Sabbath ⑥ Returning Rhythm 主に帰る和解のリズム
Mar
11
ホセアHosea14
イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。2 あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。3 アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」4 わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。5 わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。6 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。7 彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。8 エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りのある者はだれ。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。
安息日シリーズ六回目と続いています。皆さん、安息日のコンセプトは、私たちが誰によりたのんでいるかを明らかにしますね。自分の偶像が何であるのか、誰に信頼するのかということを浮き彫りにします。今日は、魂のよりどころである主にフォーカスをあててみたいと思います。
★福音と安息
創世記の二章、三章、創造の御業と人間が造られたところ、 神の福音が隠されていることは、皆さんもご存知ですね。アダムとエバが、神の掟に背いて罪を犯して、神から隠れていたとき、神は、なんとおっしゃったでしょうか。「あなたは、どこにいるのか?」でした。今日の安息のコンセプトは、私たちを探していらっしゃる神、あなたはどこにいるのか? と問われる神に帰ることについて話したいと思います。
この意味で、天地創造当時に与えられた安息とは、福音の先駆け、原福音ともいうことができます。Proto Gospel
★出エジEx20:8
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」“Remember the Sabbath day, to keep it holy.
Leviticusレビ20:26
あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる。主であるわたしは聖であり、あなたがたをわたしのものにしようと、国々の民からえり分けたからである。』26 And you shall be holy to Me, for I the Lord am holy, and have separated you from the peoples, that you should be Mine.
Remembering is major prophets’ work. Trauma lens. Inviting people to deep grief work.
〇どのようにして聖く保つことができるのでしょうか。聖さとは何でしょうか。聖であることは私たちにとってどういうことでしょうか。心の片隅に置いて聞いてください。
ユダヤの文化には、特別な安息日というものがあります。それは、Shabbat Shuva という安息日です。この日は、Rosh Hashanah and Yom Kippur ハッシャーナーロッシュ新年、日本の元旦ですね。と、ヨムキプールは贖罪の日と呼ばれ、神に一年分罪の許しを請う日です。
旧約の時代には、大贖罪の日には大祭司が年に一度、選ばれた一人が至聖所に血を持って入ることができ、民の罪の贖いをする大事な日でした。
この間の安息日には、断食をするのだそうです。普段の安息日は喜びと楽しみと食べ物がありますが、この新年と大贖罪日の間の特別な安息日シャバットシューバ、この日は、食べないのだそうです。身を慎み、一年を振り返り自分の罪と向き合うのです。
そして、その時に、冒頭読んだみ言葉と次のみ言葉が読まれます。
ミカMicah 7:18-20
18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。20 昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください。
★主に立ち帰るリズム
The word Shabbat looks like this in Hebrew: תבּשׂ (Shabbat) בּשׂ Shab – return, restore, refresh ת Tav – sign or mark
安息日という言葉は、シャバットと言いますが、「休む、やっているとをやめる」などの意味がありますが、二つの言葉から成っています。シャブは「帰る、回復する、新たにすると」いう意味があり、タブは、印、マーク。私たちが安息を守るということは、しるしにいつも帰るということです。私たちは、安息ごとにこのしるしに帰るのです。
私たちへのしるしは。。。。そうイエス様ですね。
今日、私たちが教えられていることは、安息は贖罪に結びついているということで、安息は、過去を振り返らなければ入ることができないものでもあるということです。
そして、定期的に戻るものです。そこには、涙もあるでしょうし、悲しみもあるでしょう。
しかし、これは、真の安息に入る前味です。
私たちの真の安息は、真の大祭司イエス・キリストによります。イエス様が罪のない小羊としてご自分を神に捧げました。新約聖書で覚えていらっしゃると思いますが、イエス様が十字架にかけられた時に、至聖所の幕が上から下に真っ二つに裂けました。それは、今まで毎年一年しか入れない至聖所との仕切りがなくなったということです。誰でも、イエス様にあるならば、至聖所、神様にアクセスできるということです。神様と一つコミュニティになることができるというこです。
先ほど読んだとおりに、私が聖であるとおりに、あなた方も聖であれ、という神の期待を完全に満たすことができるのは、私たちの罪を取り除くことができるキリストのみです。キリストの前に罪を認め、罪を悔い改めるなら、だれでも、キリストの義に隠されて、聖であることが実現します。そして、罪との闘いから解放されて、魂の安息に入ることができるのです。ここに、神との和解があります。
神との和解は、人との和解をもたらします。これは、安息日の心です。しかし、うまく行かないのです。。。。私たちの心が安息に入っていないならば。。。。
<私の安息の宿題の話し> 安息失敗談。。
学校の実践の宿題で、一人での安息体験、コミュニティでの安息体験、安息を知らない人との安息体験をすることがありました。
私は、安息をまだ知らない人のことで考えました。。未信者の人たち、それか貧しい人たちを読んでもてなそうか。。。とかいろいろと。。でも、どれも、宗教臭くなって違うなーと思っていました。誰が私の心に近くて、神様が望んでおられることか。。。あ、そうだ、エリックのお母さん、引っ越しで大変だし、安息するために連れ出してあげよう。と思いました。平安が来ました。しかし、やってみるとうまく行きませんでした。お母さんをいい気分にしてあげようと思ったのだけど、彼女もストレスがいっぱいで、会話もしんどく。。。自分からいろいろとイライラしていまいました。それは、過去の解決していないoffenseと、お母さんのことにいらいらしたりと、、私はイエス様をその場所に連れて行くことができませんでした。なぜなら、安息日の贖罪のイエス様にしっかりと繋がっていなかったからです。
シリーズでも言っていますが、安息日は、全ての人のためです。私たちコミュニティが、また、ストレンジャーを迎え、ともに休みに入る日です。
しかし、このように、私たちの罪がまず一番に解決されてなければ、私たちが、神との和解の中にまず住んでいなければ、とても難しく、形だけのものになってしまうのです。
安息日ごとに、ただ喜び楽しむだけではなく、私がどこに帰るのか、ということをしっかりと覚えたいと思います。これが、聖への道です。「あなたは、どこにいるのか」と探してくれる神様のところに、いつも帰るものでありたいと思います。私が聖であるようにあなた方にも聖でいて欲しい、と言われる神様の元に行きましょう。