イスラエルとキリスト教会10〜その1
Feb
5
イスラエルとキリスト教会10〜その1
ユダヤ人信者に関する2つの誤り
2つの誤った見解が、今でも多くのクリスチャンたちの間に席巻している。
1つは異邦人達がキリストを信じた時点で、
彼らは霊的なユダヤ人になったと言う見解。
もう一つが、異邦人でもユダヤ人でもキリストを信じた時に
両者の垣根は取り払われて、1つのものにされたというものである。
新約時代には、もはやユダヤ人の特殊性と言うものはなく、
異邦人と言う言葉すら相応しくないとする考え方である。
信者はキリストにあって1つの家族となったのであり、
特定の民族や選民思想、ユダヤ人の特権性というものは消滅してしまったのだ
と言うのである。
果たして本当にそうだろうか。
そのような考え方は、契約神学の人々に決まって共通していることである。
また現在のイスラエルに対する乏しい思索ゆえに
一部のディスペンスセイショナリストたちも抱いている考え方である。
①異邦人の信者が霊的ユダヤ人なのか?
しばしばそのような言い方がされてきたのだが、
この考え方に賛同している聖書箇所は存在しない。
聖書が「霊的」という言葉を使用する際には3つのことが包含されていると
Dr. Charles Ryrieは指摘する。
それは、「新生」と「聖霊と「時間」である。
信者が霊性と関わりを持つことは、
聖霊によることであり
神との関係が創始せられる新しい誕生であり
そしてそれ以後に続く成熟と言う観点を考慮すると時間にも関わることであろう。
ドクターが指摘しているように
聖霊との関わりの成長・成熟が「霊的」Spiritualityと言う言葉の意味である。
要するに霊的な人物とは、聖霊のコントロール下にある人のことである。
もし異邦人がキリストを信じて聖霊のコントロールに自らをゆだねるなら、
彼は霊的な異邦人と呼ばれる。
同様にユダヤ人が信者となって聖霊のコントロール下にあるなら、
彼は霊的なユダヤ人と呼ばれるのである。
しかし、これから両者の民族性が交差されることはない。
ユダヤ人信者はユダヤ人のままであり、異邦人信者は異邦人のままにとどまり、
それぞれの霊性とは、それぞれが聖霊様との関係の上に築く属性の事である。