序論
人は死んだらどうなるのであろう?
存在を失ってしまうのだろうか。
それとも霊魂(非物質的な部分)は肉体を離れて生き続けるのだろうか?
ある人は、見てきた人がいないのだから結局の所は明瞭には証明出来ない、
と結論付ける。
それは各宗教によって異なる見解・教えに過ぎず、
各宗教人による創作(フィクション)だ、と言う。
もし聖書がフィクションであるとすると仮定するなら
上に書いた推論は正しい。
しかし
もし聖書が神が人に与えた啓示の書であるとするなら
フィクションとしてでなく、多少は襟を正して聞くことも必要であろう。
約1500年間に40人程の著者によって66巻の書が記されて来た聖書。
その膨大な分量に加えてバラエティ富む文学形式満載の書。
その各66巻が互いに調和を保ち、
一つだけのテーマに貫かれ、
矛盾点や誤りが一点でも見出されていないとしたら、
どうであろうか。
聖書が神の霊感による誤りのない啓示の書であると科学的に弁証出来るが
それが本稿の目的ではない。
いずれ項を改めてそれを記すこともあるかもしれない。
今回は、
その聖書が
人の死後の世界についてどう語っているかをまとめて見たく思っている。
本稿はハーベストタイムが2012年に開催したフルクテンバウムセミナー
「聖書が教える死後の世界」
をテキストとして多いに参考・抽出させていただいている。
ハーベストタイムが発行している同セミナーのテキストブックや
CDや DVDを用いればより詳細な学びに益するはずである。
聖書の前提 : 不滅
人が死んだらそれっきりでは無いと聖書は教える。
「不滅」であると明確に教えてくれている。
死とは、霊魂(非物質的な部分)と肉体との分離のことで
その霊魂自体は消滅しない。
不滅を定義すればこうなる。
「霊魂が肉体から分離した後、
永遠に、継続して、意識を持って存在することである。」
「 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、
死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、
「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。」
(1コリント 15:53-54 )
ここでは人の肉体が不滅であるとの教えである。
この文脈では、
死後に失われていた肉体が、「朽ちないもの」「不死」のものとして
霊魂に与えられるそのときが
主イエスの再臨・教会の携挙の時であると教えている。
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