距離の積み重ね。最初はフルマラソンの2.3回分などと計算したが、なかなかイメージしにくかった。1kmを100回走れば完走できるというイメージの方が、とてもしっくりきた。当日、1kmごとに水分補給を行う作戦もうまくいった。
読書もシンプルに1冊読めば、今年の読了冊数が1カウントアップされる。非常にわかりやすい。1冊読み終えると、何だか賢くなった気がしてくる。その感覚を100回も味わえば、確実に昨日の自分を楽勝で超えていけるだろう。
そうか、わかったぞ!
「100」は、「1+1+1+1+……+1」でできているかぁ~!
1+1が2となり、2+1が3になる。そして99+1が100になるのだ!
何かの書籍で読んだのだが、イチロー選手は「打率」ではなく、「安打数」でこだわりを持っていたらしい。メジャーリーグで10年連続200安打を達成できたのも、数字が上下する打率ではなく、減ることのない安打数にこだわり続けた大偉業だったのかと思うと、さらに尊敬の念が強くなる。
イチロー選手と比べると私はまだまだではあるが、これからも「100」という数字の積み重ねにこだわって行きたいと思う。
では、これから何をどうしていくか?
継続しているエッセイを「100本」書いてみたいと思っている。
毎週2,000文字の原稿を14本連続で書いてきて思ったのだが、ネタが無くなってからのアウトプット行為が確実に「ライティング力」を底上げされてくれているように思う。とにかく、書いて、書いて、書きまくりたい。そのためのインプットも忘れないようにして。
さあ、宣言できた!
「100」にこだわることは、行動のプロセスを通じて、自分自身の「成長」を感じることである。
100歳に向かう途中、100冊の本を読みながら、ときどき100キロを走りつつ、100のやりたいこと、100本ライティングをやっていきたい!
死ぬ直前、「あなたの人生は何点でしたか?」という家族からの問いに対して、私は「100点!」と答えることができるだろうか?
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