オレゴン誕生と日本の開国
Mar
20
今日、ダウンタウンのAlder通りを歩いているときだった。
これまでその壮麗な教会堂の目前を何度も通ってきたが、
壁に掛かる碑文に注意を向けたことはなかった。
その教会の設立は1854年とある。
その年、数百年間の鎖国を破り日米和親条約が締結された。
前年からのペリー艦隊による砲丸外交によって
江戸幕府は無理やりに開国を余儀なくされた。
時に、二十歳前の坂本竜馬は江戸の千葉道場で剣術修業中である。
「歴史を感じる」と冒頭に書いたがこの州の、
そしてこのアメリカという国の若さを改めて実感してしまう。
長い平安王朝貴族の時代が終わって武士の世となり、
鎌倉から武士政権が誕生して以来650年ほど続いた
「刀とちょんまげ時代」が終焉を迎えようとするころ、
このオレゴン州が産声を上げることになる。
オレゴンがアメリカ合衆国の州に昇格したのは、1859年2月14日である。
ついでにもう少し遡ると、
ジェファーソン大統領の時
ルイスとクラークの二人が陸路北西部の探検に派遣されて、
ロッキー山脈を超えて太平洋岸に達するのが、1805年であった。
当時英国もクックらの探検家を送っていてこの北西部の領有を主張していたため、1818年の米英協定で、共同領有とされた。
当時のオレゴンとは、オレゴン州、ワシントン州、アイダホ州の北西部一体を指している。
1830年代には、ミズーリ州インディペンデンスから
ロッキー山脈を越えてオレゴンに達する「オレゴン街道」が開かれると、
西部に移り住む開拓民が後続するようになる。
1846年、オレゴン条約によって国境問題が平和的に解決される。
アメリカ合衆国とイギリス領北アメリカの国境が北緯49度線に設定されたもの。
これは現在のカナダとの国境線になっている。
1848年にはオレゴン準州が公式に組織化され、
再度記すが合衆国33番目の州に昇格するのが1859年である。
ちなみにワシントン州の昇格は、
さらに送れること1889年11月11日であり、
大日本帝国憲法が公布されるとの同年である。