イスラエルと教会11~その①
Feb
16
「28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、
外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」
(Rom 2:28-29)
これは、「異邦人クリスチャンが霊的なユダヤ人となった」
とする神学が最終的で最大の拠り所とする聖句である。
本当のユダヤ人とは内的のことであるなら
信仰のある異邦人もその基準を満たしているし、
結局異邦人も内的ユダヤ人と見なされるのだ
とここの聖句が教えているとする論理である。
そのように主張する人たちは、
ローマ書簡の構造的な文脈を弁えていないのである。
ローマ書3章までの基本的な構造は次のようになっている。
あいさつ 1:1-7
序論 1:8-15
主題 1:16-17
有罪の下に置かれた全世界 1:18-3:30
有罪の下に置かれた異邦人 1:18-2:16
有罪の下に置かれたユダヤ人 2:17-3:20
結論 3:21-30
冒頭の2:28-29の聖句はユダヤ人に関わる文脈に位置している。
そこには異邦人に関わるものは何もなく、それに関しては2:16で終わっている。
この聖句をより良く理解するには、
信仰あるユダヤ人(パウロ)が信仰のないユダヤ人に語っているところであるという文脈
に注目せねばならない。
そうするならパウロがここで言葉遊びをしていることにも理解出来るであろう。
Judaism(ユダヤ性) やJew(ユダヤ人) とは、
同じ「栄誉」という語源から派生している。
ここで教えているのは、外的なユダヤ人であることが神の義を受けるに十分でなく、
それには神のユダヤ性(つまり霊的なユダヤ性)が必要となるというものである。
29節は、「ユダヤ性とは、人からではなく、神から来るものです。」
とも言い換えられるのである。
この箇所を学ぶにあたり、ローマ2:17-3:9 という大きな文脈から整理するなら
さらに納得していただけるものと思う。
(次回に続く。一連の投稿は「救済」タグをクリック)