モーセ律法は有効か〜まとめ❸
マタイ5:18を正確に解釈するために、
原文のギリシャ語、そして主な英語訳とを比較してみよう。
KJV Matthew 5:18
For verily I say unto you, Till heaven and earth pass,
one jot or one tittle shall in no wise pass from the law, till all be fulfilled.
NAS Matthew 5:18
"For truly I say to you, until heaven and earth pass away,
not the smallest letter or stroke shall pass away from the Law,
until all is accomplished.
BGT Matthew 5:18
ἀμὴν γὰρ λέγω ὑμῖν· ἕως ἂν παρέλθῃ ὁ οὐρανὸς καὶ ἡ γῆ, ἰῶτα ἓν ἢ μία κεραία οὐ μὴ παρέλθῃ ἀπὸ τοῦ νόμου, ἕως ἂν πάντα γένηται.
新改訳 Matthew 5:18
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
日本語の新改訳とは大きく違う解釈が原文からは読み取れる。
新改訳を読む限り、
「天地が続く限り、
律法の中の一点一画でも廃れることなく、
(律法が)全部成就される」と解釈されてしまう。
ところがギリシャ語原文を英語訳を助けとしながら読めば、
以下のように釈義できるはずだ。
律法の中の一点一画でも、決して廃れることはない。
①天地が滅び失せないまでは(ἕως)
②全部が成就されるまでは(ἕως)
原文では2回現れているἕως (までは、Till, Until)という接続詞が
どの英語訳にも2回現れていて、上の解釈を可能としているのに対して
新改訳では1度きり現れてこない。
それにより、正反対の解釈をせざるを得ず、大きな混乱を招いてしまう。
つまり、新改訳の翻訳では
モーセ律法がとこしえまで続き、
一点一画も廃れることはないと読めてしまうのだ。
ところが、
「全部が成就されるまでは
一点一画も廃れることはない」、というのが
本来の原文が教えているものである。
では、「全部が成就したとき」とはいつのことか。
これまで論じてきたように、
もちろんそれは、メシアが十字架で死を遂げられたときである。
主が「完了した」と言われて「霊をお渡しになった」瞬間(ヨハネ19:30)、
モーセの律法は破棄されたのである。
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、
「完了した」と言われた。
そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
(ヨハネ 19:30)
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