パッキンと人の心
Mar
12
数ヶ月に一度は繰り返されるトラブル。
重たい水量に耐えられなくなると
プラスチックのパイプどうしのつなぎ目が外れるだけのことで
スクリューを調整して直して来た。
ところが今回は何度調整しても、
そのジョイント部からの水漏れが収まらない。
原因は、ジョイント部のパッキンが破損していたのだ。
すでに家内が新品のパッキンを用意してくれていて
取り替えるだけで問題解決。
問題の根本に手を入れなくては
真の解決につながらない。
それは神が人間を扱う方法と同様である。
人が大きな家に住み、便利な生活と高い教育だけでは外側を取り繕うのに等しい。
社会から憎悪や窃盗、詐欺や殺人などの罪の行為の濁流はなお流れ続ける。
力任せにスクリューをどんなに締め付けても水はポタポタと漏れてくる。
神のなされる問題解決法は
人間の心という根本のところにメスを入れることにある。
罪深い人の心は治療不可能なので
神がキリストの心というものと入れ替えてくださる、というもの。
主イエスだけが罪のない完全な生涯を送り
神の前に「義」であられることが出来た。
その義を私たちに転用してくださるというのが、キリスト教の救いの極意である。
「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」
だれが、それを知ることができよう。」
エレミヤ17章9節
「 しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、
ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、
ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。
これは、律法の行いによってではなく、
キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、
律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
(ガラテヤ 2:16)