今回も、近藤MASAKOさんとお会いする。
60代前半の彼女とはすでに7年来の知人であるが、今回始めてその苗字の由来を教えていただいた。
父方が新撰組の近藤勇の親戚と言う。母方は会津若松の松平容保を補佐した要人であることは以前から聞かされていた。
明治維新後、特権を失った士族は新天地を求めて多く渡米したらしい。特に敗軍とされた会津若松藩は土地を取り上げられて、青森の荒涼とした八戸に移住させられるが、その中からMASAMOさんの4代目のご先祖はまずハワイに移民したと言う。
彼女のご両親はもちろん戦時中、強制収容所に入れられる。
その中から志願兵が徴収されるが、そのほとんどは士族出身の人々だと言う。
ただしこの点は機関銃のような早口で巻くしたてた、先祖を誇りとしている彼女の言葉でであり史実であるかどうか、私は確かめたことはない。
彼女の家族・親戚たちもすべて志願し、有名な442部隊で参戦し、そのうち二人の叔父さんが命を落としたのだと言う。
「侍は己が主人のために命を捨てるのよ。今や米国が彼らの主人となり、このことを他の人にわかってもらう為には“当たって砕けろ’で戦うしかなかったのよ。」
とにかくすごい勢いで話される。彼女が当時生きていたら女性ながらも戦地に赴くであろう。次の訪問が会って時間が気になったが、その機関銃早口に私から口を挟むことすら難しい。およそ30分間は射撃を続けられた。
サンフランシスコ・ダウンタウンの博物館に父親が寄贈したと言う、先祖からの家宝の日本刀をいつか見に行ってみたいと思っている。
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