イスラエルとキリスト教会10~その4「アブラハムの子孫」
ここで、「アブラハムの子孫」
という聖書で大切な概念が出て来たので解説しておこう。
聖書には4つの異なる意味で使われている。
⑴ アブラハムの肉体的な子孫
第一義的にアブラハムの肉体的な子孫といえばユダヤ人を意味するが、
アラブ人もそこに含まれるのである。
いやむしろ、人数の上からすればアラブ人の方が圧倒的に多いことになる。
しかし旧約聖書ではその語句はユダヤ人に限定されて用いられている。
ただ「アブラハムの子孫」はユダヤ人だけでないことを覚えておかねばならない。
⑵ メシア〜特別な個人としてのアブラハムの子孫である
「16 主は御使いたちを助けるのではなく、
確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、
主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。
それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 」
(ヘブル2:16〜17)
⑶ 今日の信者であり、教会がアブラハムの子孫である
「29 もしあなたがたがキリストのものであれば、
それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。 」
(ガラテヤ3:29)
この時の「子孫」には、アブラハムの肉体的な子孫であるユダヤ人と、
肉体的には子孫でなく信仰によって子孫と見なされた異邦人たちが含まれている。
ここで大切な質問がある。
アブラハムのこれら霊的な子孫(異邦人信者)はイスラエルであると、
聖書が一度でも呼んだことがあっただろうか?
答えはNOである。
霊的なアブラハムの子孫は、ユダヤ人の霊的な契約の共同相続人ではあるが、
契約の他の側面、肉体的、物質的、民族な面での相続人とはなり得ないのである。
⑷ 「イスラエルの残りの者たち」と同義語で用いられ、
霊的なユダヤ人として現される事もある
イザヤ書41:8、
「 8 しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。
わたしが選んだヤコブ、 わたしの友、アブラハムのすえよ。 」
(Isa 41:8)
ローマ9:6、
「6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。
なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、」
(Rom 9:6)
ヘブル2:16
「16 主は御使いたちを助けるのではなく、
確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。」
(Heb 2:16)
少数の霊的な子孫だけが本当のユダヤ人と呼ばれている。
彼らはユダヤ人信者のことであり、民族イスラエルの一分部であり、
ガラテヤ6:16においては、「神のイスラエル」と呼ばれる群れである。
しかし「霊的なアブラハムの子孫」が一まとめにイスラエルと見なされることは
聖書には決して無い事を覚えていなくてはならない。
全ての肉体的なアブラハムの子孫がユダヤ人なのでななく、
ヤコブの肉体的な子孫がユダヤ人である。
イスラエルという語句そのものも、
ヤコブの変名として彼自身にに起源を持つものであってアブラハムからではない。
もし「教会」が「ヤコブの子孫」であると教えている一つの聖句でも見付け出すことができるなら、
契約神学者達の抱いている中心となる神学を樹立させることができる。
ところが、それができないままにいる。
彼らがその神学体系構築のために頼りとしている聖句は「アブラハムの子孫」であるが、
それでは不十分なのである。
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