真夜中に1時に目覚め1時間ほど読書後再就寝。4時に再度目覚め本に目を通し5時過ぎに再々就寝。目覚め起床は6時を回りました。外気温度は2℃。西跨線橋を渡り、そこからUターン。気になっている「石塔」の文字を確認して、帰宅は6時41分、ふくらはぎストレッチ、ダンベル、蹲踞、前後屈運動をして部屋へ。
今朝、確認した石塔に刻まれた文字は「石敢當」でした。この地区の二軒のお宅に見かけて、何なのか疑問に思っていました。ウイキペディアで検索すると
「石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんとう)は、丁字路の突き当り等に設けられる「石敢當」などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石散當等と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県に多く分布する。とあります。
要するに「シーサー」や「蘇民将来」等と似た「魔除け」「災い除去」「伝染病除け」等、昔から伝わる伝統的なおまじないの石標でした。
人生、馬齢を喰っても知らない事が沢山あります。
昨晩は「南朝鮮(韓国)」で行われたMLB・ドジャースvsパドレス戦を見ました。試合前のセレモニーで球場内で乱舞するダンサーの白い衣装の子女の顔がほぼ似た様相を。現南朝鮮(韓国)大統領夫人とよく似た面相です。日本のスキージャンプの選手も似ています。将に「整形美容」の国です。果たして、これらの人々から誕生する子供は、「整った・鼻筋の通った」子供が生まれるでしょうか。
日を改めて「清河八郎」の書いた『西遊草』清河八郎旅中記を紹介します。江戸末に母親を連れて、山形荘内・鶴岡北の最上川河畔「清川」から新潟を通り、善光寺~伊勢~奈良~京・大阪~金刀比羅~錦帯橋~
天橋立~京都~名古屋~江戸~米沢~山形~清川を旅した記録です。何と「安政二年(1855)」三月十九日から九月十日まで半年間旅を続けた記録です。最近、再読して詳細を再認識したいます。
朝から勝手なお話を。明るく元気に楽しくスタートしましょう。