復活のイエスが示すクリスチャンライフ
Apr
3
ヨハネ20:19-23
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
先週は、幸いなイースターを教会の家族と過ごすことができて感謝でした。復活のイエス様は、四十日間五百人ほどの人に現れました。そして、神の国について話されました。今日は、そんなイエス様が弟子たちがいるところに現れて、語られた言葉から学んでいきたいと思います。
① 安息の力の中に生きる
弟子たちは、イエス様を殺した人たちが自分たちをも捕まえるのではないかと、おどおどしていました。そして、戸を閉めて鍵をかけてじっとしていたのです。
そこへ、復活したイエス様が入ってこられました。
第一声「平安があなたがたにあるように」“Peace be with you.” そして、手とわき腹を見せてもう一度、「平安があなたがたにあるように」“Peace to you!” と言われました。
クリスチャンにとって、安息、平安の中を生きるということが一番の力であります。
恐れに凝り固まっていた弟子たちに、「イエス様は平安があるように」と言われました。
私たちは、信仰の世界に生きています。信仰とは、目に見えないものを信じて生きることであります。しかし、この世の中は、目に見えるものを頼りに生きることが当たり前です。もしも、目に見えることだけを頼りにして生きるなら、この弟子たちのように、恐れに凝り固まって、部屋から出ることが出来なくなってしまうのです。「もし、こうなったら。。。」という恐れを元にした信仰は、あなたを不自由にします。イエス様は、こう教えられて入のです。平安を手放してはいけない。
心にいつも平安と、神様にある休みを得ていなさい。何があっても、どんな状況の中にあっても、平安を第一に確保しなさいと。
平安は、神への信頼から来る
② イエスの傷との一体化
イエス様が次ぎにされたことは、20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。20 When He had said this, He showed them His hands and His side.Then the disciples were glad when they saw the Lord.
イエス様は、ご自分の傷を見せられました。弟子たちは、喜びました。これは、何をさしているのでしょうか。私たちと、イエス様の関係は、このイエス様の傷にあります。 イエス様が、私の罪の身代わりとなって十字架についてくださった。苦しみと恥と、罪の罰を一手に引き受けてくださったのです。私たちクリスチャンにとって大切なこと、このイエス様の十字架との一体化なのです。
私の罪、私の恥、私の至らなさ、私醜さ、それから、イエス様の傷にイエス様の十字架に付けられたのだ。十字架をさて、「それは、あそこにあります!」という宣言が私たちをイエス様と一つにするのです。これが無ければ、私とイエス様の関係はないのです。まず、イエス様は、その傷を弟子たちにお見せになりました。。
あなたの罪は、今、今日どこにありますか。そう、あの十字架の上です。あなたの手元ではありません。もし、あなたの手元にあるものがあるのなら、今、今日、あの十字架 に持っていきましょう。
③ あなたは遣わされたもの: 宣教師
次ぎにイエス様が言われました。21「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」21 So Jesus said to them again, “Peace to you! As the Father has sent Me, I also send you.”
イエス様に罪赦されたクリスチャンは、すでに遣わされたものです。何と言う恵みでしょうか。天の父がイエス様を遣わしたように、イエス様に私たちは遣わされているのです。すなわち、父がしていることを見て、事を行なったイエス様のように、私たちもイエス様のしているわざを見て行なうということなのです。
私たちはイエス様が、「私を見たものは、父を見たのです」と言われたとおりに、「私たちを見たものは、イエス様を見たのです」と言うように、イエス様を指し示しながら生きていくのです。
あなたは、自分には何がないから、これがないから、と言い訳をしていませんか、また、特別な人だけが神様に召されていると思っていませんか。イエス様に罪赦された人は、みな、召されているのです。
★小さなさくらちゃんの証し
④ 聖霊と共に働く
22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。22 And when He had said this, He breathed on them, and said to them, “Receive the Holy Spirit.
イエス様は、さあ、宣教師となるために、学校に行きなさいとは言われませんでした。「聖霊を受けなさい」と息を吹きかけられました。
◎息を吹きかけて。。。息は、私たちの命のもと。最初の人アダムに神は息を吹きかけ生きたものとされました。私たちは、体だけでなく、霊が息をしないといけません。私たちの霊が、いのちの基をいただかなければなりません。霊が生きなければなりません。それは、聖霊様です。
そして、私たちの身体が息、空気に頼って一秒一秒生きているように、私たちの霊もまた、聖霊の息に頼って、一秒一秒生きていなければいけません。
私たちは、自覚しなければなりません。肉の力には限りがあること。私たちの肉的な考えは、何も霊的な祝福を生み出さないことを。
聖霊に満たされるとは、とても抽象的に聞こえ、ある人には理解出来ないかもしれませんね。
◎聖霊が来ると。。。次のようなしるしがあります。
ヨハネ14:26を読みましょう。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。... But the Helper, the Holy Spirit, whom the Father will send in My name, He will teach you all things, and bring to your remembrance all things that I said to you.
ヨハネ16:13
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」 However, when He, the Spirit of truth, has come, He will guide you into all truth; for He will not speak on His own authority, but whatever He hears He will speak; and He will tell you things to come.
◎聖霊様に満たされあふれる体験、聖霊のバプテスマ
使途1:8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」8 But you shall receive power when the Holy Spirit has come upon you; and you shall be witnesses to Me in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the end of the earth.”
力を受ける。恐れが無くなる。★私の証し。
神の力に頼る、神の力で生きる生活がクリスチャン生活なのです。
⑤ 赦すものとなる
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」23 If you forgive the sins of any, they are forgiven them; if you retain the sins of any, they are retained.”
赦しとは、相手を責め、損害賠償を請求する権利を放棄することです。
赦しの反対、裁きとは、何週間か前にお話ししまたが、いのちを断つことです。人間関係の間で、裁きがあるならば、その人とあなたの間に、いのちや愛が行き交うことはありません。その道が断たれてしまいます。そこには、神の祝福がありません。
イエス様は言われました、この地に来られたのは、裁きのためではなく、救いのために来られました。天の御国の行使として、赦しを示されました。
私たちも、父がイエス様を遣わしたように、イエス様に遣わされたものたちです。私たちは、赦しの使者であります。
そして、イエス様の赦しが二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、平和を作り出しました。
私たちは、平和をつくるものとされたのです。
赦し、和解をもたらすことがクリスチャンの使命であります。
★アーミッシュの赦しのお話し:
私がアメリカに来たころ、2006年に話題になっていた出来事がありました。それは、クリスチャンを狙った人質銃撃事件でした。五人の少女たちが命を落とし、五人が怪我をしました。なんとも、自分勝手で、卑劣な事件でした。しかし、世の中を揺さぶる出来事がありました。それは、このアーミッシュ(クリスチャン)が犯人を赦したことでした。この行動を「不相応な赦し」として愚かだという人たちもいました。また、これぞ、キリスト教と言われ、世界中でニュースとなりました。なんと、海外から、イスラム教の人たちから尊敬の手紙がぞくぞくと届きました。アーミッシュは、相手をゆるすことで、平和をつくりました。
パワフルな出来事です。
赦すことは簡単ではありません。しかし、「不相応な赦し」を受けたのは、この犯人だけではありません。この私もキリストに「不相応な赦し」を受けたものなのです。
赦しを受けたものとして、また人も赦すのがクリスチャンの務めです。
イエス様の言葉を重く受け止めましょう。
私たちが罪を赦すなら、その人の罪は赦され、とあります。23 If you forgive the sins of any, they are forgiven them; if you retain the sins of any, they are retained.”
イエス様は、私たちを小さなキリストだと言われているのではないしょうか。
今週これらのことを黙想しながら、歩んで行きましょう。
ぼ
Posted at 2016-04-03 17:08
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Posted at 2016-04-04 13:25
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Posted at 2016-04-04 03:54
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Posted at 2016-04-04 13:26
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