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記念の石 A Memorial Stone

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記念の石 A Memorial...

1/31/21 バイリンガル礼拝メッセージ


ヨシュア記Joshua4: 5 -7
ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたがたの神、主の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。6 それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか』と聞いたなら、7 あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」

★聖句の背景 Context of the Scripture
いよいよ、ヨシュアはモーセというリーダーについて今まで荒野を旅し、そして約束の地を前にします。イスラエルの民は、それまでは雲と火によって導かれていたが、今回、約束の地では契約の箱が先頭に立って民を導いて行ったのです。
今日の箇所の前の章、三章を見てみましょう。

ヨシュアJoshua3:13
全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
And as soon as the priests who carry the ark of the Lord—the Lord of all the earth—set foot in the Jordan, its waters flowing downstream will be cut off and stand up in a heap.”

●ヨルダンを渡る経験 Crossing Jordan River
水が神の奇跡によってせき止められるというのは、モーセが民を率いて紅海を渡ったことに似ています。しかし、ここで違うのは、民はモーセが杖を上げただけで水が分かれたのをみたのと、ヨシュアの場合には、祭司たち全員の足の裏が、荒い水流に耐えて全員がしっかりと川底にふんばって立った時に水が止まったことです。
すなわち、モーセの時には、水が上がってから民は渡ったのですが、
ヨシュアの時には、荒い水流の中に自分たちの足を入れて、最後の祭司の足の裏が安定するまで耐えて立たたなくていけなかったのです。

どちらが信仰が必要でしょうか。後者ですね。目で見て水が上がってる時か、目に見える現実がまだ激しい川の流れかの違いです。

ヨルダンは信仰によって神の目的地に行くことを象徴しています。
また、ヨルダンでは、契約の箱が一番に水に入りました。契約の箱には、モーセの十戒、アロンの杖、そしてマナのつぼが入っていました。
この意味は、神の臨在現わされるところ聖なる至聖所と知られていますが、それに含まれるのは、神の律法である十の戒律、掟、そして、神こそがリーダーとしてアロンを選んだというしるし、神の召しのしるし、そして、神に従うものは必ず神が天から養ってくださるというしるし、マナが含まれます。
私たちは、神の目的に従って、約束の地に入るために激しい川の流れに足を入れることがあります。その時に、私達が
神の教えを信じ、第一とし、神に自分が選ばれてここにあることをしっかりと受け止め、そして、従うものには神の養いがある。お金の心配食べる物の心配はしなくていいことをはっきり信じる時に、神の御臨在があるのです。

私たちは、約束の地に入る時に、このようなことをはっきりと確信しなければいけません。

私たちの中で、救いのあと、今、約束の地に足を踏み入れようとしている人がいるかも知れません。ぜひ、この三つを信じてください。

そして、信じて、水の中に足を入れるのです。

★水を渡って After crossing the river
ヨシュアたちはいよいよ、約束の地を自分たちのものとする時が近づいていた。これから、激戦が繰り広げられ、さらなる神の御業とさらなる葛藤が待っている。導きではあるということが分かっているものの。それ以外は未知数である。神にのみしか確かなものが無いという時であった。

今、同じような岐路に立っている方もいるのではないでしょうか。今まで走ってきた、本当ならひと段落着きたいが、目の前にまだ神が導いて下さっている戦いがたくさんある。

そんな時、ヨシュアが民に命じたことは

★一人一人が石をもってくる Bring a stone
一人一人、十二部族の代表が川から石を持ってきなさい。ということでした。それを、ヨルダンを渡った記念とするためでした。あなたが何を信じ、どんな思いでこれを渡り、どんな願いを持って渡ったのか、神がどのようにその信仰に答え、水をせき止めてくださったのか、その奇跡を忘れないために、記念の石をとりなさいと言ったのです。

★神の知恵 God’s wisdom
これは、すばらしい神の知恵です。なぜなら私たちは忘れやすいのです。私たちは、信仰を用いて、今まで生きてきました。たくさんの悩みや痛み、ととに神のご介入を経験してきました。

神のはげまし――― 私の証し。私も最近鬱から解放された経験があります。それは、ただ長い散歩をしている時に、神様が一つ一つ思い出させてくださったのです。私の人生に何があったのか。どのように神が助けてくださったのが、どんな風に信じて、どんな奇跡があったのか。わたしに悪さをした人たちが最終的にどうなったのかなど。。。。そうすると、どんどん元気が出てきました。一人ではない。私はまだできる。と希望が湧いてきました。

実際に、ヨシュアたちは、これからどんどん戦いに入っていきます。成功的な戦いもあれば、困難なものや、失敗も経験します。また、疲れすぎて約束を手放しそうになる部族も出てきます。だからこそ、ヨシュアは、記念の石を自分の手で取ってきて、忘れないように、記憶の場所を作ったのです。

★覚えて感謝する Remember for thanksgiving
聖書は繰り返し、私達に忘れないようにと警告、またはげまされます。

詩篇Psalms103:1-5
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
Praise the Lord, my soul; all my inmost being, praise his holy name. 2 Praise the Lord, my soul,
and forget not all his benefits— 3 who forgives all your sins and heals all your diseases,
4 who redeems your life from the pit and crowns you with love and compassion,
5 who satisfies your desires with good things so that your youth is renewed like the eagle’s.

主と自分との思い出を数えることは力です。
ぜひ、今あなたがいるそのところで、その状況で、神を信じ、神の導きと、備えを信じましょう。また、戦いをすることになれているあなたも、神に感謝しつつ、神を賛美しつつ霊をやしない力をいただいて行きましょう。しばらく、祈りましょう。感謝を数えましょう。
#ヨシュア記 #礼拝

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キリストを通してでなければ

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キリストを通してでなければ

2021年1月24日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ



ヨハネJohn14:1-7
1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。
5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

まだイエス様を信じてなくて、迷っている人によく聞かれるのは、なぜイエス様じゃないといけないのですか?なぜ、慈悲深い神ならば、だれでもどんな方法でも救ってくれたらいいのではないですか?と言います。私たちは、自分たちの心の中の葛藤を投影し、独自の解放策を頭で作りだすものです。ただ、私達には何が放蕩の解放策かということを知らないのです。救いは、人の考えによらないからです。人が考え出すの救いの策が宗教です。しかし、イエス様はむしろ宗教を壊しに来られました。もっとパワフルなものを私たちに与えるために。
しかし、この聖書の箇所で分かるように弟子たちも迷っていました。

★心が騒ぐ時 When you are anxious
イエス様は、この前に、ご自分が去って行かれること、これから起きる苦しみについて弟子たちに話していました。弟子たちの頭は混乱しました。今まで全てを捨ててついてきたイエス様がいなくなる。苦しみ? 心が騒いで仕方がありませんでした。イエス様はローマ帝国を倒せずに捕まるのだろうか。。。と不安になったのです。
私達も、先に試練が来ることを察知する時に、心が騒いで頭で何も考えられなくなることが多いですね。落ち着いて、今までのイエス様のメッセージを思い出したり、出来ればいいのですが、同様してしまって、恐れに飲み込まれてしまいます。
そんな時、イエス様は、はっきりと、恐れや疑いに対して対処法を示しています。
それは、
神を信じ、またイエス様を信じることです。

以前にも言いましたが、私たちの脳には恐れと信頼は両立しないのです。恐れる時に恐れが頭を乗っ取ってしまう。また、疑い恐れは、信仰の反対方向に同じ働きをする。すなわち、まだ見ていない事を起きたと信じることであり、私たちは信じたとおりに自己と人生を形成してしまうのです。

イエス様は、はっきり、あなたに、
神を信じ、またわたしを信じない。とおっしゃられます。

★場所を備えにPreparing the place
というのも、神、イエス様は、ご自分のしておられることを知っておられるからです。なるほど、私達も結末を知っていたら、恐れることはないのだと思います。ハリウッド映画も、最後にハッピーエンドが来るからどんな過激な戦いのシーンでも安心して観られます。分かっているのです、最後に正義が勝つと。

神は、ご計画を持って、全てを導いておられます。たとえ、悪が一瞬勝つように見えても。イエス様は、捕まえられ、裁判にかけられ、文字通り苦しまれたし、それを見ると負けているように見えますね。
しかし、イエス様は、これを
私たちのために場所を備えにいく。と言われました。
どんな場所でしょうか。
それは、イエス様がもともとおられる場所。わたしがいるところにあなた方をおらせるために、イエス様は、ここから起きてくる苦しみに立ち向かわれるのです。
最終的には天国です。

それをはっきりと知ってい、神を信頼していたら、弟子たちは、心を騒がすどころか、祈り深く、信じ、神妙に待ったのではないでしょうか。

★わたしの行く道 The Way
イエス様は、V4わたしの行く道はあなたがたも知っていますYou know the way to the place where I am goingといいますが、トマスは言います、どこですか、どうやってその道が分かりますか?と聞き返します。Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?”

イエス様がどこに行くのか?
私たちがどこに行くのか?
どうやって行くのか?
この三つが分からないと、トマスはいいます。
確かに、まだイエス様と個人的に出会っていない人の質問はこのようです。
〇死後どこにいくのか?天国はあるのか?または、苦しみからの解放はあるのか?天国にはどうやったらいけるのか?
これは人類共通の質問です。

★わたしは道、真理、いのちI am the way and the truth and the life.
イエス様は答えられます。その答えは、イエス・キリストであると。
イエス様が道であり、真理であり、いのちであると。
すなわち、イエス様が天国にたどり着くための道である。ですから、イエス様について行ったら、いいのです。イエス様に注目していたらいいのです。また天国にたどりつく方法、真理、であります。どのようにして、というのは、イエス様です。真理、すなわち救いの方法はこの真理に限ります。罪の無いお方が、完全な神であり、人であられるイエス様が私の罪の身代わりとなってその刑罰を受けられる、これが真理です。これが、どのようにしてです。これを信じるなら救われるのです。宗教をやって救いに至るのではありません。イエス様を信じることが救いです。
また、イエス様は、いのちであると言われました。イエス様を信じることが私たちのいのちであります。私たちは、元気を失ったり、心配したり恐れたり、して、生きた心地というものを忘れることがあります。しかし、イエス様に繋がる時には、いのちが心にあふれ、元気になります。また希望がでます。そして、さらに道であるイエス様に従う活力をいただけます。そのいのちは永遠に続きます。
私たちは死んでも死なないのです。
私も今週、イエス様の命を毎日体験させてもらいました。祈りが効かれるのです。小さないのりです。仕事に神の助けがあるように祈りますと、本当に助けが与えられます。短時間で物事を終わらせることが出来ました。本当に、それを感謝するときにいのちがまた溢れます。

★排他的?Exclusive?
V6わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。No one comes to the Father except through me.
キリスト教は排他的であるという人たちがいます。しかし、他の宗教も排他的です。いろいろな宗教があります、しかし、いい人になれたり、毎日いい気分になれたり、人生が成功しても、救いの確信と日々の力はキリスト以外に誰も与えることはできません。

★父を見た Seeing Father God
イエス様は、わたしを見たならすでに父を見てる。と言いました。その後、ピリポは見せてください信じるからと言います。
見えない神は、肉をとってきてくださった、キリストに具現されました。キリストの行動、発言に全て表されています。
そして、自分の見たいように見せてくれたら信じるというのは、もはや信仰ではありません。

ヘブルHebrew11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.

ヘブルHebrew11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

見たいように見せろという要求に気をつけてください。
私たちも伝道する時に、その質問に踊らされる必要はありません。

ただ、イエス様が言われるように、父が私におられ、私が父におられる、信じられないなら、私の業を見てみなさい。と。

★今私達がすべきことWhat do we do?
私達クリスチャンも、自分の足でたち、父の業をすることを今日チャレンジさてれいます。神は目に見えない。しかし、その方に従うものの内におられる。あなたが、神の手紙です。あなたの行い、言動によって人は神を知るのです。
神学論争で勝つことではない。神の愛を態度で示すことです。

天国までの道を、恐れず、とまどわず、キリストから目を離さないで行きましょう。
#礼拝 #道

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嫉妬の構造 カインとアベル  

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嫉妬の構造 カインとアベル  ...
  
2021年2月14日曜日バイリンガル礼拝動画はこちらから


創世記Genesis 4:1-13
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。6そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7 あなたは正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」8 しかし、カインはアベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。9 主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。11 今や、あなたはその土地にのろわれてりう。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」13 カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。

アダムとエバに子どもたちが産まれた。長男がカイン、そして次男がアベル。そして、二人は成長し、自分で働くようになり。神に捧げ物持って行った。
今日は、この二人の子ども、カインとアベルの捧げ物とそれにまつわる出来事から、学んで行きたいと思います。

★贖い・救いの待望 Awaiting Redemption
アダムとエバは、動物の皮衣を着せてもらっただけでなく、神様から救いの約束をいただきます。創世記3:15 に女の子孫から救い主がでると約束された。
アダムとエバは、救いを待ち望むがあまり、長子をカイン、「わたしは得た」Possession, a spear と名付けました。そして、そうでないことを悟り、次男はアベル「空虚」Vanity, vapor, breath. まるで救いが無いことがいかにむなしいかということを表現しているようです。

★贖いについて Redemption
贖いというのは、代価を払って買い戻すという意味です。例えば、私が奴隷の身になります、私を自由の身にするためには、誰かが、私の働きの分の代価を払う必要があります。誰かが来てその金額を払うと、私はその奴隷とされた場所から解放され自由になります。救いの原理もそうです。アダムとエバは罪を犯し、エデンにいられなくなり、死ぬようになりましたが、それから解放されるには、誰かが代価を払わなければなりませんでした。神様は毛皮を着せ、かれらに誰かの命の代価を払って彼らの恥が覆われることを暗示し教えられました。救い主が来る、すなわち、救い主が命の代価を払ってくれるということを彼らは分かっていました。

さて、カインは田畑を耕すものとなり、アベルは家畜を飼いました。
二人が神の前に捧げものを持ってきました。

★捧げもの Offering
V3-4 3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、And in the process of time it came to pass that Cain brought an offering of the fruit of the ground to the LORD. 4 Abel also brought of the firstborn of his flock and of their fat.

そして、聖書には、神はアベルの捧げものに目をとめられたrespectedとあります。どうしてでしょうか。贖いと信仰の見方が重要になってきます。

●カインの捧げもの Cain’s offering
この箇所は私たちの教会でも初穂の原理について話す時に引用する箇所ですが、今日は初穂のお話は省きたいと思いますが、カインはある時期になって地の収穫物を神に持ってきたとあります。が、それが初穂であったとは特筆されていません。
本来ならば、一番初めに取れたものを神に持ってくるのが相応しい捧げもの、贖いの法則から行くと、残りの全ての収穫が贖われるという法則であります。

箴言3:9-10
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。9 Honor the LORD with your possessions,And with the firstfruits of all your increase; 10 So your barns will be filled with plenty,
And your vats will overflow with new wine.

カインの捧げものは、自分の働く田畑で取れたものでしたが、一番に取れたものではありませんでした。
言わば、彼は、彼の行いを神に捧げたのでした。
汗水たらして働いたことには変わりはありません。しかし、そこには信仰が必要ありませんでした。一生懸命働いた一部を、神に捧げるという「行事」にしたのです。
これは、宗教に当てはまります。少しでも神にお近づきになろうと、人間的な努力と、人間的な考えで神に近づこうとするのです。

これには、救いがありません。
ご覧の通り、信仰も必要ありません。

●行いの罠
行いに頼る宗教は、信仰が分かりません。信仰は神の業に期待し、信頼しますが、行いに頼る宗教は、自分の行いを信頼していることになります。神を信じる必要はない野です。
ですから、信仰はあるないであり、大小ではありません。注意してください。あの人の信仰は大きい、なーんて言うことは危険です。しかし、信頼度は贖いの理解から来る捧げものによって目に見えますね。アベルのように。

●アベルの捧げもの Abel’s Offering
一方で、アベルの捧げものは、初子の中で一番最上を持ってきたとあります。
英語では脂肪とあります。日本語では最上のものとある。脂肪は最上の捧げものと位置付けられているのでしょう。なぜかというと、脂肪を捧げたことは、最上の動物をほふっているということ。動物の血が神の前に流されたということです。そこに犠牲が伴っている。幕屋でも脂肪を神の前に焼き尽くして捧げることを指定されいてますように。また、脂肪は、人の情欲を示すものであり、人間中心の想いや欲を神の前に焼き尽くしていることがうかがえる。
アベルは初子の最上を神に捧げつくした。ここには行いだけではなく、信仰が伴っています。

へブルHebrews 11:4
4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
By faith Abel offered to God a more excellent sacrifice than Cain, through which he obtained witness that he was righteous, God testifying of his gifts; and through it he being dead still speaks.

★カインの恥 Cain’s Shame
神は、アベルの捧げものに目をとめられたとは書いてますが、カインの捧げものを拒否したとは書いてありません。しかし、カインにはそれが耐えられませんでした。
恥は、大好きな神様の顔が自分に向かなかったことから来ました。
恥を考える時に、恥を感じることができるように私たちの脳が造られているのは、まぎれもなく神様のデザインです。
よく話しでいるので繰り返しませんが、恥の癒しは、共感、エンパシーです。憐れみです。
私達も恥を感じて、カインのように顔を覆い下を向きたいことがありますね。
その時は、自分に優しく、なぐさめ、では、次はどうしたらよいかと興味を持てばいいのです。恥は、探求心のために、自己向上のために用いられるべきです。
このように自分の内側で恥を消化できればいいのですが、カインはもう一つのやり方をとりました。

それは、自分の外に恥を向けることでした。それはアベルです。恥を妬みに変え、恥を恨みに変え、相手を消す、殺すことで恥を抹殺しようとしたのです。というのもアベルがいることで自分の恥が消えないからです。

日常の生活の中で私たちはこんな極端な経験をすることが無いかも知れませんが、どうぞ、心に耳をすましてみてください。
モーセの十戒では、

出エジEx 20:17
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。
“You shall not covet your neighbor’s house; you shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.”

とあり、他人のステイタスを欲しがってはいけない、すなわちうらやんではいけないと言っています。十戒にあるからには人類の幸せにとって大切な教えなのです。

ブリネ・ブラウンも著書の中で、恥と妬みについてこのように表現されていました。
妬みと恥の関係ですが、自分の足りないと思っているところについて、すなわち隠れて恥を持っている部分について、他人の中にそれを成功的に持っている人を捜して妬ましく思い、攻撃するというのです。攻撃というのは、裁くということです。
彼女は例を挙げていましたが、自分と似ているポジションの人にからく評価したり裁きをしやすいのです。たとえばあなたがリーダーなら、いや牧師なら、他の牧師を裁きやすくなる、というのです。
それは当たっています。例えば牧師として自分に自信がない、恥を感じているからこそ、他の牧師を裁きたくなる。。。

今、あなたは誰かを裁いているでしょうか。裁きは、人間関係を断ち、良いものが流れなくなります、いのちの交流を断ちます。ちょうどカインがアベルを殺したように。
裁かなようにと気をつけるよりも、自分の恥がどこにあるのか、考えることと、その恥に優しくし、自分のペースで自分を愛することと神に教えられることが大切です。

自分に厳しい人は他人にも厳しい。
自分の恥が解決してない人は、人を裁きやすく、人を妬みやすい。

神は七節で自分で治めなさいと言われました。
自分に優しくもう一度やってみようと向上のため立ち上がることをしたいですね。

★神の恵み God’s Grace
神は、いつもお優しい。私達は神の恵みの中で成長します。
みなさん、このカインに何が起きたか知っていますか? 神は、彼の命を守られました。のがれの場所を備えられました。そして、カインからエノクが生まれている。エノクはみなさんご存知の通り、神にとても愛されて、死なずに天に行きました。
なんという慰めでしょうか。

今週も神の恵みに頼り、神を信じ、神にお仕えして行きましょう。
キリストの贖いは完全であります。
#嫉妬 #礼拝

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私達共通の召しOne Calling we share

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私達共通の召しOne Call...
2021年1月17日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


コロナ禍で、会えないことがもう一年近く続いています。年末には証し礼拝をして大変恵まれました。一人一人がその神に与えられた賜物に従って、キリストに従っておられたからです。それぞれに神に用いられていました。感謝です。今日は、そんな私達に与えられた賜物の他に、クリスチャンが共通して神に与えられてる召しについて話していきたいと思います。

1ペテロPeter 3:8-9
8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。Finally, be ye all of one mind, having compassion one of another, love as brethren, be pitiful, be courteous:9 Not rendering evil for evil, or railing for railing: but contrariwise blessing; knowing that ye are thereunto called, that ye should inherit a blessing.

1ペテロPeter 3:14-17
14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。But even if you should suffer for righteousness’ sake, you are blessed. “And do not be afraid of their threats, nor be troubled.” 15 But sanctify the Lord God in your hearts, and always be ready to give a defense to everyone who asks you a reason for the hope that is in you, with meekness and fear; 16 having a good conscience, that when they defame you as evildoers, those who revile your good conduct in Christ may be ashamed.

★ペテロ書のテーマ Theme
ペテロへの手紙のテーマは、「迫害の中でどう生きるか」ということです。自分の信じていることが故に、自分に苦難が降りかかってくる、人々が故意にあなたを信仰ゆえに傷つけようとしてくるのです。日本にいる時は、しょっちゅう感じていました。また、アメリカにいても、昨今、州にもよりますが、信仰を持っていることはなかなか議論を呼んでしまうこともあるようになってきました。
ペテロ書では、そんな迫害の中、主に従い続けること、委ねることなども書かれています。
しかし、ペテロ書が私たちに与えている中心メッセージは、苦しむことをがまんしなさい。というメッセージではありません。
苦しみが焦点ではないのです。
ペテロ書では、苦しみにあっても、驚いてはいけない、喜びなさいとあります。
それは、苦しみの理由が義のためであるからです。焦点は、苦しみでも、我慢でもなく、義です。義のために苦しむということが肯定されている。

★常に弁明の用意を Ready to give a defense
私達は、キリストによって、罪ゆるされ、義とされました。そして、私たちは、これに勝る幸せは世界中どこにもないことを知っています。また、義とされているという確信は強く、これを私達から奪い去ることは誰にも許されていません。私たちは身体を焼かれたり傷つけられても、この確信を失うことは不可能です。この確信があるからこそ、私たちは天国の約束があり、永遠の命が与えられているのです。

義のために苦しむことは私たちも経験があり、多くあると思います。
今日、新たに覚えていただきたいことは、ペテロ書は、弁明の用意を強く勧めていることです。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。But sanctify the Lord God in your hearts, and always be ready to give a defense to everyone who asks you a reason for the hope that is in you, with meekness and fear;

★伝道Apologetics
この弁明というのは、英語でapologeticsの意味を含んでいます。すなわち、私達が信じている方について説明し、それが正しいと言うことを示す言葉です。ですから、伝道という意味に使うこともあります。ギリシャ語のアポロジア、弁明するという言葉から来ています。いつでも、「あなたがたのうちにある希望」について聞かれたらわたしたは説明するという召しがあるのです。これは、キリスト者の共通の召しなのです。

〇態度と行動で示すキリストChrist is in your action and attitude
ただし、v16 優しく、慎み恐れて、また、正しい良心with meekness and fear; having a good conscienceをもって弁明しなさい。
 
みなさん、福音書は新約聖書に四つありますが、多くの人はそれらを読んでクリスチャンになったのではありません。ほとんどの人が、第五の福音書、あなたという一人のクリスチャンのうちにある希望と、あなたの行動と態度からみえるキリストにひかれてイエス様を信じるのです。
ペテロ書は、迫害の中でも、それを忘れてはいけないと言っています。
簡単なことではありません。しかし、あなたが弁明を迫られる時に、はっきりとキリストを指し示す用意ができますように。お祈りします。

★教会としてAs body of Christ
8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。Finally, be ye all of one mind, having compassion one another, love as brethren, be pitiful, be courteous:9 Not rendering evil for evil, or railing for railing: but contrariwise blessing; knowing that ye are thereunto called, that ye should inherit a blessing.

①一致One mind
ユニティは、愛と尊敬が無ければなりたたない。意見をまとめるのはユニティではない。
結婚の例。国際結婚。先日マサイと西洋人の結婚生活のビデオを見た。マサイの女性の地位はひくく、決断の権利もない、男は家事や育児を手伝わない。という文化。しかし、相手の文化を互いに尊敬し、愛し合う時に、時間をかけて心の一致ができ、他の村の人とは違う特別なユニットになった。
クリスチャンの一致は、一人一人が神に繋がり神の霊に繋がることが第一、第二に、愛と尊敬

②同情compassion
③兄弟愛 love as a brethren
④憐れみ pitiful
➄謙遜 courteous
⑥あとは、主にお任せする not revenge
⑦人を祝福する Bless others
とありますが、なんと、神様の方法は憐れみ、愛にあふれているのでしょうか。共同体としては、優しさが必要不可欠です。そんな共同体を見て、人々はキリスト者に興味をもつのです。

私達が世に仕え、キリストを紹介する時に、大切なのは、あなたは主に召されて、主に受けた祝福を相手に流す役割であること。
あなたは、意見の合わない人を裁くのではなく、祝福することが役目であることを覚えましょう。

★まとめ
今週祈り深く、
自分の行動や態度をかえりみながら、人をどのように祝福できるだろうかと考えていきまょう。

 




#召し #礼拝

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平和を作る者Peacemaker

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平和を作る者Peacemake...

2021年1月10日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


新年二回目の礼拝のメッセージです。
世界ではいろいろなことが起き、また自分の身の周りでもいろんなことが起き、教会でも変化があり、今日も一組の家族が日本という新しい土地に移ろうとしています。
そんな中、神様から大切なメッセージを預かっています。

ここ何か月か、キリスト教についての疑問について答える機会がありました。そして、一つ気が付いたことがあります。神は愛なり、というとおりに、全ての答えは、愛、に行き着くのです。
★人生の質問Life Questions
シェルターで神を信じるか迷っている人たちの質問に多かったのは、どうして苦しみがあるのか、どうして悪があるのか、どうして処女が妊娠したのか(奇跡に関すること)、どうやって神の御心を知ることができるのか、どうして神は罪を作ったのか、などです。

神は、私達に自由意志を与えました。それが神の最大の愛の現れです。私たち人間も物を作ることがありますが、完全に私たちに従わせるように造ります。完全にコントロールします。しかし、私たちの神はそれはしなかった。なぜなら、神は愛だからです。
神は、私達と愛の関係を持ちたかった。愛の関係とはなんですか、私達が強いられてではなく、自分で選んで相手を愛することです。
愛さない選択があるからこそ、愛に意味があるのです。私がエリックを愛しているという意味には、犠牲が伴います。私は、他の男子にノーと言って、エリックに忠誠を誓っているのです。愛しているからです。もし、神を愛することを選ぶなら、私は神意外にノー言うのです。犠牲を払わずしての愛など存在しないのです。

苦しみや、悪というのは、善、神を愛することを選ばない人、人たちによる世の中がもたらしたものであり、また代々引き継がれてきているものもあります。

ざっくり、簡単にいうとこういうことになります。

また、神の奇跡についての質問も、全て愛に帰っていきます。神の計画、神の愛ゆえに、私達に新しい創造という奇跡を神はもたらして下さいます。

●今日のみ言葉を読みましょう。
2コリントCorinthians 5:17-21
17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

★愛に立ち帰る必要性A need of return to God for Love
まず第一に、愛、を知る、すなわち自分のものとして受けとるには、キリストのうちにある必要があります。イン クライストです。
それは、あなたの罪のために、そう、自由意志が与えられていて、愛を選ぶことではなく、反対を選ぶようにしたその過ち、罪の報いを私達から取り去ってくれた、
私をあなたを愛している、イエス様を信じることから来ます。

V17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Therefore, if anyone is in Christ, the new creation has come: The old has gone, the new is here!
と、あるように、信じるだけで、あなたの心が変わります。今日、この愛を受け取りませんか。あなたも新しく造り変えられることが出来ます。

●仲介者イエスChrist, the Mediator
不思議なことに、シェルターでみんなの疑問に答えていましたが、誰一人としてイエス・キリストを疑う質問をした人はいなかった。
私達の罪のために身代わりになって死んでくださったキリストについて疑問を持ったり、シンパシーの無い人はいなかった。

なぜなら、キリスト教、クリスチャンというのは、キリスト、キリストに入れ込んでいるキリスト馬鹿というもともとの意味があるほどに、キリスト中心の信仰であるのに、そこを疑う人はいなかった。
私の心は、この事実にわあって驚きました。これが私達への励ましのメッセージとなります。キリストは、その謙遜の故に、の愛の故に、その行動の故に、神を信じてない人からも、ノンバイオレント、害を与えられる人だとは認識されてない。

私達は、このキリストに私たちの使命を見出すのです。
マタイMatt.5:9
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.

まさに、イエス様は平和を作る方であり、私たちも平和を作るなら、神の子供と呼ばれるのです。まさに、神そのもののお働きとなります。

★和解の務めThe ministry of reconciliation
V18-20
18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

キリストにより、神と和解させていただいた私たちには大きな平安が心にあります。それは誰にも取り去ることが出来ません。何があっても、どんな苦しみ迫害があっても、私達は最終的には神の優しい懐に帰るのです。死も自分には怖いものではありません。待ち遠しいくらいです。
しかし、人との和解と考えると途方もなく難しいと感じます。相手の有ることですし。また、私にも意見があります。

◎愛には、常に痛みが伴います。Love involves pain
私達も、ある人を立ち直らせようと、助けようと祈ったり、教えたりすることがあります。しかし、その人が正しい道を選ばず、間違った悪い友を選ぶなら、私達の心は痛みます。自分の思い通りにならないから痛むのではありません。「愛しているから」痛むのです。
シェルターでも、立ち直り、そして成長し、リーダーになっていく人ほど、痛みが多くなります。それは、もっと愛するようになるからです。
皆さん、愛には犠牲が伴います。どんなに時間を割いて、愛を注いでも、裏切られるようなことがあります。自分の時間が無駄だったような気になることもあります。愛することは、痛みと犠牲が伴います。
あなたがもし痛んでいるなら、正しいことをしているのです。

◎愛はカメレオンではない Love is not Chameleon
平和を作るものは、ネゴシエーターではないのです。時々、間を取り持つときに、二つの派があるとして、こっちに言って話を聞き、こっちに言って交渉をして理解できように。。。とやる。それも大切ですが、こっちについたり、あっちについたりとネゴシエーターが行き来して一つにすることではないのです。

◎イエス様の例
イエス様は、神と人類、そして罪と聖の架け橋となられました。イエス様は完全な憐れみと完全な義を両方兼ね備え居てる方でした。
この方が、人の罪を見て、心が張り裂けなかったわけはありません。この方は、唯一人を裁く権利を持っている方ですから、裁くこともできたのです。しかし、裁くことはされなかったのです。

イエス様は、罪人を愛し、ご自分も罪人の一人として数えられることをよしとし、そして、み父に見放されることさえ、その身に受けました。

真ん中に立つときに、このようなことを経験するのです。
相手側を裁けとチームメイトは言うでしょう。どちら側かに立ってないと、自分が責められることもあるでしょう。イエス様も、裁判で、「なぜあなたは口を開かないのか?!」と問われました。間に立っている人は、そのように迫られることもあるでしょう。

◎とりなしIntercessor
この二手のギャップにとどまり、とりなすことが、まさに和解の務めです。非常に居心地の悪い、孤独な位置です。しかし、イエス様こそ、そこに立たれた方です。
私達も、万人祭司の時代ですから、祭司です。私達もそこに立つように、とりなすように召されているのです。

★神の平和・シャロームGod’s peace, Shalom
祭司がギャップに立つ時、祭司がとりなし、祈る時。祭司が神に痛みを持って行くとき。力があります。
アブラハムがソドムとゴモラのために祈ったとき、モーセが祈ったとき、ダニエルが祈ったとき、エステルが祈ったとき、エリヤが祈ったとき、ハンナが祈ったとき、ヨブが祈ったとき、何が起きたんでしょうか。神は、キリストのように、ギャップに立つ人の祈りをことごとく聞かれてきています。また、痛みをもち、犠牲を払っている祈る人たちを顧ておられます。

神の与える平安は世が与えるものと違います。
Shalom とは、True biblical shalom refers to an inward sense of completeness or wholeness.
完全であり、欠けのないこと、その感覚が心の中に生まれることです。
またそれは、神から来るところの平安であり、正義や安全であること、また回復、和解も含まれています。また、それは、自分の心の内側に訪れます。自分の内側のものは誰にも奪われることがありません。

マタイMatt.5:9
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.

この言葉は、有名です。またクリスチャンたちは和解の務めに召さていることを知ってますが、それに従事している人は圧倒的に少ないです。辛いからです。まだ迫害されている地域のクリスチャンの方が率先してギャップに立っています。
今、神は、あなたを呼んでおられます。ピースメイカーになるようにと。

多くのクリスチャンたちが、この務めを真剣に受け止めたら世の中がどう変わるだろうかと思います。あなたの祈りは力です。

信仰、希望、愛、そして忍耐と祈りをもって、和解の務めに専念していきましょう。
#平和 #礼拝

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Glory to Glory

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Glory to Glory
栄光から栄光へGlory to Glory

2021年1月3日日曜日バイリンガル礼拝動画はこちらから


明けましておめでとうございます。
十二月はクリスマスにまつわる超自然、神の業について話しました。年が明けて2021年、神様から示されていることは、引き続き奇跡です。
コロナ禍が長引き、様々な所で疲れが出てきているところです。そんな中、神様が私たちに下さったデザインについて見て行きたいと思います。

イザヤIsaiah64:4
神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。
Since ancient times no one has heard, no ear has perceived, no eye has seen any God besides you,
who acts on behalf of those who wait for him.

今日は神を日々待ち望んで生き、奇跡、超自然を日々人生に招いていくことを、私たちの脳、マインドに焦点を合わせて話していきたいと思います。

★体は閉じ込められても、脳は決して閉じ込められないYou mind won’t be incarcerated.
先週、シェルターである人が証ししました。
その人は何回か牢屋に行ったことがあるそうで、また過去には売春や薬物中毒であったが全てそこから解放され神のしもべになったと。そして、今日も解放の中を生きていることを感謝していると。そして、コロナ禍で行き詰まって、また特に施設では外に出られなかったり、自由に人に会えなくって牢屋の中のようだと言う人がいるが、その人が言うには、例え身体が自由を失っても、私たちのマインド、考えは自由を失うことが無い、ということです。
その言葉には、はっとさせられました。

★行き詰まりFeeling Stuck
精神的な障害は、行き詰まっている感覚ともいわれます。ダニエルシーガル博士は、精神の健康とは、統合すること、インテグレーションだといい、またマインド精神の癒しは、流れ、フローだと言います。常に、AからB、BからCと流れて動いていること自体が癒しである、と。
聖書もglory to gloryと言っている

2コリント Corinthians 3:16-18
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。But whenever anyone turns to the Lord, the veil is taken away. 17 Now the Lord is the Spirit, and where the Spirit of the Lord is, there is freedom.18 But we all, with unveiled face, beholding as in a mirror the glory of the Lord, are being transformed into the same image from glory to glory, just as by the Spirit of the Lord.

クリスチャンも苦しみがあったり、悲しみがあったり、歩みに痛みがあったり、困難があったり、悩んだりしてもいい、どこかに向かって、動いているなら、そこに癒しと成長が必ずあるのです。
私達は、イエス様に出会って、イエスの栄光の中にいれられ、キリストに学び、キリストから受けることで栄光から栄光へとますますキリストの似姿へと向かっていくものなのです。

もしも、今、足踏みをして行き詰まってるなら、よく聞いてください。あなたは、今日変わることが出来ます。

★脳の不思議Mystery of your mind
マインド、頭、脳は、聖書の中でも聖なる場所として認識されている場所です。ここには、神様が一番に働かれる場所だからです。また、私たちの人生を変え、作り替え、そして行動を変えるという奇跡の一歩が生まれるのは、この場所だからです。
心の一新によって神のマインドと一つとなることが勧められている。

ロマRomans12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。Do not conform to the pattern of this world, but be transformed by the renewing of your mind. Then you will be able to test and approve what God’s will is—his good, pleasing and perfect will.

年末にダンが朝の礼拝で、Neuroplasticity 神経可塑(そ)性について話しました。脳は、絶えず変化しているのです。ということ。私達が好むが好まざるか否か関係なく、脳は絶えず変化するものです。これは、神の癒しと成長のデザインです。私達が栄光から栄光へと変われるデザインにしてくださったのです。ですから、人生がスタックしてると考えている方は喜んでください。あなたにはその暗闇から抜け出せる道を神がすでに用意してくださっていのです。

★行き詰まりの原因 The reasons of stuck-ness
①肉体的な制限 Physical Restriction
これは、先ほども話しました。肉体的に制限がある場合に、環境や状況が許さない時、人間関係が変わらない時、など、行きずまった気持ちになります。そんな時、初めに話したように、私たちの脳、マインドは決して縛られることがないことを思い出しましょう。
②時間 Time
人は、時に縛られている。
過去に縛られると鬱に、未来に縛られると心配症に。どちらに縛られても、そこにスタックする。ですから、
キリストとともに、今を生きることが大切。
イエス・キリストは、昨日も今日もとこしえまでも同じ方。(へブルHeb.13:8Jesus Christ is the same yesterday and today and forever.)
私達の脳に時間が関係ないのと同じで、キリストはずっと昔から昨日も今日もずっと良い方。時間を超えて常におられ、常に良い方。
今日、このイエス様と繋がるなら、あなたの過去からの縛りから解放され、あなたの未来は今日が決めることとなり、心配することはなくなるのです。

★瞑想のすすめ Recommendation for meditation – use your mind for attuning with God.
頭の中で、今起きていることが、過去を塗りかえ、また将来を作っていく。脳の中でイメージすることは、脳的には今起きていること。想像は新たな創造。イマジネーションはクリエーション。現に、ポルノがなぜあなたの脳と体に悪影響を劇的に及ぼすかというと、脳内では実際に誰かと暴力的な性交渉をしていることになっており、脳内からあらゆるホルモンが出ているのです。それによって、実際の結婚関係や人間関係にも影響が出るようになります。脳が普通に満足しなくなるからです。

だったら、神様に与えらたこのデザインを神様的に用い、広げ、成長させればよいのです。

- 志をもつ Dream
ピリピPhilippians2:13
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
for it is God who works in you to will and to act in order to fulfill his good purpose.

- イマジネーションを用いる Imagination
へブルHebrews11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.

- 感謝探しをする Thanksgiving --- 主を喜ぶことは私たちの力です
ネヘミヤNehemiah8:10b
きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。his day is holy to our Lord. Do not grieve, for the joy of the Lord is your strength.

- み言葉をよみ黙想する Meditate God’s word 
詩篇 Psalms 1:2-3
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。

3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。but whose delight is in the law of the Lord,
and who meditates on his law day and night. 3 That person is like a tree planted by streams of water, which yields its fruit in season and whose leaf does not wither— whatever they do prospers.

- 祈るPrayers ―― 人知を超えた平安 Peace beyond humanly comprehension
ピリピPhilippians 4:6-7
6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. 7 And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.
#マインド #新年 #礼拝

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超自然への道④み言葉&ヨセフ

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超自然への道④み言葉&
2020年12月20日クリスマス礼拝バイリンガルメッセージ



クリスマスおめでとうございます。
今日はクリスマス礼拝です。今まで、クリスマスの話しにまつわる、超自然的な出来事と、何が私たちを超自然に導くのかということをシリーズでお伝えしてきました。
今日は、ヨセフの話しを通して、み言葉について見て行きたいと思います。

マタイMatt. 1:22
このすべての出来事は、主の預言者を通して言われた事が成就するためであった。All this took place to fulfill what the Lord had said through the prophet:

★預言の成就  
「預言者たちが語ったことが成就するためである」とあるように、クリスマスの全ての出来事、細かく分ければたくさんのことがいろいろな人に起こりましたが、それは全て、神様が昔に与えられた預言の通りになったというのです。
預言とは、神に預かった言葉という意味です。昔は、聖書もありませんでしたし、直接神との交わりもありませんでした。ごく限られた人に言葉が与えられたのでした。

特に、マタイは、ユダヤ人に向けてこの福音書を書いていたことからか、この出来事が預言の成就であったことを再三表記しています。さて、ヨセフの話しを見て行きましょう。

★ヨセフの行動と預言の成就 Joseph’s journey and fulfillment of prophecies
マタイMatt. 1:20 -23
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
22 このすべての出来事は、主の預言者を通して言われた事が成就するためであった。

これは、イザヤ書の預言の成就でした。
イザヤIsaiah7:14
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
Therefore the Lord himself shall give you a sign; Behold, a virgin shall conceive, and bear a son, and shall call his name Immanuel.

マタイMatt. 2:12 -15
それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしがエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。

エレミヤJeremiah31:15
主はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」

マタイ2:13 は、ホセアと出エジプトより
ホセアHosea11:1
イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。
“When Israel was a child, I loved him, and out of Egypt I called my son.

出エジEx. 4:22-23
そのとき、あなたはパロに言わなければならない。主はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。23そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。もし、あなたが拒んで彼を行かせないなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの初子を殺す。』」Then say to Pharaoh, ‘This is what the Lord says: Israel is my firstborn son, 23 and I told you, “Let my son go, so he may worship me.” But you refused to let him go; so I will kill your firstborn son.’”

マタイMatt. 2:19 -23
ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。
20 「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」21 そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った。22 しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。

こちらも、先ほどと同じ、ホセア11:1, 出エジ4:2, 23の成就であり、
マタイ2:22 は、イザヤ書より。
イザヤIsaiah11:1
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
A shoot will come up from the stump of Jesse; from his roots a Branch will bear fruit.

★神の計画ありきThere was God’s plan
神の言葉が初めにあった。預言が昔にあったということは、神は全てを計画してくださったと言うことです。ある人は、あらかじめ決められていることに対して不快感を示します。自分で決められないのかと。。。しかし、み言葉はこういっています。
エペソEphesians 1:5
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。In love, He predestined us for adoption to sonship through Jesus Christ, in accordance with his pleasure and will—

もし、世の中に完全な愛があり、全て善意と愛により、私たちのために計画してくださる方があったら。。。。そんなにありがたいことはないのでしょうか。

神は、イエス・キリストを私たちに与えることを愛するが故に決めておられました。

★自由意志Free will
人は、その計画と自分の人生の出会いの接点を自分で持つことが許さている。神は私たちに自由意志を与えられているからです。

★ヨセフのユニークな体験 What did make Joseph’s story unique?
私達は後になって聖書を通してヨセフの人生を診ていますが、ヨセフにとっては、今、現在おきいてること自体が預言の成就だったのです。いつか起きるだろうではなく、今起きているという事態を体験している。
これ自体が大きなしるしです。神様からの確証であり、サインです。

★夢Dreams
夢見ることが昔の預言、神の計画と、今現実に起きていることをつなげていく窓口となっている。超自然のために無くてはならないものである。
旧約の時代では神からのお告げを受ける手段であった。預言者の人数も限られているし、神様と自由な交わりは無かった。
しかし、今の新約の時代は、イエス様によって、神との自由な交信、会話が開かれた。イエスの御名で祈れる。
ヨエル書 老若男女問わず夢を見ると、聖霊の注ぎがあるのが今
ヨエルJoel 2:28
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

★まとめEncouragement

神は素晴らしい計画を人類とあなたの人生に持っておられる。なぜなら、神はあなたを愛しているからです。そして、イエス・キリストをあなたに贈られたからです。
超自然の神の愛の接点になったのは、夢、預言、すなわち神の言葉でありました。
私達がますます、神の言葉を蓄えるように、私達が、神の声を聞くことに日々心を傾けるように。
そして、もう一つは、神のご計画の流れにYesということ。
ヨハネも博士たちも、マリヤも、羊飼いたちもNoと言うことだってできました。しかし、彼らは、神の良い計画を信じてはい、といい、神のみ言葉を受け取ったのです。
そして、その通りにしてみたのです。

あなたの前に、神の愛とその計画があります。はい、と答えてみませんか。
それが、クリスマス、イエス・キリストの祝福です。
#クリスマス #礼拝

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超自然への道③羊飼い アドベント第三週 Supernatural③Shephard Advent 3rd week

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羊飼いは野で夜番中、天使が現れ... 羊飼いは野で夜番中、天使が現れて大切なお知らせを受けます
2020年12月13日日曜日礼拝


ルカ2:8-20
8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。 14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」 15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」 16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。 17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

羊飼いのクリスマスの超自然的な体験とは何だったでしょうか。それは、キリストの誕生の知らせを受けたことでした。羊飼いたちは、どんな人たちだったのでしょうか。また、羊飼いは、この超自然的な出来事でどのように変わったのでしょうか?

① 仕事中であった During Work
羊飼いたちが野宿をして羊の番をしているとき、天使たちが夜中にやってきて

私は今週、羊飼いたちがどんな気持ちだっただろうって思いを巡らしてみました。羊飼いは野番をしていたとあります。羊飼いたちは昼夜ずっと羊を野で守る役割をしています。草を求めて野宿をするので、彼らはユダヤ人であったも、必ずしも宗教行事に参加したり、宗教教育をしっかり受けるようなチャンスもなかったようです。
ですから、社会の中でも低く見られ、軽蔑されていたようです。大切な、宮での子羊の捧げものを育ててる人たちなのに。。。
過酷な野原、旅の中で、空を見上げて神様を思っていたのか。
家や家族から離れて、家族はどうしているかと思ってたのか。。。空を見上げて、祈りながら、夜番をしていたのでしょう。
そんな時、天使が突然に現れたのです。

 ② 良い知らせが必要であった Needing a Good News
そんな羊飼いに、救い主の誕生という、最も素晴らしい知らせが最初に届けられたのです。
先ほども言いましたが、羊飼いは、卑しい身分とされていた。しかし、この良い知らせは、高い教育を受けている宗教学者たちでもなく、尊敬されてもいない羊飼いに真っ先にとどけられたのでした。
私達は、あまりにも宗教的になりすぎてしまう。定めに全て従い、全ての行事に参加して等々。もちろんそのような人たち、ゼカリヤや忠実なコルネリオ、旧約のヨブも神に信頼されていました。しかし、神は外側よりも心を見ます。

羊飼いの心、信仰は神様に認められていたのです。

人の考えでは、全世界のための素晴らしいお知らせ、今なら、人々の命を救うコロナのワクチンが完成した何てお知らせは、真っ先に大統領や、総理大臣に行くのです。
しかし、神というお方は、地位やすでに持っている影響力ではなく、一番良い知らせに共感できる人、一番その知らせが必要な人、一番神の働きができる人に届けられるのです。

あなたに教育が無くても、影響力が無くても、仕事が忙しくて毎週教会に行けなくても、関係ない、あなたの心が神を信じているかによるのです。。。
私達の中にも野にある羊飼い、過酷な状況の中でも、孤独ながらも神を信じ救い主を求めている人がいるのではないでしょうか。

不思議ではありせんか。
しかし、考えてみると聖書は、一貫して言っています。
1コリントCorinthians 1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。and the base things of the world and the things which are despised God has chosen, and the things which are not, to bring to nothing the things that are,

●神による昇進 God’s Promotion
神の知らせに応答することと、神の奇跡を体験することは
人の独自性を変え、そして高く上げられるということがクリスマスの出来事に含まれていますね。エリザベツも、不妊の女から旧約最後の大予言者の母となり、ザカリヤもその知らせを受けるために、大切な祭司の一世一代のお役目に選ばれました。マリヤも、若い娘でしたが、その地位は、救い主を身ごもった産みの母とし圧倒的に神によって持ち上げられました。

★神のやり方-- 証人とする God’s way is to make His witness
羊飼いは地位が低く社会的信頼度が低かったので、法廷で証人として立つような資格はありませんでした。神は、そんな羊飼いを一番初めのキリストの証人にしたのです。
神にある影響力、地位というのは、自分で何か大きいもの、ミニストリーを立ち上げることではありません。若い時は、分かりませんでした。もっと大きなミニストリー、教会、もっと遠くの国に行く、もっと大勢の人を集める、有名な説教者になる、というようなことが神に大きく用いられていることかのように思っていました。しかし、このクリスマスの物語から学のはそうではないと言う事。
むしろ、神の働きを目撃することにあります。神の働きの証人となることが私たちの働きなのです。自分の御国を建てあげることではなく、神の働きを毎日どれだけ目撃しているか、というこです。

★ 羊飼いはイエス様の誕生のお知らせを受けてどうしたのでしょうか。
What did Shephard do?
① すぐに信じた Believed
   --- その信仰が喜びをもたらした。彼らは喜びに満ちて、わくわくした
  羊飼いは素直でした。恐れましたが、それが神からのメッセージだとすぐに受け取りました。すると、まだ見てないうちから心がワクワクし、喜びました。
信仰は、希望その物です。信じる時、すでに喜びが与えられるのです。信じましょう。

② 早速、本当かどうか見に行こうと、急いで見に行った Went to see right away!
  信仰とは、すぐに行動を起こします。アブラハムも朝早く、イサクを捧げるために出かけました。それは、確信の大きさも示しているのです。心にはっきりしているから、今、行くのです。今、従うのです。あなたにははっきりした確信が心にありますか。 

③ 目で確かめたことを、人々に伝えた Spread the word
  彼は、出かけてみて、それが本当で会ったことを確認したのです。証人となりました。こんな嬉しい知らせの証人となったので、人に伝えずにはいられないのです。
みなさん、伝道は、自分から生み出すものではないのです。すばらしいから、話さずには入れない。すばらしいから、みんなにも知って欲しいのです。

④ 神をますます賛美し礼拝した Praised and Worshiped more
  彼らは、今までも神を賛美し、職場である野原で、昼も夜も忠実に働きながら神を礼拝していました。宮には行けませんでした。
そんな彼らは、証人となり、ますます神を賛美し、礼拝したのです。
これは、新約のイエス様がもたらした礼拝を表しているかのようです。
もう、礼拝する場所は関係なくなる。霊とまことにより、礼拝する人を父はさがしている、と。キリストの証人は消すことの出来ないよろこびと確信が心に生まれ、儀式によるのではなく、動物の捧げものによるのではなく、その場でいつでも礼拝者となるのです。

これらの四つのことは、クリスチャン生活を現すようです。

★まとめ Summary
さあ、あなたは、荒野にいるような気持ちですか、孤独ですか、人に下に見られていますか、なかなか教会に行けないことを後ろめたく思っていますか。。。
これはあなたへのメッセージです。
神はおられます。
神は良い知らせをあなたにもたらしています。
イエス・キリストという方があなたを救うことが出来る、ということです。
今日、その良い知らせを心に受け入れてみませんか。
恐れなくてもいいのです。

祈り

#クリスマス #礼拝

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超自然への道②マリア アドベント第二週

thread
マリアに天使が現れて、受胎告知... マリアに天使が現れて、受胎告知のシーン

2020年12月 6日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


人間界ではありえないことが、クリスマスのためにおきました。それは、一つではありません。先週は、イエス様の道ぞなえをしたバプテスマのヨハネの誕生秘話からお話ししました。今日は、イエス様を身ごもったマリヤを中心に見て行こうと思います。

ルカLuke 1:28-38
28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。37 神にとって不可能なことは一つもありません。」38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

私の周りにも、クリスチャンになろうか迷っている人の中に、どうしても処女降誕が信じられないと言う方々がおられます。
キリスト教の正しさを主張する時、異端ではないという証拠に、処女降誕を信じているという条件があるほどに、クリスチャンにとって処女降誕の意味は重大なものです。

★なぜ、イエスの処女降誕がそんなに大切なのか。Why Virgin Birth so important?
●アダムとエバAdam & Eve
アダムは地のちりから作られた、またエバはアダムのあばら骨から。神ご自身が創造された。
彼らは、神の言葉に従わず、罪の性質が入った。この罪は、その子たちにカインとアベルに、そして子々孫々受け継がれた。

●罪の問題 Sin
罪が入って救いが必要になった。また、罪は子々孫々引き継がれていった。血の中に、遺伝するようになった。いかに人の性質というものは、血を通して次の世代に引き継がれることか。。子供たちは嘘をつくように教えられてないうちから、言葉を習う前から嘘をつくようになる。

●救いと旧約の礼拝はイエス様の型 Salvation and Old Testament’s worship is type of Jesus Christ
動物の生け贄
これは、やがて来る救い主イエス・キリストを指し示す型であった。
ですから、罪もない、シミもない方が来られ、その人が人々の罪の身代わりとなって死ぬときに、人々は悟らなければならないのです。

●人類への預言の成就であった The fulfillment of prophecy
「処女降誕」それはイエス様が生まれる前、BC700年に預言されていました。
イザヤIsaiah 7:14
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
Therefore the Lord himself will give you a sign: The virgin will conceive and give birth to a son, and will call him Immanuel.

●完全な人であり、完全な神であった100%God and 100% man
イエス様は罪の無い人間として生まれなければならなかった。
傷のない神の小羊だから。
マリヤには罪があった。しかし、イエス様は聖霊の働きによって、マリヤの胎に宿る。皆さん、胎盤は、誰のものですか。赤ちゃんのものです。胎の中の血と母の血は混じらない。胎児は、胎盤の母親の血液から栄養と酸素をもらう。しかし、胎児と母親の血液は混ざることはない。胎盤ではお母さんの血管と赤ちゃんの血管はつながっておらず、接しているだけなので、お母さんの血球と赤ちゃんの血球が移動することはありません。

イエス様は、完全な神であり、完全な人である、人類にとって待望の救い主をこの世に産まれさせる大変な奇跡の一端を担った。

●あなたをおおい Hovering over
ルカLuke1:35 あなたの上に臨み
御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生れる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
The angel answered, “The Holy Spirit will come on you, and the power of the Most High will overshadow you. So the holy one to be born will be called the Son of God.

このovershadow おおうと言う言葉は、創世記一章の天地創造の際、神の霊が水の上を動いていた。という、hovering over という言葉と同じ言葉です。

創世記Genesis 1: 2
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and the Spirit of God was hovering over the waters.

すなわち、聖霊により創造の御業が行われていたということです。

★マリヤの超自然へのアクセス Mary’s access to the supernatural
メッセージを聞いた時
頭で、分からないながらも
お言葉通りになりますようにと受け入れた = Acceptance of God’s word as it is.

v38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」“I am the Lord’s servant,” Mary answered. “May your word to me be fulfilled.” Then the angel left her.

人は、頭で理解することにこだわります。分かってからでないと信じられないとよく言いますし、また頭で分かっていないことで、自分を十分でないと裁きます。そして、勝手に自分は神にとって十分な存在ではないと、思い込んでしまいます。
しかし、神の奇跡は人の思いをはるかに超えています。
もともと神のなさることを私たちが理解できるものではありません。

マリヤは、私たちに今日、自分の身に起きたことを証ししてくれています。また勧めをしてくれています。
今日、あなたに神様のご計画がなりますように。
あなたは、神の御働きの一部です。あなたには召しがあり、神からの賜物があります。
神様からのメッセージを聞くとき、
一体どのようにして?
と思いますが、そのどのように、を横に置いて
神様を信じましょう。
#クリスマス #礼拝

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超自然への入り口① アドベント第一週

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神の宮で奉仕中に天使から大切な... 神の宮で奉仕中に天使から大切な知らせを受けるザカリヤ

2020年 11月29日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ



今日からアドベントです。クリスマスを思う時に、クリスマスとは奇跡に満ちているなぁ。ということです。私たちは、神の奇跡なしには生きて行けません。私の生まれたことも奇跡です。奇跡とは、神の手にかかってのみ起こることであり、超自然であります。超自然とは、人手によらず、人の知恵や科学などどんな学問によっても解明することが出来ないできごとであります。
アドベントで、この奇跡、超自然通ずる道について見て行きたいと思います。
今日は、ゼカリヤとエリザベツの話しです。

ルカLuke 1:5-17
ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。11 ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われた。13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊にみたされ、16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

★祭司について Being a Priest
 ザカリヤは祭司でした。祭司とは、神様と人との間にあって、とりなし手としての職務が与えられていました。その職務は大きく二つあり、一つは、民を代表して、神様にいけにえをささげるということ。もう一つは、民に、神の契約や律法を教えるということです。
 ザカリヤの妻は、エリサベツとあります。彼女は、「アロンの子孫で」とありますように、祭司の家系でありました。すなわち、二人とも神に仕えるように生まれついたカップルということが出来ると思います。

★自分の意志で By their choice
私達は自分で生まれてくる家族は選べませんが、生き方は自分で選びます。この二人は、敬虔に生きることを選んだのでした。
 二人は、「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。」Both of them were righteous in the sight of God, observing all the Lord’s commands and decrees blamelessly.(6節)とありますように、神様の前に、どうあるべきかを意識して、正しく生きていた夫婦でした。

★超自然の始まりは試練から Supernatural started with a difficulty
 ところが、そんな二人ではありましたが、子どもがいなかったのです。妻のエリザベツは不妊の女であり、しかも、二人はもう年をとっていたと言うのです。
 子どもがいないということは、現代においても辛い現実だと思います。子がいないということは、当時「恥」だったのです。さらに、祭司職は世襲制でありました ので、子がいないということは、家業が断絶するということを意味しました。また、ラビたちは神から放逐される例を七つ挙げ、その第一が、妻のないもの、または子どものいないものとされた。

 このように、彼らの置かれている現実は、まことに厳しいものでした。しかし、彼らは、愚痴や不平や不満を言うことなく、自分の置かれている境遇を嘆くこ となく、ただひたすら、神様の御前に正しく生きる事を求めました。また、求めるだけでなく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていました。6節 には、「ふたりとも」とあるように、ザカリヤだけではなく、エリサベツだけでもなく、「ふたりとも」であります。

★敬虔さと忍耐が超自然の入り口に Piety and Perseverance was the access to the supernatural
 このように、何の希望の見えない現実が続いていました。しかし、神様の側ではすばらしい計画が備えられていたのです。彼は、ラビとしての家系が途絶え、ラビ職を失っても仕方がない境遇でした。子供がいないのですから。しかし、神は、そんなカップルを選びました。

それは、聖書にわざわざ書かれているように。彼らが長年の間、試練にも関わらず、敬虔な生き方をしていたからでした。今あなたはどのような状況にいますか。こんなはずではなかったーという思いをしていますか。自分の理想とかけ離れたところにいますか、予期しない試練にいますか。それでもなお、神を信じ、敬虔に、忠実に生きることを選びますか。

〇聖書には長い間忠実に神と歩む人が出てくる。Many pious people in Bible
アンナも、夫を亡くして60年間ずっと忠実に宮で祈り、仕えていた。そんなアンナは赤ちゃんイエス様に出会うことが出来た。ヨブも何もかも失い、病で身体がぼろぼろとなり、長い間苦しんだが、信仰を捨てることはせず、最後には二倍に祝福された。

★超自然① Supernatural 1
そんなザカリヤがある日、くじによって大切な役目に抜擢されます。くじは、人が選んだのではなく、神によってえらばれるということの象徴です。
その日が、突然来たのです。祭司は二万人いましたから、一生涯なんの奉仕にも当たらずに死んでいく祭司もありました。祭司がみな当たるとは限らないこの役目にあたったのです。その突然がいつ来るのか私たちは分かりません。

神殿でささげる祭司の務めには、4つ、全焼 のいけにえをささげるという役、穀物のささげものをささげる役、至聖所の火を守る役、そして最後が、香をささげる役でありました。この4つの務めの中で も、香をたく務めは、最も栄誉ある務めとされており、一度香をささげた者は、二度と同じ務めを果たすことができないとされていました。

★超自然② Supernatural 2
 彼に対する神様の奇跡は、それだけではありませんでした。それは、妻エリサベツが男の子を産むということです。13節以降には、御使いによって語られ た、約束の言葉が記されています。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネ とつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。」But the angel said to him: “Do not be afraid, Zechariah; your prayer has been heard. Your wife Elizabeth will bear you a son, and you are to call him John. 14 He will be a joy and delight to you, and many will rejoice because of his birth,
とあります。このヨハネこそ、バプテスマのヨハネ。主イ エス・キリストの道備えをする人物です。

★超自然③ Supernatural 3
不思議なことが起きました。口が利けなくなのました。1:18-20ザカリヤは、信じられないと口にします。信じれないから口を利けなくすると言われました。
ルカLuke 1:18-20
18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」

ザカリヤは、神によって口がきけなくなり、これが、自分と妻との間の証しになるだけではなく、彼を知るすべての人への証しとなりました。彼は、もともと、長く神を信頼し、忠実に神に仕えてきたからこそ、その口がきけなくなるという最後のしるし、テストにも耐えることが出来ました。
彼は、子供ができないと悩んでいた時も忠実に、子供の約束があり、妻のお腹が大きくなるのを見ながらも、口がきけないと言う状態でも忠実にあることが出来ました。

★神は生きておられ、あなたを顧みられる God is alive and will reward you
みなさん、くじにあたり、誰もができないような祭司の働きをすることはとてもセンセーショナルに見えるかも知れません。しかし、特別だから選ばれたのではありません。特別だったとしたら、彼らは忠実にどんな時も神に信頼して、こつこつ毎日忠実に神に仕えていたことでした。

今日、もう一度このアドベントに神を待ち望みましょう。
神の前に忠実に。あなたの願いや思いがどこにあるにしろ、どんなに長い間待ってるかに関わらず、神の前に出ましょう。そして、神に従い続ける決心をしましょう。それが、超自然への道を開くのです。







#クリスマス #礼拝

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