終戦から77年となった8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われた。
当日の天皇陛下のお言葉を全文読んで見る。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、
さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来77年、人々のたゆみない努力により、
今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、
多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面していますが、
私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、
今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、
深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
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以下、昭和天皇が1945年8月15日正午にラジオ放送された「終戦の詔書」の全文;
「大東亜戦争終結ノ詔書」の原文(玉音放送)を現代に変換したものを読む。
私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、
忠義で善良なあなた方臣民に告げる。
私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させた。
そもそも帝国臣民の安全を確保し世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、
天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。
先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、
他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない。
しかしながら、戦闘状態はすでに4年を経て、わが陸海将兵の勇敢な戦闘や、
官僚・公務員たちの励精、一億民衆の奉公は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、
戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もわれわれにとって不利に働いている。
それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、
罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。
それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、
それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。
そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、
皇祖皇宗の神霊に謝罪することができようか。
これが私が政府に宣言に応じるようにさせた理由である。
私は帝国とともに終始、東亜の解放に協力してきた友好国に対して、
遺憾の意を表さざるを得ない。
帝国臣民であり、戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、
またその遺族のことを考えると内臓が引き裂かれる思いがする。
さらに戦場で負傷し、戦禍に遭い、家や仕事を失った者の厚生については、
私が深く心配するところである。
思うに、今後、帝国の受けるであろう苦難は尋常ではない。
あなたたち臣民の本心も私はよく知っている。
しかし、私はこれからの運命について堪え難いことを堪え、
忍び難いことを忍んで将来の万世のために太平の世を切り開こうと願っている。
私は、ここにこうして国体(天皇を中心とする秩序)を護持して、
忠良なあなた方臣民の偽りのない心を信じ、常にあなた方臣民と共にある。
もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、
あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせて国家の方針を誤って
世界から信用を失うようなことを私はもっとも戒めたい。
国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神国日本の不滅を信じ、
道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、
道義心と志操(守って変えない志)をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、
世界の動きに遅れないように期すべきだ。
あなた方臣民は私のそのような意を体してほしい。
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上記のニ文を拝読すると“時節”を痛感する。昭和時代の後半に育った僕の感慨。
ことさら今年は、ウクライナに侵攻したロシアが北方領土にかさなって映った。
而して、昨今の中国の主張にも大いなる疑問をもつ。韓国・北朝鮮に然り???
国際社会では、自己主張すること。声を大にして発信しないと不利益を被る。
国内を見れば国会・報道機関共に体たらくだ。曖昧模糊の対応にがくぜんとする。
“もり・かけ”の次って・・今度は旧統一教会問題。犯罪問題を政治に利用する?
国内・国外を問わず、問題の重要度を間違っている。EEZにミサイルが着弾した。
日本の国防は如何に。隣国に対する対処方法が、国民に示されないのはなぜか?
神奈川県横須賀市の在日米国海軍基地脇に大日本帝国海軍・戦艦三笠記念艦がある。
戦艦三笠は、日露戦争の日本海海戦で連合艦隊旗艦を務めた。世界の三大記念艦の一つ。
三笠に面してる海の沖合(1,5km)に無人島の猿島がある。
今では、海水浴・バーベキュー・釣り・散策等のレジャーに使われているようだ。
この島からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点であった。
幕末の1847年に江戸幕府により国内初の台場が築造された。
明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。
島内には煉瓦で覆われた要塞跡が現存している。煉瓦は愛知県の東洋組士族就産所製造。
猿島砲台は、1884(明治17年)年築、現存する数少ないフランドル積の建造物。
1961年まで、日本を占領して横須賀軍港を使用したアメリカ合衆国に接収された。
その間でも1947年に渡船の運航があり、1957年には海水浴場も開かれた。
その後、1993年は海水浴場は閉鎖、航路も廃止されたが1996年に海水浴場は再開された。
2003年になり横須賀市に国から猿島の無償譲与があり「猿島公園」として整備。
以上のような変遷を見ると、今の日本が何をなすべきか見えてくる。
「令和肆年(皇紀2682年)8月18日、記」