本日は<金子みすゞ>生誕116周年
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20歳の頃から詩を書き始め、1923年に、4つの雑誌に投稿した作品が、すべて掲載されるという快挙を成し遂げました。その4つの雑誌は、「童話」、「婦人倶楽部」、「婦人画報」、「金の星」です。「童話」の選者であった<西條八十>からは、「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されています。
1926年、23歳の時に、書店で働いていた男性と結婚、娘が生まれます。ところが、結婚した男性が放蕩無頼な人物あり、女性問題で書店を追われてしまいます。古い時代のことなので、彼女は夫に従うしかありませんでした。
夫の問題はこれだけで収まらず、彼女の詩作や詩人仲間との交流を禁じます。さらに、他でもらってきた「淋病」を彼女に感染させてしまいます。このようなことから、2人は離婚することになりました。問題は一人娘です。
彼女は手元で育てたいと望みましたが、当時の民放では親権は「子と家を同じくする父」となっていました。夫に親権を要求しましたが、抵抗され、その結果、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺しました。1930年、26歳での死です。
生前、彼女の残した詩作は500遍にも及んだそうです。死後、彼女の残した作品は散逸し、忘れられた存在となっていきました。再び注目されたのは、それから50年ほど後のことになります。
長い年月埋もれていた作品が、児童文学者の<矢崎節夫>(1947年5月5日~)さんの努力で1984年に作品集として出版されます。すると、瞬く間に人気となり、再評価され、小学校の教科書に代表作「わたしと小鳥とすずと」が掲載されるようになりました。
生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に「金子みすゞ記念館」(山口県長門市仙崎1308)が開館しました。記念館の館長は彼女の作品を再び世に送りだした<矢崎節夫>さんです。