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2024/05/10 朝の随想

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 真夜中の2時半に目覚め1時間ほど読書をして再就寝。起床は5時過ぎ。5時37分、昭和大橋。外気温度は7℃。やすらぎ提左岸で萬代橋、5時54分。橋上で三重からの観光夫人と会話を。帰宅は6時35分。蹲踞運動とダンベル、前後屈運動を済ませ部屋へ。
 
 快晴の朝で気温は低く寒い。
 幼いころ5月の連休に父に連れられ汽車で山菜取りに低山へ。雪に降られた記憶が蘇りました。その頃は「国鉄」の駅から一里(4K)程の砂利道を歩き、せせらぎに水車小屋があり、その道から山道を小さな「鍾乳洞」の脇を通り山菜取りに藪へ。幼い頃の昔の記憶は鮮明に思い出されるものです。
 
 先日、山古志での「闘牛(牛の角突き)」の様子が放映されていました。これを見て、相方はこの牛は食べるのかと問いを。
 この伝統は相当昔から続いている行事。昔は農作業や街道の物流に「馬」や「牛」を使役してきました。さて、これらの処分についての記録が殆ど散見されていません。どのようにしていたのでしょうか。食肉としていたのか、皮革として利用されてきたのか。
 解体などは。そもそも、牛馬の肢体は相当の重量があり、その移動や解体には多くの労力を必要とし、集落として対応をしていたのでしょう。
 差別として現代は避ける傾向にありますが、明治以前にはこれらの屠殺や解体には多くの非人が携わった事実があります。人の死に対する処分や排せつ物、廃棄物などの処理に対する対応は穢多などと言われた非人が対応しました。しかし、各地の山間集落ではこれらに対し、住民総出で対応したに違いありませんが殆ど記録されていません。
 以前住んでいた農村部では街中から糞尿を積んだ川船が遡り、川沿いに配達。溜めてこれを牛車などで砂丘地へ運び、肥料に使ったと話を聞いています。
 
 朝から歴史談義を。明るく元気に楽しくスタートしましょう。

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