旧約聖書時代の預言者たちの理解のほどは?
May
7
それを執筆した預言者たちは新約聖書時代をどのように理解していたのでしょうか。
聖書を書いた預言者たちは、
神の霊に導かれて真理を書き残しました。
その神の霊の働きのことを、
「霊感」と呼んでいます。
この神の霊(聖霊)によって、
真理が明らかにされることを「啓示」といいます。
啓示が与えられた彼らは、当然その啓示の内容まで良く理解していたはずだ、
と私たちは考えやすいのです。
メシアが来られる啓示、
そのメシアがイスラエルのものだけでなく
異邦人を含めた全世界へ伝えられていくという啓示、
その異邦人時代(教会時代)の後に、
メシアが地上を統治される王国が始まるという啓示。
実は、彼らはこれらを神様から啓示されましたが、
現在その時代に生きる私たちほどには理解できていなかったのです。
それが以下の聖書で教えられているところです。
Ⅰペテロ1:10-12
「10 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
11 彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。」
以下は、この聖書の解説です。
10節にある、「恵みについて預言した預言者」には、例えばダニエルがいる。(7:15-16,9:1-3,12:8-9)。
これは預言全般に渡って言えることであるが、
預言者は、NT時代の信者の救いについて預言し、参加し、語っている。
11節ではその預言の内容がある。
ただしその二つの矛盾してると思われる点は最後まで彼らの中で調和できないままであった。
その二つのうちの一つというのが、キリストの「苦難」。
これはメシアが初臨において経験することで、
複数形になっているのは十字架を含めた地上生涯でメシアが通過するすべての困難を意味しているからである。
「栄光」が苦難に引き続きメシアに与えられるものである。
それも複数形であるのは、メシアの復活、昇天、右の座への着座、再臨、千年王国の樹立を含む複合概念だからである。
ここでペテロが言っている点は、
聖霊が彼らに内在して預言のことばを与えていても、
彼らの理解は十分でなかったということである。
この節の完了形用法は、
聖霊が預言者たちに継続して啓示を与え続けたことを示唆している。
旧約時代の長期にわたり、預言者たちに啓示を与え続けたのである。
この苦難と栄光の、矛盾とも見えるメシア理解は、
ユダヤ文学で「二人のメシア」観を作り上げて行った。
ラビたちも、預言者同様にこの苦難と栄光の相反する概念が、
一人のメシアに調和・体現されるとは考えていなかった。
新約聖書になって明らかに教えていることは、
二人のメシアではなく、一人のメシアが2回に渡り地上に来られることである。
12節では、預言者への啓示に焦点をあてている。
その新約時代の読者になって始めてこれら二つの矛盾点が理解できるようになった。
「啓示を受けた」と受動態で書かれているのは、
彼らに働いた聖霊を強調するためである。
しかしながら、その意味については当時の預言者たちは理解できていなかった。
預言者達は旧約の彼らと同じ世代のためでなく、
新約聖書の読者世代のための働きをしたのである。
そういった例は、ローマ15:4,Ⅰコリント10:11にもある。
聖霊が使徒たちに働き、
その使徒たちが福音を説教して、
はじめて預言者達の預言が理解できるようになったのである。