政府軍と反体制組織による過激な内戦が繰り広げられているシリア。戦局は日々激しさを増しており、2011年から今までで19万人以上の死者を出している。
そんな混乱の渦中にあるシリアで、紛争で負傷した3歳の男の子が病院に運び込まれた。瀕死状態であった彼は間もなくして息を引き取るのだが、絶えゆく意識の中、冷たくて硬い診察台の上で衝撃的な言葉を口にしたという。
「全部神様に言ってくるから」
シリアで何が行なわれているのか、人々がどのような困難を強いられているのか。紛争で起きた悲惨な出来事を全て神様に話してくるというのだ。彼がどのような景色を見てきたのか定かではないが、子供が拷問により亡くなることもある現地で体験したであろう恐怖は想像に容易い。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/42935986
「大艱難時代後半の3年半③」
マタイ24章29~35節 黙示録19章全節
~マタイ福音書連続講解説教86~
大艱難時代の最終段階は、「ハルバゲドンの戦い」といわれている
イスラエルを抹殺するための反キリストの全世界連合軍との最終戦争です。
唐突ですが、世界平和はどのようにして達成されるのでしょうか?
人間が歩み寄り知恵を結集して、
国際間の協調・協和によってという理想が国際連合の理念にあるようです。
ニューヨークにある国連ビルの石碑には次の聖書の言葉が刻まれています。
「彼らはその剣を鋤に、 その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、 二度と戦いのことを習わない。」(イザヤ 2:4 )
まるで自分たちの努力で平和が達成されるといわんばかりです。
もちろん平和のための努力は必要不可欠で、
その努力自体にはこれまで日本もPKO参加を通じて貢献してきました。
それは評価され、尊重されるべきものです。
ただ、恒久的な世界平和は、
それではやってこないと聖書は告げています。
これまでがそうでした。
今後もその通りです。
先ほどのイザヤ書の言葉には重要なところが抜け落ちています。
「主は国々の間をさばき、 多くの国々の民に、判決を下す。」という文書の後に
「 彼らはその剣を鋤に、 ~」の言葉が続いているのです。
主イエスが王として世界に君臨し、世界の人々に正義と公正とをもたらすまでは
剣を必要としない時代は来ないと聖書は教えます。
イザヤ書の2章のこのところは、
主が地上に再び来られて、
大艱難時代に絶滅の危機にふんしているイスラエルの民を助け、
その後エルサレムから世界中を統治されるという
メシア的王国を預言している箇所です。
このメシア的王国を信じていない人たちは、
キリスト者と言われる人々の中にもおられます。
彼らが聖書の預言するイエスによる世界平和の実現(メシア的王国)を
どのようにして解釈しているかといえば、
キリスト教会の伸展による世界のキリスト教化によるものだというのです。
だいぶ苦し紛れの解釈のようです。
確かに19世紀以降、キリスト教勢力は宣教師の活躍により世界に広まりました。
でもそれが世界に平和を構築することにはつながり得ませんでした。
2度の世界大戦はキリスト教国と言われる欧州から始まったのです。
現在のイスラム原理主義の台頭とその盛んなテロ活動を見ただけで、
キリスト教化による世界平和は絵に描いた餅であるのが誰の目にも明らかではないでしょうか。
いったい彼らがキリスト教に改心するとでもいうのでしょうか?
ではどのようにして、、、?
それは激しい世界大戦の真っ只中で
主イエスが天から再臨され、
反キリスト勢力を殺害されることによってです。
「愛と赦しのイエスが、殺戮ですって??!!!」
多くの人にとり、これは驚くべき預言でしょう。
でも黙示録は明瞭にこれを告げています。
「この方(再臨されたイエスのことです)の口からは諸国の民を打つために、
鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
(黙示録 19:15-16)
2000年前の初臨のとき、イエスは苦難のメシアとして十字架で死なれました。
将来の再臨のときには、
悪に報復される勝利のメシアとして君臨するために来られます。
その世界最終戦争は、
イスラエルを抹殺するために世界中の軍隊がイズレエル平原に結集することから
「ハルマゲドンの戦い」と呼ばれます。
先週学んだ大艱難期後半に起こる「鉢のさばき」の
第6のさばきが、ハルマゲドンの戦いの第1段階に相当します。
第7のさばきが、ハルマゲドンの戦いの最終段階である第8段階です。
興味のある方は、メッセージノートを参照ください。
その全8段階の各ステップを旧約聖書からの引用により順次解説しています。
ところで、日本では先日安部内閣が集団的自衛権を容認する憲法解釈をしました。
護憲派からは憲法改悪だとする反対議論が盛んに沸きあがっています。
「憲法9条があるから戦後70年間、日本は戦争と関わらずに済んできたのであり、
今後も9条は永久不滅の大典であらねばならない」とするのが
中心的な論点のようです。
その論点には「われわれ日本だけが平和で繁栄すれば良い」
とする前提があるのではないでしょうか?
世界は終わりの時代に入り、今後もいよいよ混沌を深め、紛争が続きます。
7年間の大艱難時代の最中には、幾度も世界を巻き込んだ大戦が勃発するのです。
そんな中で9条をどのように死守できると言うのでしょう?
70年前と現在とでは世界情勢は大きく異なります。
憲法の前文には次のような崇高な文書があります。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
日本がどれほどに「崇高な理想」を掲げようとも、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できない時代が来ようとしているのを、
日本のキリスト者として警笛を鳴らすべきではないでしょうか。
自らのイデオロギーに賛同しないものは
容赦なく血祭りにあげるとする現在のイスラム国の凶暴性がその一例でしょう。
そんな他国に「信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
との姿勢のままで今後も良いというのでしょうか?
70年前は日本が他国侵略の加害者だった故の、
その暴走を警戒するゆえに連合国側から立案されて憲法が完成しました。
この先もずっと、その成立段階のままで、
現実の国際情勢に対処できると言えるのでしょうか?
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと
努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
これまでの国際社会はそのようなものであったかもしれないが、
今後の国際社会はいよいよ
「専制と隷従、圧迫と偏狭」へのベクトルが強まっていくのです。
憲法前文は
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、」と続きます。
これは一国平和主義、絶対武装反対に対する反論のように聞こえてきます。
もちろん70年まえに執筆されたときの論旨とは異なるでしょうが。
シリアの内戦、アフガンやイラクでのタリバン勢力の台頭、イスラム国の拡大、、、
その中で数十万人の一般市民が不条理にも虐殺されました。
先日、全身血だらけで病院に搬送された3歳くらいのシリアの男の子が
最期に言い放った言葉を知って衝撃を受けました。
「神様に言ってくるから」
子供でさえも残虐な拷問ののちに殺していく蛮行をどの程度見聞しての事かは
定かでないようです。
ただ、その幼い二つの目はおぞましくも正義が蹂躙されている様子を見たのです。
そして数分後に天国へ行くのを悟り、
そのときに神に告げると、泣きながら言い放ったのでした。
このような不条理が横行しているのが現在の中近東であり、
聖書預言によれば、
その状態が世界中に広まるのが大艱難時代と言われる時なのです。
正義と公正とはどのように樹立されようとしているのですか?
繰り返します。
国連の働きによるものでも、理想的な憲法と平和主義によるものでもありません。
主イエスが再臨され、
全ての悪に報復し、
悪者を自らの手で葬り去ることによります。
「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。
この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
(黙示録19:15-16)
主イエスよ、来て下さい!!
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