大日本帝国海軍の文字がなんだか悲しい・・・。
父親が海軍に入隊した時の写真が出てきた。
当然ながら若いわけですが、
見てるとなんだか感慨深いです・・・。
戦争のことはほぼ何も話さなかったですね。
海軍航空隊に所属していたので、
時々ゼロ戦のことを少し話す時があったな・・・。
ゼロ戦の機体は軽くて、
尾翼のところを大人二人で持って持ち上がってしまうとか、
陸軍の基地に降りた時は、
陸軍の兵隊はかわいそうだったとか言ってました。
印象に残ってたんでしょうね。
作戦部長だった島田繁太郎のことは、
「強気一手張りなんだあいつは」とか、
批判めいたことを言ってました。
飛行場で米軍の艦載機に銃撃を受けたことがあって、
九死に一生を得たと言っていた。
晩年になるとテレビなんかで特攻隊のことが話題になると、
「辛い」ということをよく言うようになりましたね。
なんかかかわりがあったのかなぁ・・・。
北海道の千歳航空隊で終戦。
良く生きてたもんだと思う。
死んじゃったら今の自分はないですからね。
もう少し戦争中の話を聞いておけばよかったと思いますが、
なんだか聞ける雰囲気ではなかったですね・・・。
死ぬ直前になってアメリカに行ってみたいとよく言ってましたよ。
結局、行けないで終わりましたが・・・。
ほんとに優秀な連中が毎日死んでいったからか、
あの連中が生きてたら日本ももう少し違ったのかもしれない・・・。
なんてことを言ってたな・・・。
平和な時代に生まれ育ってよかったなとは思いますね。
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Posted at 2020-08-17 00:34
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Posted at 2020-09-23 02:22
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Posted at 2020-08-17 13:54
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Posted at 2020-09-23 02:24
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