第2回目〜「主の日」について
先回はキリスト教会の主流が
「旧約聖書の安息日規定は、
新約時代の日曜日と入れ替わった」
と考えていることを紹介した。
それでは、歴史的にキリスト教会が産声を上げた初期の頃を概観してみよう。
2世紀には、キリスト教会が日曜日を礼拝の日としていたのは確かである。
また同時に、パウロが建てあげて行った1世紀のキリスト教会では、
「週の初めの日」に礼拝が行われていたのも確かである。
「7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。
そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、
人々と語り合い、夜中まで語り続けた。
8 私たちが集まっていた屋上の間には、
ともしびがたくさんともしてあった。
9 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、
ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、
三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。
10 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、
「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。
11 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、
明け方まで長く話し合って、それから出発した。」
(使徒の働き20:7-11 )
トロアス教会では、
「週の初めの日」にパウロの説教による礼拝を行っていたが、
通常解釈されて来たようにそれは日曜日ではない。
ユダヤ歴では、一日は日没とともに始まり、翌日の日没で終わる。
そこでは人々が安息日を終えた土曜の日没後に教会に集まり、
礼拝を行っていたのである。
聖書記述に採用されているユダヤ暦で、
「週の初めの日」、つまり日曜日となっているのは、
安息日明けの土曜の日没後のことで、
それは、ローマ暦(現在私たちの使用している暦)では土曜の夜に当たる。
この解釈はその集会でパウロが長い話をしたために、
真夜中を超えたという記録にも合致する。
その3階の部屋にランプが必要であったという記述も、
集会が夜であったことを示唆している。
翌日、パウロはそこから旅立つが、それは日曜の朝であった。
これまでの歴史的キリスト教会が主張している
礼拝の日時としての日曜日午前中には
彼らは礼拝の集会をしていなかった。
むしろパウロは旅行へ出掛けていたのである。
「信仰と生活の唯一の規範が聖書にある」
とする立場がプロテスタンティズムであり、
教会の伝統や人間の理性がそれに取って代わるものではないことを
再確認したい。
聖書信仰の立場は教会の長年の伝統と相容れない場合があるが、
(それゆえにカトリックからプロテスタントが誕生した)
人の理性や科学的論証性になんら矛盾するものではないが、
ここではこれ以上進めない。
長いキリスト教会の伝統の中で常識と考えられてきた
「日曜日=安息日」図式も
その正当性を論ずるにあったては
聖書から検証しなくてはならない。
さらに、日曜日は新約聖書で一度も
「安息日」と呼ばれている場所は見出されない。
いつも「週の初めの日」と呼ばれている点に注目。
また、「主の日」と日曜日が呼ばれている箇所も一度も無い。
初代教会の教父達は、
確かにその著作の中で日曜日を主の日と表現した所があるが、
新約聖書でその用例は無いのである。
新約聖書で「主の日」という用語は、
黙示録1:10に見出されるが、
それが日曜日であると推論できる証拠は文脈からは見出されない。
10 私は、主の日に御霊に感じ、
私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
11 その声はこう言った。
「あなたの見ることを巻き物にしるして、
七つの教会、すなわち、
エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤ
に送りなさい。」 (黙示録 1:10-11)
ここでの「主」にあたるギリシア語は
名詞ではなく、形容詞であることから、
Lordy Dayと直訳され得る言葉となる。
日本語に無理に意訳すれば、
「主に属する日」
とでもなろうか?
それが意味するのは、
安息日や日曜日などの特定の日ではなく、
ヨハネが聖なる恍惚感に聖霊によって捉えられ、
聖なる啓示を与えられた「特別な日」であるのを示した言葉である。
ヨハネにとって、その日は主に属する日、Lordy Dayとなったのだ。
(つづく〜「救済」タグをクリックしてください)
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