イスラエルとキリスト教会❾その1
Jan
27
Galatians 6:16
「どうか、この基準に従って進む人々、
すなわち神のイスラエルの上に、
平安とあわれみがありますように 」
全ての契約神学者が、
「教会が霊的なイスラエルとなったのだ」
または
「異邦人信者が霊的なイスラエルである」
と結論付ける根拠としてあげる聖句はこれ一つである。
果たしてこれが正しい解釈であろうか。
先ず、ガラテヤ書全体の文脈を概観してみよう。
そもそもこの書は、
モーセ律法によって救いを得たり、
これを維持しようとしている異邦人信者に関心を払って書かれたものである。
15節では救いに重要なのは信仰であり、
れが「新しい人(直訳)」に至る、とある。
さらにそこに至るには2つの要素があり、
一つが割礼、他が非割礼である。
それは二つのグループを意識したもので、ユダヤ人と異邦人のことである。
「7 それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、
私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。
8 ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、
私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
9 そして、私に与えられたこの恵みを認め、
柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、
私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。
それは、私たちが異邦人のところへ行き、
彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。」(ガラテヤ2:7-9)
16節では、信仰によってのみ救いが得られるという基準に従う
二つのグループに祝福を述べるのである。
最初が「人々」と訳されているグループで、異邦人のことである。
次が「神のイスラエル」、つまり信仰のあるユダヤ人のことである。
これら二つのグループを新改訳聖書は「すなわち」と訳して
同一グループと見なしているのは、
契約神学の視点からの読込みであると言わざるを得ない。
そこにはKaiという接続詞が用いられてあって、
その主要な意味はANDであり、並列に訳されるべきものである。
口語訳聖書はその点で正しく訳出してある。
「 この法則に従って進む人々の上に平和とあわれみとがあるように。
また、神のイスラエルの上にあるように。 」
(Gal 6:16 口語訳)