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  • 「赦されて生きる」 ルカ7:36-50

「赦されて生きる」 ルカ7:36-50

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昨年、家内がお渡ししたワシント... 昨年、家内がお渡ししたワシントン州からの種から
こんな立派に成長
「赦されて生きる」 ルカ7:3...

(序論)

人が気付いているかいないかにかかわらず、聖書は次の3つを教えている。

①人は誰でも神からの借金を抱えている
②その借金とは抱えきれないほどの膨大な額である
③よってその借金全額を肩代わりして下さった方がおられる
この事実を知ると知らないとでは、生き方に大きな違いを生む

(本論)

❶パリサイ人と罪深い女との差〜行動の違い
当時ユダヤ社会にあってホストは客人をもてなす3つの通例があった。

⑴足洗い、⑵頭上に香油を垂らす、⑶口づけ

ホストでありながらこれらをあえて省いたパリサイ人シモンに対して、
感動の涙で主の足を濡らした上髪の毛で拭った名のない不道徳の女性。

❷両者の行動の違いを生んだもの〜感謝の違い
50デナリの借金を棒引きしてもらえた者と、500デナリの借金を棒引きされたものとの間には感謝の度合いが異なることをたとえで明白にされた主。

地位、名誉、財産のあるシモンには赦される必要も救いへの渇きもなかったが、
社会的制裁を受け罪が身に染みて自覚できる女性にとって
赦されることの意味は大きかった。

❸主イエスへの信仰体験〜赦しの差
女性はシモンの家に招かれざる客として来る以前に
主のガリラヤ伝道の文脈の中でメシアとしての癒しや奇跡の業、
力あるみことば宣教に接していたと考えられる。

主への信仰が彼女に赦しの体験をすでに与えていたのであった。

「この女の多くの罪は赦されて(原語では完了形)います。
というのは、彼女はよけい愛したから(過去形)からです。」(47節)

(結論)

①神のみが人の負債を帳消しにできる
人が己の功績で救いを勝ち取ろうとするのは思い上がりであろう。

たましいはあまりに高価なゆえ人的手段の贖いは不可能で
人は永久に諦めねばならない(詩篇49:8)

②負債が帳消しとされた根拠
罪のないお方が罪そのものとなって十字架で死を遂げてくださったゆえに
その罪(借金)は肩代わりされたのである。

「私たちを責め立てている債務証書を無効にされた。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘付けにされた」(コロサイ2:14)

③この神の側で終了している御業を認め受け入れるのが信仰
主はすでにその赦しをあの女性に差し出され彼女は受け取ったのである。
貴方は如何に?

#救済

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