聖書の教える死後の世界~「不滅の証拠」その2
Apr
8
聖書は、人が死んだとしてもその存在が無くなってしまうことはない、
と教えている。
それが「不滅」である。
先回は、8箇所の聖書箇所を取り上げてその論拠とした。
今回が最後であるが、
8箇所の聖句を取り上げて論証してみよう。
⑨永遠を思う心が人には存在する
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 (伝道3:11)
10. サウルの前に現れたサムエル
「サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、
夜、その女のところに行き、そして言った。
「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」
すると、この女は彼に言った。
「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」
(Ⅰサムエル28:8-9)
11. 神は生ける者の神である
「しかし、イエスは彼らに答えて言われた。
「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。
復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、
あなたがたは読んだことがないのですか。
『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」 (マタイ22:29-32)
12. 人は死んでも生きる
「イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。」
(ヨハネ11:25-26)
13. 将来の栄光に変えられる約束がある
「今の時のいろいろの苦しみは、
将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、
取るに足りないものと私は考えます。
(ローマ8:18)
14. 将来の命の約束がある
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、
私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。 (1コリント15:19)
15. 霊魂が新しくされる
「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、
重い永遠の栄光をもたらすからです (Ⅱコリント4:16-18)
16. 不死は福音によって明らかとなった
「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。
(Ⅱテモテ1:10)
17. 死後の将来には報酬や裁きがある
「それから、イエスは、数々の力あるわざの行われた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。
「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行われた力あるわざが、
もしもツロとシドンで行われたのだったら、
彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、
さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。
カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。
ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、
もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。
しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、
さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」
(マタイ11:20-24)
ローマ2:5-11
Ⅱテモテ4:7-8
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