人の目には斬新だが、神の目には想定内
Dec
14
「受難予告~天の御国のプログラム」
マタイ20章17~ 19節
~マタイ福音書連続講解説教55~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/011654
主はご自身の死とその後の復活を預言されます。
今回で3回目の受難予告です。
弟子たちをはじめユダヤの群集は、
主イエスがエルサレムにてメシア王国を樹立されるのを期待していました。
旧約聖書が数百年かけて預言してきた
神の約束をメシアが今や成就してくれるものと考えていました。
彼らの想定外のことが起こったのです。
神であられるメシアが十字架で死ななくてはならなかったとは?!
それとともに、
異邦人にも福音が伝えられていく「世界宣教」の時代が始まります。
旧約聖書にはなかった奥義としての「教会時代」が始まります。
主イエスが
エルサレムにて王として全世界を統治されるのは将来に「延期」されて、
教会と言うものが歴史に「挿入」してきたのです。
これらは人の目にはことごとく斬新的に見えます。
当時の弟子たちも理解するのには困難を極めました。
3回も主ご自身の受難を聞いていながら、
彼らには理解できていなかったと、聖書は記録しています。
人の目には斬新的に見えても、神のご計画に何一つ狂いはありません。
神の目から見たならば、これらすべてはすでに想定されていたことなのです。
これらが預言されている箇所として、
イザヤ49:1~13を注意深く学んで見ましょう。
49:1「 島々よ。私に聞け。 遠い国々の民よ。耳を傾けよ。
主は、生まれる前から私を召し、 母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。
*イザヤがあたかもメシア自身の言葉として、
預言的に語っているところである。
ここには人間の父の言及なく、
母のみが言及されているのは処女降誕の預言も想起される。
2 主は私の口を鋭い剣のようにし、
御手の陰に私を隠し、 私をとぎすました矢として、 矢筒の中に私を隠した。
*メシアは神から委ねられている任務のために訓練され、準備される。
*主イエスの公生涯に立たれる30歳までの預言である。
3 そして、私に仰せられた。
「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。
わたしはあなたのうちに、 わたしの栄光を現す。」
*メシアが真の意味でのしもべ、真のイスラエルと呼ばれているのは、
モーセ律法の要求を完全に満たした唯一のユダヤ人であるからである。
*主イエスの生涯で神から声がかかった場面(ゴットバル)が3回あるが、
何れも神の栄光が現れ出た瞬間であった。
• 洗礼の時:マタイ3:17 ~ミニストリーの開始期に
• 変貌山 にて:マタイ17:5~ミニストリーが弟子たちに受け入れられない時に
• 受難の直前:ヨハネ12:28 ~ミニストリーの完成間近に
4 しかし、私は言った。
「私はむだな骨折りをして、 いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。
それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、 私の報酬は、私の神とともにある。」
*この節からメシアの落胆色が濃くなる。
3年余りの公生涯は、そしてその結果は
同胞ユダヤ人からの拒絶、排斥に彩られている。
5 今、主は仰せられる。
--主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、
イスラエルをご自分のもとに集めるために、
私が母の胎内にいる時、 私をご自分のしもべとして造られた。
私は主に尊ばれ、 私の神は私の力となられた。--
*だがその拒絶にもかかわらず、メシアを通じてイスラエルの復興が約束される。
それは世界離散のユダヤ人が、約束の国に集合されることと関連している復興であるのが分かる。
6 主は仰せられる。
「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、 ヤコブの諸部族を立たせ、
イスラエルのとどめられている者たちを 帰らせるだけではない。
わたしはあなたを諸国の民の光とし、
地の果てにまでわたしの救いを もたらす者とする。」
*約束の国への集合は、
イスラエルの物理的な復興、繁栄を伴うものである。
さらにそればかりでなく、
メシア拒絶に結果する第3の目的があると告げている。
それは異邦人に救いが届けられることである。
*この異邦人の救いはこの旧約預言に見られるように、
当初からの神の計画であった。
上記の二つの目的(ユダヤ人の集合と復興)を脇に置いて、
時が満ちるまで続けられる。
世界宣教のときが終わったとき、これら二つが成就するときである。
7 イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、
人にさげすまれている者、 民に忌みきらわれている者、
支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。
「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。
主が真実であり、 イスラエルの聖なる方が あなたを選んだからである。」
*「人にさげすまれている者、 民に忌みきらわれている者、 支配者たちの奴隷」
とはメシアの初臨の際の拒絶を預言したものである。
*その拒絶は一時的なものであり、
やがてメシアはユダヤ人ばかりでなく、すべての異邦人に崇められ、
受け入れられるときが来る。
8 主はこう仰せられる。
「恵みの時に、わたしはあなたに答え、 救いの日にあなたを助けた。
わたしはあなたを見守り、 あなたを民の契約とし、
国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。
*「あなた」とはメシア。イスラエルとの契約の締結者として
その復興をメシアゆえに実現するとの預言。
それは、異邦人に対するメシアの働きが完成するときである。
9 わたしは捕らわれ人には『出よ』と言い、
やみの中にいる者には『姿を現せ』と言う。
彼らは道すがら羊を飼い、
裸の丘の至る所が、彼らの牧場となる。
10 彼らは飢えず、渇かず、 熱も太陽も彼らを打たない。
彼らをあわれむ者が彼らを導き、 水のわく所に連れて行くからだ。
11 わたしは、わたしの山々をすべて道とし、 わたしの大路を高くする。
12 見よ。ある者は遠くから来る。
また、ある者は北から西から、 また、ある者はシニムの地から来る。」
13 天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。 山々よ。喜びの歌声をあげよ。
主がご自分の民を慰め、 その悩める者をあわれまれるからだ。」
*世界に離散し、
苦労の中に置かれているユダヤ人が
約束の国に集合され復興されることが繰り返し預言されている。
*「シニム」とは現代へブル語では中国を指すが、
イザヤ時代のヘブル語がどこを指していたかは不明である。
アジアのどこかの箇所が、
ユダヤ人復帰活動のセンターとして用いられるのであろう。