甚大、そんな言葉では言い尽くせない、二つの大震災。
何ともやりきれない思いを引きづっている。
2011年3月11日午後3時頃、友達の住まい等は、潰れてしまった。
縁あって、40年近く前に出会い一緒に仕事をしてきた友達。
そんな友達に乞われて、お気に入りの椅子、3点・・・。
新築された書斎に滞在中??の出来事だった。
家は倒壊・友は帰らぬ人になってしまった。
1年後のある日、ご遺族が瓦礫の中に・・・・!?!
とそれらを丁寧に送り届けて下さった。
即刻、復元作業に・・・修復出来たが未だ使っていない。
なぜなれば現地は、復旧しつつあるが復興の途上である。
亡き友の成し遂げられなかった仕事をどうにかしたい。
椅子達の出番は、少し先一応めどは付いたが。
だが茨の道であることはたしかだ。
東北の多くの被災地は、報道されてる以上に厳しい環境下にあるようだ。
セレモニーには参加せず、気になる所を見てきた。
復興支援・・・義援金ってどこに行ったのか???
被災者個々人には、やはり回っていないようだ。
インフラ整備も大切なこと位い分かっているが、弱者救済を忘れていまいか???
弱者に必要なのは、支援という言葉・形ではなく、実益ある“資金だ”。
現地を訪ねる度に、時間が立つに連れ、、より大きく感じられる。
一個人では、いかんともしがたい。「復興庁」って何???って思って止まない。
そして、今ひとつ、忘れてはいけない、阪神淡路大震災のこと。
20年も立って、それこそ復興できてるやに見える。
あの大震災から今年の1月17日で20年を以ってしまった。
大都市神戸をも含む未曾有の地震、多くの家屋が倒壊、大規模火災も発生した。
あれから20年、いまも神戸では真の復興はされてないって思える。
“復旧”はしたが“復興”したか???課題は!?!
「復興災害」なる言葉がある。
災害の発生直後の緊急対応は大切なことだが、その後の対応が真摯に行われてきたか???
仮説住宅で孤独死、家庭崩壊、町や村が衰退していった所があると聞く。
かような災害後の様々被害を「復興災害」という由。
『復興〈災害〉――阪神・淡路大震災と東日本大震災』(塩崎賢明/岩波書店)の中に、
現在も続く阪神地区の数々の問題が指摘されている。
都市計画専門家で復興まち造りに関わってきた著者が、復興の問題を提示している。
〈いつまでも孤独死がなくならず、まちづくりで苦悩している人たちを見て、
これは災害の後の復興政策や事業が間違えているからではないかと思うようになった〉
〈東日本大震災の被災者らが、阪神・淡路大震災の復興に学ぼうと神戸を訪れ、
予想に反して衝撃を受けるのが新長田の再開発事業である。
そこでは震災から二〇年を迎えても事業は完了せず(現時点での目処は二〇一七年とされている)、
それどころかでき上がった再開発ビルの中はシャッターだらけで、多くの商店主が日々苦しんでいる〉
そんな「復興災害」、現在行われている「復興公団住宅に住む被災者が追い立て」問題。
〈阪神・淡路大震災では復興公団住宅が約四万二〇〇〇戸供給されたが、
そのうち約七五〇〇戸がこの借り上げ公団住宅(民間アパートを借り上げて公営住宅として貸す)だった〉
現在、この借り上げ公団住宅の「借り上げ期間」が震災後20年を迎えるなか、満期を迎えようとしている。
そして神戸市は入居者に「住み替えてもらう」という方針で退居を求めている由。
〈入居者が何も困らなければ問題はないが、大多数の入居者は現在のまま住み続けたいと希望している。
当然のこと、入居当時六〇歳だった人は、八〇歳になる。高齢で体力は衰え、病弱な人も多い。
二〇年の間に培ってきた隣近所の人間関係も捨てて、今から転居することがどれほどダメージになるか!?!〉
神戸市は入居者への退居を進めようとしている理由は、神戸市の財政などにあると指摘されるが、
著者は、〈住宅というものの特性、そこでの暮らしということを全く理解しない、金目の計算であって、
市民・被災者の住まいの確保・安定という住生活基本法や公団住宅法の理念に反する〉と強固に非難する。
そして、今ひとつの問題「復興費流用」。東日本大震災でも指摘・非難を浴びている問題。
阪神・淡路大震災でも流用があった。阪神・淡路大震災に投じられた復興費は16兆3000億円。
そのなかで、震災と直接関係しない通常事業に復興費の23%、約3兆8000億円が使われていた。
〈被災地の復興に直接関係しない通常事業の大半は『総合交通体系・情報通信網づくり』の事業(三兆三九一億円)、
そこには本州四国連絡道路等二四九四億円、地下鉄海岸線建設二三五〇億円。
関西空港二期埋立八三二六億円当、巨大プロジェクトが目立つ。インフラ整備、それ自体に意味あるが??
これらが被災者の生活再建や被災地の復興に直接関係ないことは明らかである〉
こうした流用で次々と巨大なハコモノがつくられたが、多くは失敗や赤字でだった。
著者が〈とりわけ、被災者が日々の暮らしに不安を抱いていた震災直後に、
市長が復興の『希望の星だ』とぶち上げた神戸空港は、多くの市民の反対を押し切って建設したものの、
結局は『赤字の星』となって、いまや市のお荷物と化している〉と批判しているように、
被災者そっちのけで行われた復興とは直接結びつかない公共事業、
インフラ整備に、巨額の復興費が使われていたのだ。
〈結局、復興には多く見ても約一一兆円しか投じなかったのに、
一六兆三〇〇〇億円を復興に使ったかのように装い、多くの資金がインフラ整備やハコモノ事業に投じられ、
生活再建が後回しにされ、その結果、さまざまな「復興災害」をもたらしたのである〉
この問題が指摘されたのは震災から14年経ってからだった!?!
復興費の流用、被災実態に合わない再開発、都市計画が行われ、コミュニティが崩壊し、孤独死も頻発、
人口も減少、商店街の風景や人々の生活は激変させられた。
国や行政主導の実態に合わない計画、外見からは復興したように見えても“復興”と言えない状態が存在する。
復興費流用は東日本大震災でも発生しているやに見える。「復興庁」ってなに??って感じた東北の旅。
国会の場では、献金問題ばかり??? 野党の議員さん、どこに目がついてる!!って申し上げたい。
隣国問題、社会問題等々、審議してほしい問題が山ほどある。
言論の自由・多様な批判が飛び交う。それはそれで良いことだが、自由を履き違えていないだろうか??
3月11日誌「嚴・峭・囈」
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