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ぼくしのめがね

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イエス様の道④苦しみ

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この日曜日は、ホライズンファミ... この日曜日は、ホライズンファミリーハワイ支部((笑)) のパリスボ夫妻が訪問してくださいました。特別にフラ賛美を礼拝中に捧げてくださいました。以前は、シアトルにおられてバイブルスタディにいらっしゃっていました。 またまた、あ、写真! と気が付... またまた、あ、写真! と気が付いた時には、だいぶん皆さんが帰った後でした。。。苦笑
ハワイの小さい離島では、シアト... ハワイの小さい離島では、シアトルみたいにいろいろなレストランがないそうで、今日はタイ料理に行ってきました。ここ、クイーンアンのオラビンは、野菜もフレッシュで、美味しいです。いつも込んでます。私は、カモのスープヌードルが好きですー。
2018年6月10日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


私たちは、互いに影響し合って存在している。ということを話しています。イエス様は赤ちゃんとして来てくださったという意味と力について学んでいます。今日は、神の苦しみについて話したいと思います。神の苦しみが私たちにどう影響しているのか。また私の苦しみが神に影響を与えたりしているのでしょうか。。。。

ルカ15:11-24
11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

この章は次の言葉で始まます。イエス様はいつも罪人と一緒だって。。。

ルカ15:2
すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」But the Pharisees and the teachers of the law muttered, “This man welcomes sinners and eats with them.”
イエス様は、問題のある人、苦しむ人、に近くいて下さる方でした。。。自分には問題があっても、問題がないと威張っている人には一緒にいられませんでした。

★私たちの苦しみ

いつも言っている通りに、私たちの苦しみは、三種類あります

①自分の罪の結果から来る苦しみ。言わば、私たちの自由意思によって、チョイスしたことが自分に帰ってくるというタイプ。自分の内に原因があるもの。

②いわれのないところから飛び掛かって来る苦しみ。災害や、盗難、事故、事件、差別なんかもそうかもしれません。自分の外から来るもの。

③訓練としての苦しみ。No pain no gain. 筋トレだって、スポーツだって、練習をしつかりしなければ強くなれません。それと同じように、自分の弱さ、至らなさ、技術的なことに関して何かをできるようになるためには練習、訓練、自己鍛錬が必要ですから、ある意味そこに苦しみが伴います。しかし、この苦しみは、必ず報いがついて来まます。

★放蕩息子の苦しみ v12-13

12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

弟息子は、しつけの苦しみを自ら避け、好き勝手なことをすることを決めました。父のいるところから遠く離れました。財産の分け前をもらって、家を飛び出し、お金を全部湯水のように使い果たしました。自分の選んだ道とやったことの結果、生活ができなくなりました。そして、第二の苦しみ、災害の類ですが、その地に飢饉がおこり、ますます食べれなくなりました。それから、そうなってみて、初めて、豚の世話をするという、第三の訓練としての苦しみを味わうようになるのです。

みなさん、私たちも思い当たることがあるのではないでしょうか。私も若い時は、自分の気持ちの赴くままに決断し、神様にろくに聞かずに、まず鍛錬して自分を磨かずに何かをしようとしたものです。しかし、そうしても、必ず、自己訓練、しつけ、筋肉を鍛えるという段階に導かれるのです。この息子は、父のひざ元でそれをすることもできたのですが、ここまで落ちぶれなければ、自己訓練に耐えることができなかったのです。

この息子は、ある時、はっと我に返ります。すべてを失ってからです。全部を失っても、私には、たくさんの使用人を持っている父がいるではないか。あそこで働く方が、ここで働く方よりはるかにいい、と気が付くのです。
よく、この我に帰ったことが、放蕩息子を変えた出来事だと思うのですが、実はそうではなかったということを今日は教えられています。

★放蕩息子を変えたものとは v18-19

18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
息子は、こうリハーサルして、こう言って、雇人にしてもらおう。と、父に甘えて、お金をもらったときのように、父の好意をあてにして家路につきました。

そうするとどうでしょうか。家が近づくと、遠くから急いで自分の方に駆け寄って来る年いったおじさんがいるではないですか。あれ、お父さんかな。お父さんだ。その、父の慌てて走る様子。その必死さを彼は見たのです。その顔を遠くから見たのです。何ということでしょう。父は、私を待っていたのだろうか。。。。と、思ったでしょう。

苦しみが放蕩息子を変えたのではなかった。父の顔を見たから変わったのです。。苦しみぬいた、涙にむせぶしわくちゃの顔。子を愛する父の顔である。その顔を見たとき、放蕩息子は、リハーサルしたあの言葉が、本心として腹の底から出てきたのだ。「今までどれほど、父を心配させたか、父を傷つけたか、父を苦しめたか、今までどれほど父が私を愛していてくれたか、それは、今日も変わらないのだ。」それと直面した時、全てが変わったのです。

◎放蕩息子の苦しみは、帰る家を見つけたのだ

父の苦しみ、愛しているから苦しんだその苦しんだ顔が、放蕩息子を変えたのです。神の苦しみは、愛ゆえであった。この苦しみの意味が分かる時、私たちは、魂の家を見つけることができる。神の苦しみと私の苦しみは決してかけ離れていないものであり、私の苦しみは神の苦しみであり、神の苦しみは私たちに癒しと慰めをもたらすものである。

究極的な愛の図がキリストの十字架の苦しみ。

◎苦しみには家がある。その家は、神の苦しみであり、イエス・キリストである。

私たちの苦しみ感情は、消化されないかぎり、傷となり、私たちを過去に縛る縄目となる。私たちの感情が解決する時は、誰かが、わたしの苦しみを味わってくれ、共感してくれ、一緒に泣いてくれる時に、慰められる。自分の中で消化する助けとなる。
私たちは、誰かがいないと存在できないのです。赤ちゃんの時からこうして私たちは存在している。

◎私の苦しみの証し(不妊) --- 苦しみの家を見つけた。神の苦しみと一体化したとき慰めを受けた

神様は、苦しむ必要のない方なのに、放蕩息子の父のように、私たちを愛するがゆえにご自分が苦しむことに甘んじてくださっています。全世界を完璧に造られた方なのに、この世界が罪によって、被造物すべてに影響していること。数千年も、神様に背く人たち、すべての人の救いを完成するために、わが子イエス様を地上に赤ちゃんとして送り、十字架の苦しみを味わわせなければならなかった。私たちを愛するがゆえに、神は私たちの行動によってインパクトを受けていらっしゃるのです。

一方、私たちの苦しみというのは、もっていきどころがないともっと苦しく感じます。イエス様は、私たちの苦しみの帰る家を作ってくれました。

◎あなたは今、何に苦しんでいますか。何番の苦しみを味わっていますか。あなたが苦しんでいる時、天の父も苦しんでいることをぜひ知ってください。父の苦しみ抜いた顔を見てください。

あなたには帰るところがある。苦しみには家があるのです。
#イエス様 #礼拝 #苦しみ

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イエス様の道③伝道

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学校で、子供と思春期のトラウマ... 学校で、子供と思春期のトラウマの回復、カウンセリングの授業がありましたが、そのシリーズでは、休み時間に遊ぶことを推奨されていて、お席にはクレヨンや、粘土が用意されていました。私は、餃子を作ってみました。アジア系の学生は大爆笑。食べれそうーーって。我ながら美味しそうにできたぞ!
2018年6月3日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


この世においては、人というのは、ヒエラルキーのマインドセットに影響されて生きている。人にいいことを教えるものは、立場が上ではないといけない、なんて思っている人が多いのではないでしようか。私は、まだまだ聖書の知識がないから、伝道なんてできないなどということをいう方も多いです。しかし、それは本当でしょうか。イエス様はどうされたでょうか。

ヨハネ4: 3-9

3 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。

①バウンダリーを越える

V4 サマリヤを通って行かなければならなかった。

サマリヤはユダヤとガリラヤの間にありますが、普通は、ユダヤ人ならばサマリヤを通らずに回り道をしてガリラヤに行きました。というのも、こないだからメッセージの中に出てくるように、サマリヤ人はユダヤ人は仲が悪かったからです。ユダヤの長い歴史の中で、ユダヤ人から出た人たちですが、サマリヤ人は、異邦人と混血の民であり、ユダヤ教と異教の混じったような信仰をもち、救い主はゲルジム山から来ると信じていました。皆さん、今の世の中も、宗教の違い、民族の違いというものは、少なくともアメリカでは大きな問題です。当時のユダヤ人サマリヤ人の対立というものは激しかったようですね。もしも、ユダヤ人がサマリヤを通ろうものなら、罵声をあびさせられたり、何かいやがらせをさせることもあったようです。ユダヤ人も、絶対にサマリヤ人とは口をききませんでした。

◎しかし、イエス様はサマリヤを通ることを選ばれた。

あえて、Vulnerable な状況に入られることにされた。あえて、対立の渦の中に行かれた。。。「行かなければならなかった」という言葉の中には、父なる神の意図があった。ご計画があり、そこには、出会わなければならない人がいた。。。ということを示しているのです。

②弱さを通して ---- 水を一杯くれませんか。V7

イエス様は疲れを覚えられました。このストーリーはイエス様の弱さから始まります。イエス様は、完全な人であり、完全な神であります。私たちと同じように疲れられたようです。なんだか親近感を覚えますよね。。。

 第六時、現在のお昼頃、ある女が井戸に水を汲みに来ました。イエス様は、この女性に話しかけました。というシーンですが、ここで、またバウンダリーをいくつも越えているイエス様を見ることができます。ここで普通では起こらないことが起きています。

1. ユダヤ人がサマリヤ人に話しかける-- 先ほど説明した通り、こんなことはありません。
2. 男が女に話しかける – 当時の文化で、男女が個人的に話すということはなかった、イエス様はラビですから、その立場ではもっとなかったことです。
3. 第六時に水を汲みに来るようないわくつきの女に話しかける – 当時は、夕方水を汲みに来て、女性たちが井戸の周りにたまっておしゃべりをするのが普通でした。この女性は、誰も来ないうちにこそこそ水を汲みに来ている理由のある女性でした。村ではきっと悪名高い女だったに違いありません。

◎弱さを通して

イエス様は井戸に水を汲みに行ったサマリヤ人の女に水をくれと言った。パンを増やし五千人以上に食べさせ、水をワインに変えることのできる方が、水を一杯恵んでくれませんかと、この問題の多い女性に頼んだ。

イエス様は、しかし、人間のとしての性質、疲れ、弱さ、人の世話にならなければ存在できないというようなその脆弱性を通して、サマリヤの女とコミュニケーションをとったのです。
言うまでもなく、この女性は大変驚いて、あなたの言っている意味が分かりません的な反応をします。ユダヤ人なのに、どうして私に話しかけるの? 見たところによると、ラビっぽいけど。。。一体、水って言われても、汲むものも持ってないやん! と。。

◎会話が始まる V10-19

10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。12 あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。

女性は渇いていました。身も心もからから。。。もう渇かないなんて水、あったらほしい。。この女性は、心が渇いている人でした。イエス様は夫を連れてきなさいと言いましたが、彼女は、次々に男の人を渡り歩き、一緒に住んでいる人がいたが、その人は、正式な夫ではありませんでした。満たされない心を男の人に探していました。しかし、イエス様が、渇かなか水があるんだよ。と、教えてくれたのです。

◎その水を私にください。

女は、その水をイエス様に求め、自分の傷ついた心の癒し方が間違っていたことを認め、イエス様に出会うことができました。この後、この女性は、恥ずかしげもなく、自分の身に起きたすべてのことを人々に話し、サマリヤにリバイバルが来ました。誰がそうぞうしたことでしょうか。ちゃんとした宗教観、間違った礼拝をしていた混血のサマリヤ人にリバイバル、本当の救い主を受け入れたのです。

◎互いに影響を受ける 

イエス様は、脆弱性を通して、いわば、ご自分の肉体の渇きを通して、この女性と繋がることができました。また、へりくだって、低い位置から、すみませんが、助けて下さいという態度で、女性に近づきました。なんと、私たちのマインドと違うことでしょうか。私たちは、良いものを与える者は、立場が上でないといけないような感覚を持っています。

◎宣教師を思い出す

私は、日本に来た宣教師たちを思い出します。
文化の違い、言葉の不自由さ。助けがいっぱい必要な外国人。何やら一生懸命私たちに伝えようとしている。。。人は、困っている人を見たら助けたい、気にいった人、気になる人を助けたいという思いを持つもの。。。また人とは、助け合わなければ存在できないというものです。日本に来た西洋の宣教師たちは皆助けが必要だった。日本語が流暢な自由な人はそんなに多くない。教会に来ている人も、来ていない人も、喜んで助けた。そんな中で、キリスト教が広まった。

◎ AA Meeting

先日、学校の宿題の一環で、AA meeting に出てきました。
まず不安だったのは、アルコール中毒でない私がいったら場違いで気まずいのではないか。ということでした。しかし、彼らは、大喜びで私を迎えてくれました。そして、一人の女性は泣き出しました。私たちに興味を持つてくれて、来てくれてありがとうと。。。
彼らの話を後で聞きましたが、みんな、アルコールのせいですべてを失っていました。友達、家族、職場、自尊心。全て。人に諦められても、興味を持たれることはありませんでした。
わたしも、彼らの話しを聞いていてたくさんの恵みを受けました。
そこに一人もクリスちゃんがいませんでしたが、私は神様をみましたし、大切なメッセージをいただきました。

コミュニティが人を癒すこと。彼らは、そこに集い、始まりと終わりに祈ることで力を得ていました。仲間に励まされていました。そこに、心からのケアと、愛がありました。教会が学ばなければいけないものがあると思いました。

わたしも助けがなければ、生きていけない。

イエス様は、赤ちゃんで生まれて来て、財産もなく何もなく、ただの小さいな赤ちゃんで来てくれた。私たちの腕の中に来てくださった、意味がここにあるのです。
私たちは、独立して決して存在しないんだというメッセージ。私たちは、相互依存して存在している。Interdependent. 私たちの三位一体の神もそうである。

◎伝道を恐れないで、あなたの弱さから始まるかもしれません。垣根を越えて、相手に興味を持ち、あなたの弱さを正直に示していく、そこからイエス様の働きが始まるかも知れません。

自分の境界線、カンフォートゾーンから出ることを心がけましょう
#イエス様 #礼拝

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イエス様の道②私たちの祈り

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今月のお誕生ケーキ。二階建て!... 今月のお誕生ケーキ。二階建て!!! ハーモニーさんおめでとうござい... ハーモニーさんおめでとうございます。子供たちがろうそくを吹くのをお手伝い。。。顔が真剣! 今日で、英語教会の子供教会の牧... 今日で、英語教会の子供教会の牧師ライアン先生の最後の日でした。ライアン先生は、これから宣教師になる準備に入ります。子供たちは、お別れ会をしました。寂しそうでした。
2018年5月27日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


人は、人に影響を与えずに、また影響を与えられずに存在することができないようにできている。それは、脳科学を見ても証明されている。人は、神の似姿に造られている。創世記二章。神もまた、三位が互いに影響を及ぼしながら存在しているのである。

第一回で、イエス様は赤ちゃんで生まれて来て、周りにいる人たちに世話されるように、その世話を受けるようにされたことを話しました。イエス様は、どこまでも、神と人との隔たりを縮めるようにされた。イエス様はどこまでも私たちと近く、共に、一緒に、親密に存在されたいという願いの現れではないか。私たちがそこにどれほど気が付いているだろうか。

神は、人に助けられる必要が全くないが、神は、人に影響されることをよしとされている。神は、人間に操作される存在ではないが、人と交わりをもち、人から影響を受けることもご自分で良しとされている。

★アブラハムのとりなし

この主のアブラハム家族の訪問の際、来年の今頃、サラは男の子を産むと言われている。そして、神に不可能なことは一つもないという会話をしている。

創世記18:17-19

主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

創世記18:22-33

22 その人たちはそこからソドムとゴモラのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」26 主は答えられた。「もしソドムとゴモラで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

◎祈りは会話である

V33主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた33 When the Lord had finished speaking with Abraham, he left

祈りは、お経、チャンティングではなく、交わりです。交流、経験の共有。敬意と愛の交換。

◎会話を通して、主と交わる

交わりとは、互いに影響を与え受けることです。
アブラハムは、「神に不可能なことはない」という言葉を受け取った後で、自分の甥ロトが住む地域が罪の故に滅ぼされることを聞きました。これはいけない。。。
と、祈ります。もし50人正しい人がいれば、その人たちも滅ぼされてしまわないように、救ってください。。。40人、30人、20人、10人。。。。

◎アブラハムの神経験

アブラハムは、このとりなしの祈りの中で何を経験したのでしょうか。アブラハムは、祈れば祈るほど、神の心を知っていった。神様、五十人、神様が、その五十人のために滅ぼすまい。と言われると、アブラハムは、どんなに、神が少数であっても、神に従う人の存在を尊く思っておられ、そして、その人たちのために、この町全体を救いたいというほどの熱い愛を持っておられることを知ったのです。

四十人、三十人、二十人。。。。祈るごとに、神の心を知っていったのです。
祈りは、自分の願いをお経のように唱えるものではないのです。神体験をするものです。

また、神にますます影響される場なのです。そして、神もまたそれに答えられ、神と私が思いが一つになっていく、愛、目的、悲しみ、願い、働きが一つになっていくものなのです。

神の御心はどこから急に降ってくるものではない。祈りによって、交わりによって、神と二人で一緒に見つけていくものです。一人で神の御心を見つけるのではないのです。

◎そこに脆弱性(ぜいじゃくせい)が求められるVulnerability required

自分のニード、心を相手に知ってもらうということは、脆弱性もとめられる。日本的に言うと腹をわって本音をさらけ出すことが無ければ、互いに理解できない。アブラハムにとっては、自分の家族のことが一番念頭に会ったことだろうが、そのために祈るうちに、神の深い愛と願いを知るようになる。おそるおそる、10人ではどうでしょうと祈ることになった。

◎神との親密さに制限をかけないこと

そして、結局10人も正しい人がいなかったので滅ぼされることになるが、そのまま、祈りを続けていたら、どうだっただろう。。。不可能のないお方が、例えば、一人の正しい人であったノアにあげたプランのような、箱舟というシェルターのような、何かそんな計画が出てくる可能性もあったかもしれません。

どこまでも、どこまでも、神の心を求めて、私たちは、祈り続けるべきです。私たちは、神を知ることを第一に、神に近づいていくべきです。

◎イエス様の話された言葉

祈りは、神を支配することではありません。祈りは、神を操作するものではありません。イエス様は言われました。

ヨハネ15:15

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

友は互いに支配関係にない。同等である。と、私たちから影響を受けたい、私たちに影響を及ぼしたい、王の王であり、主の主であるイエス様がおっしゃっているのです。
大胆に、そして、もっと神を知るために、祈りの交わりを神様と持っていきましょう。



#イエス様 #礼拝

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イエス様の道①—弱さを通しての力

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二週間前の日曜日は、ファンドレ... 二週間前の日曜日は、ファンドレイザーランチを作って売りました。
教会の皆さんが、私たちの夏の日本ミニストリー旅行のためにご苦労してくれました。焼きそばチーム
こちらは、日本式ホットドッグ盛... こちらは、日本式ホットドッグ盛り付け こちらは、焼き飯チーム こちらは、焼き飯チーム 焼き飯の盛り付け 焼き飯の盛り付け こちらは、お店担当。。一日立ち... こちらは、お店担当。。一日立ちっぱなしのまきさん。ありがとう。
2018年5月13日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


ヨハネ14:4-7
4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」You know the way to the place where I am going.” 5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?” 6 Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. 7 If you really know me, you will know[b] my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”

イエス様は、過ぎ越しの祭が近くなり、ご自分の死が近いことを悟り、弟子たちと話した。私が行く道、みなの知っている道だ。それは、みんなが今まで目の当たりにしてきた道だ。その道は、わたしだ。私を見たものは父を見たのだ。と。
当時の弟子たちは、とても政治的な期待をもってもイエス様について行っていた。イエス様こそ、立派なリーダーでローマからユダヤを解放してくれるのではないか。と。イエス様は力を持っているからと。。。
イエス様は、私の道は、あなたが知っている道です。あなたがイエス様にすでに見て知っている道だと言われる。。。

★この世の権力理解

悪魔はもともと、権力を持ちたがった。天のワーシップリーダーだったが神をあがめるリーダーでいるより、みんなにあがめられる神の位置に行きたいと思い。天から落とされた。イザヤ書14章12-15 最初の人が、神の声を聞かずに悪魔の声を聞いたことで、彼らに従うものとなり、悪魔の子ともいわれるようになった。世の力、権力について、この悪魔の考え方の影響があることを忘れてはならない。

先週、イスラエルの民は、王を欲しがったという話をしました。人々は、他国が王に治められてるように、一人の王に治められたかった。すなわち、神のやり方でない方法でコントロールされたかった。人の世界、この世の力は、コントロールです。誰が、全ての利権、権力を持つのかと。

★聖書的な権威とは

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。
イエス様は、ペテロを再任命する時にも、わたしの羊を飼いなさいと言われた。
羊飼いは、羊の人生のすべてです。イエス様は私たちの良い羊飼いです。夜には、羊の門となり門に横たわり悪い泥棒や、動物から羊を身をもって守ります。食べる者、飲むものを羊に与え、目の弱い羊を導いて、危険から守り、病気の羊の手当てをし、癒し、そして、迷子になったら、99匹を置いて一匹を探しに行きます。
聖書の権威とは、このような羊飼いのような権威です。この世の権威とは違います。

★イエス様に見られる父の権力

良い牧者の権威は、負の投資があったから与えられたものであった。 Divestment

マルコ10:43-45
43あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。44あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。45人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです。

●弱さを通して

イエス様は、生まれてくる時も、死ぬ時も弱さを選びました。処女マリヤから生まれることを選ばれ、いわば、いわくつきの子供のレッテルを選ばれました。普通ではないという。また、学者や政治家の家に生まれたのではなく、大工の息子として生まれました。
また、人として生まれてきたイエス様は、私たちの一人のような無防備な赤ちゃんで生まれました。赤ちゃんは、誰かに守られなければ生きて行くことができません。神の子は、私たちの人間に守られながら成長することを選ばれたのです。なぜでしょうか。

みなさん、私たちは、権威者を恐れます。しかし、あんなかわいい赤ちゃんを恐れる人が一体いるでしょうか。私たちの一人のような人を恐れる人がいるでしょうか。
私たちの一人のような家庭に育った、この方を誰が脅威に感じるでしょうか。

私たちの神は、弱さを通して権威を示される神でもあるのです。
イザヤ書には、イエス様の十字架の預言で、人があまりにもかわいそうでむごたらしくて顔を背けるほどであった。とあります。そんなに、弱い方をどうして恐れることでしょうか。

●無力さが力の武装を解除する 

 イエス様の十字架は、世のすべての権威の武装を解除するためにあったのです。イエス様の前には、DMZゾーン。イエス様がいらっしゃるところでは、どんな権威も、コントロールしようとする力も、その武器と策略を下さなければいけないのです。何も、イエス様の権威に勝物はないのです。

コロサイ2:13-15
13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。13 When you were dead in your sins and in the uncircumcision of your flesh, God made you alive with Christ. He forgave us all our sins, 14 having canceled the charge of our legal indebtedness, which stood against us and condemned us; he has taken it away, nailing it to the cross. 15 And having disarmed the powers and authorities, he made a public spectacle of them, triumphing over them by the cross.

●本当の力は、人々を自由にし、和解させ癒す。

この世の力にいつもコントロールが伴い、分裂が伴う。自分の力を行使するなら、自分の強さはコントロールし保てるが、自分と神を分裂させ、人と分断する。交わりがない。共有がない。イエス様の十字架の苦しみと弱さは、私たちの人間関係を

エペソ2:14-15
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。For he himself is our peace, who has made the two groups one and has destroyed the barrier, the dividing wall of hostility, 15 by setting aside in his flesh the law with its commands and regulations.

●弱さの中に完全に働く神の力

パウロは言いました。そして、誇りました。

Ⅱコリント12:9
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
私たちには、神に従う時、戦いがあります。弱さを覚えます。しかし、パウロのようにたくさんの困難と迫害にあった人がいうのです、イエス様の力は弱さの中に完全に現れると。あなたが弱くて、もがいていてもそこに、イエス様の力が完全に働くことを信じますか。それとも、この世の力を得ようとして、もっともがきますか?

●イエス様の弱さは、愛の故であった また神の権力とは、愛である。

この世のすべての権威の武装を解くのは、愛の力でした。イエス・キリストの、良い牧者は羊のために命を捨てます、という、その愛なのです。自分よりも、あなたを生かしたいという、愛。あなたの苦しみ、あなたの悩み、あなたの罪の呪いと恥を取り除きたいという、その愛なのです。

ヨハネ14 に、イエス様は私たちにわたしよりも大きなわざをすると言われている。私たちが、この世の権力に集中するのではなく、イエス様を通して表された神の力を真に行使するのなら、きっとこの世の中は変わるでしょう。
●天においても地においてもすべての権威が与えられています、だから、出て行って。。。

マタイ28:18-20
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」“All authority in heaven and on earth has been given to me. 19 Therefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, 20 and teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age.”

★超自然的な力

自分の弱さを乗り切るという目的ではない、それ以上。あなたを通して神の力が現わされるのです。不思議ですが、イエス様の人生を通して、父の力は人を赦し、人を解放し、人を和解させる力を与えられたのです。
God blessed and gave power in Weakness, God blessed and gave power in powerlessness.
“My strength made perfect in weakness.” 2 Cor.12:9
#イエス様 #礼拝

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イエス様と一緒にしましょ Do it with Jesus

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朝の礼拝中、女子の井戸端会議。... 朝の礼拝中、女子の井戸端会議。。。。。
めちゃかわいい。。。。。
今日は、新しいお兄さんが二人来... 今日は、新しいお兄さんが二人来られて、子供たちは大喜び、優しくゲームを教えてくれたりしました。
やっぱ、お兄さんって好きなんだよねーーー♪
Yくん、Rくん、また続けて来てねーーーーーー♪
2018年5月6日日曜日礼拝の音声は、こちらから


ヨハネJohn 6:1-14

1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。

★ ピリポを試して言われた Jesus tested Philip v4-6






◎大勢の人の群れがイエス様を求めて来ていた。Multitude is seeking Jesus


◎イエス様と一緒に Do it with Jesus


◎試して言われた Jesus said to test Philip


◎ピリピの答え Philip’s reply


★ 一人の少年のお弁当 A boy’s Bento


★ 分けるごとに増えたパン Food Increased as you shared


★ イエス様が示すものは What’s Jesus is saying here?



◎一人ひとり隣の人に手渡しをする One to Another



◎自分の手の内にあるパンを隣に分けていく。A Piece of Bread in your Hand



◎出来立てほやほやのパンをお隣に Share it when it is fresh
#イエス様 #礼拝

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どんな時にも主にあって Always in the Lord 

thread
今週は、日本から、しずかちゃん... 今週は、日本から、しずかちゃんのご家族が訪問してくださいました。とてもよい交わりを持つことができました。この写真は、お父さんがとってくださいました。 礼拝後、お天気で、お兄さんが、... 礼拝後、お天気で、お兄さんが、ボーイズを連れてシアトルセンターで遊んでくれましたーー すごく高いロープでできたジャン... すごく高いロープでできたジャングルジムと、滑り台。。。。子供にはたまらない、楽しいものですが、大人にはどうだったでしょうか。。。

2018年4月29日日曜日礼拝音声は、


先週は、今この時を主とともに生きることについてお話しました。人は、過去と未来に縛られて生きているものであるが、今を主とともに生きるところに力があるというお話しでした。今日もその続きをお話ししたいと思います。
先週も話しましたが、私たちの感情は神様からのメッセンジャーです。私たちは、感情によって物事を絶えず判断して生きています。また、私たちの感情が過去、現在、未来を自分と結びつけます。私たちの天国の通貨、ご褒美は喜びです。これも感情です。

私たちの感情が消化されていないところに、自己防御システムができることも先週話しました。

自分の感情すべてを神さまとともに経験することは、私たちが全身全霊で神の前に存在し、神の前に今を生きるために大変重要なことです。自分の感情すべてと繋がることは、神と繋がることに通ずるのです。
例えば、男性なら悲しみ、女性なら怒りを覚えることに難しさと不自由さを感じます。それらの感情は、文化的にタブー視されているものでもありましょう。私たちは、その感情を避けるためにいろいろな工夫をするのです。その工夫が私たちを自分から分離させ、神にも距離を置かせる結果となります。

聖書の中に、一人、自分の感情と近く歩み、また神と近く歩んだ人がいます。それは、ダビデです。ダビデは、サーミストでした。幼い時から、竪琴を弾き、羊の世話を野でしながら、神に賛美を捧げていました。ダビデは詩をたくさん残しました。

◎野で羊の世話をしている時 
詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。The Lord is my shepherd; I shall not want.

◎恐怖と混乱の時…サウル王から逃げ、ペリシテのガデの王アキシュのところへ行ったとき気が狂っている体を取った時

詩篇34:1-3  1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

詩篇56:3恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.
詩篇56:8 
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?

◎喜びの時  主の箱をいよいよダビデの町まで運んだ時
2サムエル6:14
ダビデは、主の前で、力の限り踊った。Then David danced before the Lord with all his might;
妻ミカルの話によるとダビデは裸で踊ったとされる

◎悔い改める時 バテシェバとの罪ナタンに示されて
詩篇51:10神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
Create in me a clean heart, O God, And renew a steadfast spirit within me.
詩篇51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。The sacrifices of God are a broken spirit, A broken and a contrite heart—
These, O God, You will not despise.

◎自分の子供が死にそうな時
2サムエル12:16 -17
ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から引き起こそうとしたが、ダビデは起きようとうもせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。

◎自分の民に命を狙われている時 …ダビデは自分の妻や子供たちも敵に奪われた、民も自分たちの家族が奪われたことで、ダビデを恨み、石打ちにしようとした。
1サムエル30:6
ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。"But David strengthened himself in the Lord."

★ 私たちが神様に繋がる

ヨハネ15:4-5
4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me. 5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

★ 心の一新のチャンス

先週も、神様と適合していくことについて話しましたが、自分の感情と向き合い、神様に私たちの感情を知ってもらう時、私たちの感情は消化されます。また、過去の出来事、トラウマの場合には、脳内の回路が訂正され、神様による健康的な回路に改正されます。聖書にある通りです。

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

★ 感情の出どころが泉の出どころ

ヨハネ7:37-39
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。37 On the last day, that great day of the feast, Jesus stood and cried out, saying, “If anyone thirsts, let him come to Me and drink. 38 He who believes in Me, as the Scripture has said, out of his heart will flow rivers of living water.” 39 But this He spoke concerning the Spirit, whom those believing in Him would receive; for the Holy Spirit was not yet given, because Jesus was not yet glorified.

〇心の奥底 ギリシャ語でコイリアkoi-lē'-ä --- belly, (upper, lower), womb, feelings, the innermost part of a man, the soul, heart as the seat of thought, feeling, choice

私たちの感情は、私たちの脳への燃料であり、私たちの脳、すなわちマインドは、私たちの創造の場所です。心、あるいは、腹の奥底からと書いてあるその場所に、聖霊様がいらっしゃる。あなたの感情の奥底、はらわたにしまい込んでいるその感情。。。そこに聖霊様が来られるのです。

以前にもビデオをお見せしたことがありますが、2006年ころに、アメリカのニュース番組で、異言での祈りが脳にもたらす影響について、やっていました。普通の祈りとの違い。。。普通の祈りと仏教のお経は同じで、前頭葉が活発になりました。異言の祈りは、脳全体が活発に動きました。これは何を意味しているかというと、あなたの過去も未来も現在も皆、互いに適合し合っているということです。神様は、時も状況もすべてを越えて私たちを造り変えることができるお方です。

●わたしの「だっこ」証し
音声を聞いてください。

感情は、神様からのメッセンジャーです。人は、いつも何かを感じなが生きています。感情に気が付くとき、それは、神様と繋がるチャンスです。シグナルです。合図と考えてください。そして、ダビデのように、その都度、自分を主にあって強めてください。あなたは、必ず、主にとどまり、多くの実をむすぶことでしょう。
#ダビデ #感情 #礼拝

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今を生きる Live present

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今月のお誕生日ケーキーーーなぜ... 今月のお誕生日ケーキーーーなぜか、エリックが一番大きいやつを取ってました。ちっ 今月は、さくらちゃんと、まきさ... 今月は、さくらちゃんと、まきさんのお誕生日でした。
おめでとうございます!
2018年4月22日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


今週末は、学校で神経生物学の専門の先生のお話しを聞きました。恥についての本を書かれた先生で、私がとても霊感を受けている先生です。このセミナーで恵まれたことを交えながら今日はお話ししたいと思います
わたしの、日本の神学校恩師がよく言われたことに、「今を生きる」という言葉があります。人というのは、いつも将来のことを考えて心配しているか、過去のことを思いめぐらして縛られているかのどちらかであると。今現在、目の前にあることに従事している人がどれほどいるでしょうか

★イエス様にとどまる Abiding in Him – Connection

「今を生きる」ということのコンセプトを次のみ言葉がよく表しています。

ヨハネ15:4-5
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

また、イエス様ご自身も、ご自分の働きについて次のように言われています。

ヨハネ5:19
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。

私たちは、イエス様と繋がって位ならば多くの実を結ぶとあり、イエス様も天の父にとどまりながら、この地上を生きられたことがかかれています。

★私たちの本当の姿 Our Biblical Reality

私たちは、神の言葉を信じて生きているのか、過去に縛られて生きているのか、それとも将来の心配で生きているのでしょうか。イエス様は、私たちの存在について次のように言われています。

マタイ5: 13-14
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

私たちは、塩であり、光である。私たちが、この世の中に味付けをされるのではなく、すなわちこの世によって私の味が決まるのではなく、私がいることによって私の住んでる世の中の味が変わる。私の家族の味が変わる、職場の味が変わる、と。

私は、光であり、私が部屋に入ると、全てのものが光に照らされるのです。私が何かの日陰になるのではなく、私が部屋の中の影を消しているのだという現実が神のみ言葉なのです。

★私たちと支配する過去と未来 Abiding in Past and Future?

しかし、私たちは、過去の経験を信じていたり先のことを心配して、目の前の自分の現実をまげて見ています。もし、私たちが今としっかり直面して生きているなら、すごいインパクトがあるのです。

例) 私たちに感情を自分で制する能力というのは小さい時に決まる。もしも、毎日、どなり合いの多い、暴力の多い環境にいたなら、他人から感じる少しのいら立ちや怒りにも敏感になるでしょう。そして、その他人の怒りに触れると、小さい時の持ってた感情に戻り、そこに縛られて出てこれなくなる。大人の自由人としてふるまえなくなる。

こんなことは、事が変わっても誰もにあるのではないでしようか。人に気にいられるために、いろいろと操作しながら生きてきた。親に怒られないように、いろいろとごまかした。等々。。人は、小さい時に着いた、自分を守るためのシステム、それに縛られて生きている。すなわち過去に縛られています。
将来の心配については説明がいりませんね。私たちは、衣、食、住、人間関係など心配しながら生きています。

★神様と適合する Attunement with God

私たちには、その気持ちを調整していくれる方が必要です。子供の例。子供は、前にも言いましたが、赤ちゃんの時、泣いたら、母親が来てあやしてくれる、母親のにっこり笑顔を見てにっこりする。赤ちゃんには、まだ自分の感情を自分でおさめることができないので、お母さんと一緒に感情をおさめることを一緒にこうやって習得していきます。適合
神様と適合していくことについて、聖書は、次のように言っています。

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

★礼拝について Worship

—Pick me up – Toddler 二歳児の抱っこしてのポーズ。子供は教えられなくても、自分をケアして感情をなだめてくれる人を求めている。心のケア。私たちは礼拝する時も、同じポーズをします。手を上げて自分たちよりも大きな存在を求めるポーズをとることでドーパミンが出るそうです。人というのは何歳になっても、その存在を求めている。90才になっても、まだ、助けて下さい。と大きな存在を求めてるのが人間である。人は、神を礼拝するように造られている。そして、礼拝の中に、神との直面があり、感情がレギュレイト調整、消化される。これが癒しと成長を私たちにもたらすんです。

★この世と調子を合わせる Conformed with what?

心の一新が無ければ—私たちのマインド、心は流動的なもの。いつも流れている。Our mind is plastic, and it is flow of energy. いつも何かに形作られて存在する。もし、私たちが、今、神様と繋がっていないなら、この世の方にはまってしまうのです。

英語ではマインドを新しくするとある。マインドを新しくするには、古い考えを捨てて、新しい考えに帰るということであり。考えが変わると行動も変わります

神の御心を知るには、神様と顔と顔とを合わせることから始まる。
今、目の前にいる神様に助けを求めながら生きる。神様に繋がりながら生きるには、乗り越えないといけないことがある。

★Vulnerability 脆弱性(ぜいじゃくせい)

Vulnerability  裏表なく裸になること。が、今を生き、今、主にとどまるに必要なこと。自分の必要、心のニードを表すこと、それを隠さないことは、vulnerable. ですね。

これは、神の前にももちろんそうですが、人に対しても同じことです。Renewing your mind のYOUR は複数形であり、コミュニティ全体をさしています。

わたしたは、神様とも適合し、また、教会の兄弟姉妹ととも適合します。そのようにして、私たちの心を一新し、共に、今を生き、神の働きをしていくのです・




#イエスキリスト #新約 #礼拝

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一粒の麦がもし死ななければ

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日本からのお客さま。。シアトル... 日本からのお客さま。。シアトルは十年ぶりだそうです。
今日は、遠く、レイクスティーブンスからも礼拝に参加された方があったりと、嬉しいサプライズでした!
みなさんも、お気軽にお立ち寄りください。日曜日は、12:30pm より皆さんでランチを食べていますー。
2018年4月8日日曜日バイリンガル礼拝音声は、


ヨハネ12:23-26

23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
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先週は、イースター礼拝で、復活についてお話ししました。先週に引き続き、復活のテーマでお話しします。

12章のはじめでは、異邦人の人たちがイエス様に会いたがり、弟子たちにお願いするようになりました。するとイエス様は、神様の時が近づいていることを感じ、一粒の麦の話しをされました。すなわち、もうすぐ、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも福音が届き、もっともっと多くの人々、全世界の人たちがイエス様によって霊的な祝福を受け取ることができるようになるからでした。しかし、その前に、十字架と死と、葬りと復活が無ければいけませんでした。そこで、一粒の麦の話をとれました。

神様は、地上の全てを造られましたが、その全てに神様特質・メッセージを入れておられます。神様は、種をデザインされ、種が地に落ちて、種の殻が割れて中の栄養が全て新芽に吸われて、新芽が殻を破って出てきます。これを、ユダヤの当時の人たちは「死」とみなしていました。種は、自分が死ぬことによって新しい命を生み出します。

★豊かに実を結んだストーリーit produces much grain

・宣教師 
私の母教会は、スウェーデンからの宣教師によって創設されました。人口の少ない小さな町ですが、教会ができました。宣教師の中には、独身の女性もいました。私の親世代の宣教師などは、シベリヤ鉄道に乗ってはるばるスーツケース一つもってやってきたのです。西洋から東洋へ文化も言葉も違う中、今のようにネットも電話もできない時代でした。

わたしも一人の宣教の青年の働きによって救われました。アメリカから来た、わたしよりも一歳年上の兄弟でした。私は、まだ二十歳でしたから、彼のその行動を不思議に思っていました。この人は、恋人をアメリカにおいて、若くてやりたいこともたくさんあるし、遊びたいだろうに、わざわざ、言葉も通じない、文化も違う、しかも、LAからこんな田舎に、どうして来たんだろう。。。これが私の一番の疑問でした。

また、キャンパスクルセードのチームが来ました。韓国の青年たち。当時は、日本は円高ですし、経済の格差も大きかったです。彼らは、自分で働いて、一、二年お金をためてまで、日本に来ました。日本でも、食べるものは、白いご飯どんぶりめしでやまもり食べて、質素な食事をしていました。私は、そこまでして、私たちに親切にする姿に感動しました。
マイカも今日本に行っていますね。マイかもスタバをやめていきました。帰国後の仕事がどうなるかは、神様に信頼するしかありません。

・イエス・キリスト

イエス様は、ご自分を一粒の種に例えられています。それが死ななければならない、と。イエス様がもし十字架にかからなかったら、その命を捧げなかったら、死も、復活もなく、私たちの救いもないのです。イエス様は、自分の命を天の目的のために捧げられました。
宣教師たちも、自分の人生の楽しみ、楽、生活を捧げて、天の声に従って日本に来たのです。

★私たちにとって死ぬこととは。。。Meaning of death 

v25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。He who loves his life will lose it, and he who hates his life in this world will keep it for eternal life

・自分のいのち  

自分のいのちを憎むとありますが、ここでいういのちは、新約聖書の原語ギリシャ語では、サイキという言葉が使われています。これは、the soul の意味であり、情、欲望、感覚、衝動を含みます。the seat of the feelings, desires, affections, aversions  自分、自分という自分がかわいいという思いです。

先に述べた宣教師もイエス様も自分のいのちを憎まれました。
イエス様は、自分のいわゆる肉の欲、情、衝動は死ななければならない。と言われているのです。この肉の性質というのは、世に属するものです。

◎ 人生の車の運転席

こう考えたら分かりやすいです。自分の人生の車の運転席にしがみついてハンドルを思いのままにきるのも一つの生き方ですが、その運転席を、自分よりも優れた運転者神様にお任せする、運転したいという欲を置いて神様に任せるという風に考えたら分かりやすいかも知れません。マイカも、帰国後の仕事探しなど不安はあるけど、神様が今も将来も運転して目的地に連れて行ってくれると信頼するから、自分の運転欲、我を捨てることができたのですね。

イエス様も罪は犯されませんでしたが、肉の体に宿る葛藤を経験し、知っておられました。

◎自分がなくなる??
よく人に聞かれるのは、自分に死んだら自分がなくなっちゃう。。自分がなくなるのがいいのか? と聞かれます。けれども、ここで書いてある通り、自分のいのちを憎むものはそれを保ち、そして、その上に永遠のいのちに至るとあります。だから、自分はなくならないのです。
ですから、私が私が、わたしわたし。。。という思いではなく、神様に自分をゆだねるときに、私も保ちますし、永遠のいのちにも導かれるということなんです。
ですから、人生の車の運転席のようなものなんです。車がなくなるわけではないんですね。

・永遠のいのち  

自分のいのち・情を憎むものは、それを保って永遠の「いのち」を得る、と。言葉には原語では、違った言葉が使われています。それは、ゾーエーと言う言葉です。Of absolute fullness, both essential and ethical which belong to God, life real and genuine, a life active and vigorous, devoted to God. 絶対不可欠であり、道徳的にも全くの充足しているさまであり、神に属するものである。本物の命である。活動的で、活発な神に献身した命である。
◎自分の命憎むとき、永遠の命に至る。。。he who hates his life in this world, will keep it for eternal life

 種が死に、芽という全く違う形のものが生まれる。自分の命を憎むなら、永遠の命に至る。たましいの領域から、霊が生きるという領域に移される。死から不死の世界に移る。質の違うものに変わっていく様を語られている。すなわち、自分の命を憎むものは、変革を体験し、生き方が変えられるということである。

◎人には、生き方の型がある。Type of life

私は、「自分の行いで人の愛を得る」という型にはまって小さい時から生きてきました。無条件の愛が分からなかった。ですから、entitlement (資格、権利獲得)という罠といつも隣り合わせでした。これだけしたから、これだけ報われるだろう。であるとか、何か、無意識のうちに、神様の前に頑張って、神様の私への愛を増やすというか、神の前に認められようとする、そのような生き方でした。しかし、それには行き詰まりがあります。何をどうしても道が開かれない時がありました。そんなとき、神様に語られたのは、信仰についてです。

へブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.

へブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

私は、道が見えない、閉ざされていると思っていました。こんなにしているのに。。。と。でも、本当に見えていなものは、神さまだったということ。信仰は、自分の祈りの課題が成就することを信じすることではなく、神様を心の目で見ることだと分かりました。それが、はっきり分かった時、閉ざされた道が奇跡的に開かれました。

★新しい生き方の型。イエス・キリストについて行くこと。New type of life; following Jesus

V26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。26 If anyone serves Me, let him follow Me; and where I am, there My servant will be also. If anyone serves Me, him My Father will honor.

私たちの新しい生き方の型は、イエス様について行くことです。ここに、実りがあり、ここに本当の命があります。なくならない、命、増え広がる命があるのです。これは、復活とともに、大きくの命がついてくるという力を持っています。みなさん、これがわがままに死ぬことの報いです。死に対して、私たちは何もできませんが、神は、そこに命を吹き込まれます。自分のわがまま、我をすてることを恐れないでください。

この道には、報いがあります。私に仕える者は、わたしがいる所にいる。。。所  abiding in Me.John15, この場所は、私たちが宿るところ。留まるところ。泊まるところ。住まうところ。主にある安息を意味する。主にある充足。主のSeat of Rest  

★一つだけ覚えていて欲しいこと。

皆さん、新しい生き方に入りませんか。自分のいのち・感情や衝動を愛する生き方から神に属する命に写りませんか。 種は内側から、殻を破るのです。他の誰かが殻を破ってくれるのではありません。そこには、あなたの意思がとても重要に関わってきます。あなたの決断。新しい命に入りたいという決断かとても大切なのです。新しい命に入りましょう。そこには、神様の約束があります。必ず多くの実りと報いがあるのです。
#イースター #ヨハネ12 #礼拝

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復活とあなた

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イースター。土曜日は、卵かざり... イースター。土曜日は、卵かざりパーティをしました。
これらは、作品たち。お上手!!
卵は新しい命の象徴です。イエス様もよみがえりのいのちで、私たちに新しい命を与えてくださいます。
礼拝堂では、受難週の掲げた十字... 礼拝堂では、受難週の掲げた十字架に、生花が! 会堂中すごくいい香りでした。。。。。すってきーー 今日は、いつも教会に来てくれて... 今日は、いつも教会に来てくれてる、まちゃんのご家族が日本から訪問してくださいました。なんだか、教会の家族が広がった感じがして、みなさん大喜びでお交わりしました!
2018年4月1日イースター礼拝音声は、


マルコMark 16:1-8

さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。 2そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。 3彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。4ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。5 それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。6青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。7ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」 8女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

★イエス・キリストの復活の力 The power of Jesus’ resurrection
 
★キリストの復活が人類に可能にするものとは What Jesus’ resurrection made possible for humanity

1. 死の問題。Issue of death.

2. 正しく生きたい。義の道を歩むこと. Issue of righteousness.

★私たちに必要なのは、頑張りでなく、プレゼント

ローマRomans 6:23

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。For the wages of sin is death, but the gift of God is eternal life in[b] Christ Jesus our Lord.

★ その復活に出会うには、どうしたらいいのでしょうか。。。How can I meet resurrected Jesus?

★ 石が象徴的に取り除けられた----- The stone was symbolically removed.
★ イエスの復活を一番に知った人たち Very first people who met resurrected Jesus.

◎愛するならば If you love…愛の関係


◎もがくのではなく、死んだらいい let it die!

◎墓に死を直面するのをいとわずに行った女たち。。。
  その意味は。。。。

◎あなたは、あなたの暗闇近くを歩けますか。自分の恥にいかに近く歩けるか。。。。
復活が隣り合わせにある。
復活とどれだけ近く歩んでいるだろうか。。。。
  

★ それぞれの求めに従って Where are you today?

復活にあずかる一つの道は、ただ信じること。

ヨハネJohn 11:25-26 
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. He who believes in Me, though he may die, he shall live. 26 And whoever lives and believes in Me shall never die. Do you believe this?”
#イースター #礼拝

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Sabbath ⑦ 新約イエス様

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すっかり春です。火曜日に近くの... すっかり春です。火曜日に近くのフェイスバイブル教会で、イースターアフタヌーンティの女性のイベントで奉仕させていただきました。教会からも三名の姉妹たちが参加しました。私は、まるで応援団がいるようで、心強く感じました。ゆっくりすわってお茶を楽しめるなんて。。。毎日忙しいママたち、女性たちには贅沢な時間でした。
2018年3月18日日曜日バイリンガル礼拝音声は、


安息日シリーズ、今日で最終回です。今日は新約の安息日について考えてみたい思います。

★新約聖書New Testament

マルコの福音書では、イエス様がガリラヤに来られたこと。時が満ち、神の御国が来た、悔い改めて福音を信じるように、とマルコ1: 14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

Mark; Jesus came to Galilee, the time fulfilled, Kingdom of God is at hand. Repent and believe Gospel. Time is filled.

ラビや預言者は時が満ちることを話していた。

ギリシャ語で時は二つ、一つはカイロス、正しい時、時別な瞬間、ともう一つは、クロノス、時系列上の時間、順次通常の時間。Greek, Kiros- right time, moment special, Kronos – sequential time, ordinary time. Children is ruled by Kiros.

人々は、今がどんな時か知らなかった。大人というものは、クロノスの時間に縛られている。が子供たちは、違う。だから子供のようにならなければ天の御国に入れないとイエスは言われるのだろう。今がその時であるというメッセージをバプテスマのヨハネやイエスは語っていたのです。

そして、その時、その日というのは、預言者よりも神の家よりも大切なものであります。イエス様は、安息日にやってこられました。マルコの福音書では、四つの安息日の出来事について言及しています。ここに福音があらわされているのです。

① 聖なるスペース Holy Space

マルコMark 1:21-26

21 それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようではなく、権威ある者のように教えられたからである。23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。24 「ナザレ人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしにきたのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

イエス様はすぐにカベナウムの神殿に行かれました。先週のお話しを覚えていますか。イエス様は、聖なる日に、聖なる場所である神殿に来ました。そして、汚れた霊につかれた人から悪霊を追い出しました。イエス様は、聖なるスペースを守られた。また、この後、人を癒されます。イエス様が来られると、人々は悪霊や病の束縛から自由になりました。聖さの中に、それは含まれている。Sozo --- イエス様こそが聖をわたしたちのために造ることができる方。

② 喜び楽しむ時 Time of delight and joy

マルコMark 2: 18-19

ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」19 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。

イエス様が安息に入ってきてくださって、その場所は聖められ、病気が追い出されました。それだけではないのです。人々は不思議に思った。どうしてあなたの弟子たちは、ヨハネの弟子やパリサイ人たちみたいに断食しないのかと。イエス様は、花婿、すなわち婚礼の席で、花婿がいるのに周りの人が楽しんで祝って一緒に食事をしないということはあろうか。と問うている。

イエス様こそ、後に私たち教会の花婿です。イエス様、そして私たちの真の罪からの解放者がともにいるのに、罪深さを覚えるために身を慎んで断食する必要があろうか。。ということ。現に、もう何人もの人たちが癒されたり、悪霊から解放されたりしている。安息は、イエスにある自由を祝って楽しむ日なのです。

③ 安息日は人間のため Sabbath is for man

マルコMark 2:23-24, 27-28

23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」---27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。28 人の子は安息日の主です。

安息日に麦をとって食べることが、罪かどうか。。。が問題に。
イエス様は、安息日は人のためだ。お腹がすいたら食べたらいい。食べ物は神様からのギフトだと習いましたよね。ギフトを受け取って感謝して喜んでいただいたらいいのです。宗教家たちは、宗教の枠にとらわれていました。また、自分たちが何になるかということ。そして、罪を犯すということを重箱のすみをつつくように探していました。自由とはなんでしょうか。

律法とはなんでしょうか。律法は、私たちに仕えるものであって、私たちが律法に仕えるためにあるのではありません。イエス様は、その律法を全うするためにこられたのです。イエス様の霊に従うなら、私たちに自由が与えられます。イエス様に隠されて、私たちは責められることもなく隠れる必要もないのです。イエス様こそが、安全な場所なのです。

④ 安息日は、全ての人のため Sabbath is Inclusive

マルコMark 3:1-6

イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうかじっと見ていた。イエスを訴えるためであった。3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

イエス様はまた、聖なる時に、聖なる場所で、わざをなさった。イエス様は、安息日に人を癒すかどうか責めるために見てやろうという人たちの心を嘆きながら、いのちを選び、癒しをされた。イエス様は、曲がった世の中に安息をもたらしました。この、一人の手の萎えた人も、喜びの安息に入るべきだったからです。安息日は、すべての人にとってギフトであり、全ての人が招かれているものです。

このようにイエス様は、この地上に来られた時、真の安息を示して下さいました。罪、汚れ、悪霊、病からの解放、食事を楽しみ、みなを安息日に招き入れる。イエス様は、身をもって示されました。イエス様は、全てを可能にしてくださいました。私たちが安息に入るためにです。今が、カイロスなのです。私たちがイエス様にいつでも、今がその時、となりました。それを信じますか。
今、一緒に祈りましょう。
今がその時です。イエス様の力を受け取りましょう。

#イエス #安息日 #新約 #礼拝

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