「もし神の前にひざまずくなら、誰の面前であろうとも立つことができる」
あるFacebookの神学者達のグループで終末論に関して意見を交換しました。
その続きを紹介します。
(私に対する問いかけ)
高橋様、ご無沙汰しております。
ここであまり微細な説明はできないのですが、
ヨハネ黙示録の「千年」についてだけ一言書かせて下さい。
私もかつて、ここは「千年」とはっきり書いてある以上、千年と読むべきだと教わり、そう考えていましたが、黙示録全体の象徴的な数字の用い方をいろいろ勉強して、その考えをいまは改めています。
いまでも黙示録は私には「閉じられた」書のように感じられ、
よく理解できない部分がたくさんあります。
ただ、例えば11章の二人の証人の預言期間が三年半、12章の龍が女を追い回すのも三年半とありますが、私にはこれが文字通りの三年半とはどうしても思えません。
教会の迫害と神の守り、あるいは証の時代を象徴的に表しているという説のほうがはるかに説得力があります。
ボウカム先生などの本を読まれると(あるいはライトさんのエブリワンなど)新しい読み方に目が開かれると思います。
(私からの応答)
Y様
書き込み をありがとうございました。
「黙示録全体の象徴的な数字の用い方をいろいろ勉強」されたところ、
文字通りの解釈をお改になられたとのこと。
その経緯のほどを機会がございましたらゆっくりと承りたく思いました。
その際に小生がいろいろ勉強してたどり着いているものもシェアしたいと思いますが、
それがいつになることか、甚だ頼りないですので、、、、
僭越とは存じますが、手短にシェアします。
黙示録には象徴的な言葉が溢れていますが、当時のユダヤ人に分からないようなものではございません。多くの場合はすでに旧約聖書の中で象徴的用語として使用されていましたので、その用語も同様に解釈します。
ちなみに旧約聖書預言に言及している黙示録の用語はなんと550もあるとあるメシアニックジューの学者は計上しています。
旧約聖書で用いられていない予言の用語につきましては、それが比喩的で象徴的なものならば必ずと言って良いほどに、その前後のテキストに何を示しているかが指示されています。
ところが、数値においては象徴として用いられたところは一つもありません。
例外的に千年や3年半などが象徴として解釈せねばならない十分な理由も聖書本文からは見出されません。
なお、3年半は、「1260日」とか、「42ヶ月」、「ひと時とふた時と半時」、「1週の間」(この部分のダニエル予言では1日が1年です)という異なる表現で黙示録に随所に出てくることや、ダニエルの予言にもその数値が現れていて、恐ろしいほどに調和を保っています。
終末の千年王国樹立に至る艱難期の予言において、黙示録とダニエル書などを比べて見ますと、両者のプログラム進行プロセスに驚くほどの整合性が発見され、神の霊感を受けた啓示の書として揺るぎない確信を得た次第でした。
そのような終末論を当教会でシリーズにて扱いました。
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew
私はかつて黙示録は、艱難時代も再臨も象徴的な用語に混乱してしまい、誰も確かなことは言えない予言の書なのだと長い間考えておりました。
繰り返しますが、旧約聖書予言の象徴的用語の使用例を参考に紐解くなら、黙示録が何とも親しみやすく分かりやすい書に変わりました。その視点をヘブル的なアプローチであるとしているものでございます。
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