イスラエルとキリスト教会❷〜区別されるその聖書的論証
①教会は歴史的に使徒2章のペンテコステの出来事(AD30)で誕生した。
ところがイスラエルとは、
紀元前2千年に遡るアブラハム、イサク、ヤコブを先祖に持つ
民族グループのことである。
キリスト教会は、聖霊のバプテスマによって誕生したことが
預言、史実、そしてパウロ書簡の叙述から明らかである。
「教会はキリストのからだである」と教えられている。
「また、御子はそのからだである教会のかしらです。
御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」
(コロサイ1:18)
そしてこの「キリストのからだ」に加わるためには、
聖霊によるバプテスマを受けなくてはならないとも教えている。
「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。
神の御霊によって語る者はだれも、
「イエスはのろわれよ」と言わず、
また、聖霊によるのでなければ、
だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。」
(1コリント12:3)
主が天へ帰られる前、
その聖霊のバプテスマとは
その時点では将来に関わることであると教えられた。
「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
もう間もなく、あなたがたは
聖霊のバプテスマを受けるからです。」
(使徒1:5)
それでは「聖霊のバプテスマ」とは、一体いつから始まったのか?
答えは使徒2:1-4にあるペンテコステの日の聖霊の傾注なのであるが、
問題はその箇所には「聖霊のバプテスマ」という語が出て来ないのである。
「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、
彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、
他国のことばで話しだした。」
(Act 2:1-4)
それでも使徒11:15-16に
当時を振り返ったペテロがその出来事を
「聖霊のバプテスマ」であると呼んでいる。
「そこで私が話し始めていると、
聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、
彼らの上にもお下りになったのです。
私はそのとき、主が、
『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』
と言われたみことばを思い起こしました。」
(Act 11:15-16)
ペテロは異邦人達に聖霊のバプテスマがあった(使徒10:44-46)様子は、
ちょうど初めの日にユダヤ人達に聖霊の傾注があったのと同様であった
と、ここで述懐している。
そして使徒1:5の主イエスの預言を取り上げて
それが使徒2:1-4において成就したのであるとの解釈を進めているのである。
聖霊のバプテスマがキリスト教会の設立に不可欠なものであり
聖霊のこの傾注が初められたのは使徒2:1-4のみであると聖書が語っているのなら
キリスト教会はそれ以前には存在していなくて
使徒2章で初めて存在するようになったことになる。
旧約聖書のアダムやアブラハム、
どの時代でも教会が始まられたとする言及はないし、
マタイ16:18には教会設立預言が未来形で語られていることから
福音書時代にもあり得なかった。
「ではわたしもあなたに言います。
あなたはペテロです。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。
ハデスの門もそれには打ち勝てません。 」
(マタイ 16:18 )
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