2016年7月31日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/24jFML1Z5r4 一つ心、一つmindのコミュニティの中で、欠かせないことがあります。それは、英語では、Sonship と言いますが、日本語では、「子であること」です。子であることがなぜ、一つになることにおいて重要なのかでしょうか。 次の聖書の個所を読んでみましょう。ルカ15:11-32 11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」 真のコミュニティを建て上げるために、またキリストの体が一つになるために、サンシップ/子であることが分からなければ、難しいのです。子であこと、については、しばしば、日本人教会でも語られて来ましたが、今週からシリーズで語りたいと思います。 まず、子であることはどういうことか。その初めについて話したいと思います。「子であること」が理解しにくい人は、きっとその反対、「孤児」である状態を説明したらよく理解できると思います。そして、子である資質について、話すためには、子として癒されている必要があります。今日は、神様が皆さんを癒しにまで持っていってくだされば、また癒しのヒントになればと思っています。 先ほど読んだのは、有名な放蕩息子の話ですね。 残念ながら、二人の息子たちは、素晴らしい父を持ちながら孤児の心をもって生きていたようです。 ★ 罪→恥→分離/分裂 今まで、ワンネスの話しをしていますが、初めの人アダムとエバの堕落から、人間の頭に何が刷り込まれたか、どんな呪縛を受けているのか習いましたね。そうです。罪が入り、罪の結果呪いが入りました。 三つのマインドセットが入りました。1) 競争のマインドセット 2) 分裂のマインドセット 3) 永遠観の喪失 これらは、罪の力の働くところにおいて必ずむくむくと出てくるものなのです。この堕落から来たマインドセットが人生を動かしているのが孤児の心です。 この中で、弟も、兄も父に対して、孤児的なものの考えをしているのを見ることができるでしょうか。弟は、父を多くの人を雇っている事業主と思っています。自分は、ラッキーなことに血がつながっているから、財産がもらえる。財産だけもらって後は、好き勝手に生きよう。全く、父の心など構いません。父の心など知りたいとも思っていません。 兄はまた、好き勝手する弟に嫉妬し、父は自分が上手に事業を手伝っていればさえ幸せなんだと勘違いして生きていました。父は、たくさんの従業員の主人で、自分にとっても主人だとおもっていたのです。甘えることもできない、自分のことを知ってもくれない人だと勘違いしていたのです。 兄は、直接父に対して罪は犯していないが、心の中で罪を犯し、父を裁き、父の心から自分を離し、孤児の心をもっていたのです。 二人の息子とも、父の間に大きな溝がありました。それは、父が作ったのではありません。息子たちが勝手に父のイメージを曲げ、自分から溝を作ったのです。 これが、孤児的考え方なのです。孤児のマインドセットなのです。このマインドセットがある限り、私たちは、父なる神とも一つになれず、また、横のつながり、兄弟姉妹とも一つになることは不可能になってきます。 孤児は、罪から来る恥に根差したメンタリティ、子は、父なる神の豊かさ、愛に根差してるメンタリティ。罪を犯したら、自分を隠したくなる。これは、恥です。恥があると、人を避けたい。自分を隠したい。だから、神様との距離もできる。初めの人、アダムとエバのように、恥が自分を真の愛のコミュニティから自分を分離させる。 ★孤児の心と、神の子の心 孤児と子の考え方の違い。パワーポイントの表を見る。上の写真にある表です。 孤児の生き方は、本当にしんどい生き方ですね。心に休みがありませんね。神様と離れた心、人生というのには、このように休み、安息がありません。。。ちょうど、放蕩息子が経験したように、奴隷のような気持の持ち方ですね。 ★孤児根性からの脱却 悔い改め この二人の息子に、今日読んだ個所で大きな変化がありました。それは、弟の回心です。弟は、お金持ちの立派な家に生まれながら、父の心を知らないがために、落ちぶれ、豚の餌を食べるようにさえなってしまった。その時、我にかえったのです。自分の姿に気が付き、父の懐に帰ろうと思ったのです。 ★恥を栄誉に取り換える神の愛 一番兄を怒らせたのは、他でもない、あのダメ弟が帰ってきて、なんと相続財産を持って行ったものにも関わらず、父が、靴を履かせ、指輪を与え、そして、最高の着物を着せました。 22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。22 “But the father said to his servants, ‘Bring out the best robe and put it on him, and put a ring on his hand and sandals on his feet. 私たちの神は、恥の中にいる私たちに手を差し伸べ、栄誉をもって私たちを迎え、恥から解放してくださる神なのです。 〇指輪…日本の実印のように、権威の象徴 〇良い着物…父の家のマントル。油注ぎ 〇サンダル履物…奴隷の身分からの完全な解放。奴隷の身分はみなはだしであった。これからは、はだしていなくてもよい。 私たちを変えることができるのは父の愛です。 今日、みなさんにお勧めします。父のもとに帰りましょう。先ほどの表にある、孤児の心が少しでもあると分かったら、私たちの創造主父なる神の懐に帰りましょう。天の父は、とても優しく、私たちを迎えてくださいます。 ぼ
Posted at 2016-08-01 19:33
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Posted at 2016-08-01 22:30
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