和して実を結ぶために
Apr
2
根と幹があるからこそ、
枝葉が育ち、花が咲く。
花が咲くからこそ、人は心を奪われる。
けれど、それは決して、
花だけでは成し得ない。
おまえも咲けと、もっと咲けと、
そう求めたところで、花は咲かない。
その前に、枯れ果てる。
根を伸ばすのに、幹や枝葉を伸ばすのに、
障壁となっているのは何なのか。
精神論で片付くのなら、
根性論で片付くのなら、
抽象論で片付くのなら、
もうとっくに片付いている。
問題の根が蔓延り、
蔓が幹や枝葉にまといつく。
それを断ち切らなければ、
根っこからどうにかしなければ、
解決には至らない。
構造を見直す必要がある。
幾重にも入れ子状になっている構造を
見直す必要がある。
パーツを知らなければ、
構造に迫れない。
構造にメスを入れなければ、
パーツの強みを生かせない。
それらがうまく嚙み合ったとき、
「芸術」が生まれるのかもしれない。
「強固な家」が建つのかもしれない。
「成果」が生まれるのかもしれない。
問題の所在と本質
Apr
2
担当者次第なのだけど。
担当者が代わることで、
いとも簡単に質が揺らいでしまうのであれば、
それはもはや、担当個人の問題ではなく、
組織の問題だと思う。
そして、質を担保するものが、
担当個人の尋常ならざる知識や経験、
能力や努力なのであれば、
それを全員に押し付けるのは違うと思う。
何らかのミスや遅れが
担当個人の怠惰や不注意によるものだとしても、
「ミスの無いように気を付けましょう!」なんて精神論や、
戒告だの減給だのといった懲罰が功を奏するのであれば、
そんなミスや遅れはそもそも起きないか、
起きても大ごとに発展したり、
繰り返されたりすることはないと思う。
いかにミスや遅れを減らすか、
担当個人の努力や創意工夫、
担当同士のノウハウの共有も大事だけれど。
それとは別に、組織として、
いかにチェック機能を働かせるかも大事だと思う。
上司がいとも簡単に、「工夫すればいいでしょ」、
「こうして整理すればいいでしょ」って口にするだけでは、
組織としてのチェック機能は働かない。
全ての責任を担当個人に還元するのはおかしい。
かといえ、上司が常にきめ細やかに
目を光らせていなければいけない状況もおかしい。
システムの問題であり、スキームの問題であり、
構造の問題であると思う。
決して、「個人の問題」ではない。
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