ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
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「千年王国3」
マタイ 24 章 34 節 ~マタイ福音書連続講解説教 90~
イントロダクション
主イエスは千年王国を暗示された。
「まことに、あなたがたに告げます。
これらのことが全部起こってしまうまで は、この時代は過ぎ去りません。 」
(マタイ 24:34 )
現在の「恵みの時代」、
または「奥義としての御国時代」が終わると次に来るのが千年王国である。
その転換点には、イスラエルの回復があることを聖書は預言している。
「こうして、イスラエルはみな救われる」(ローマ11:26)。
これは民族としてのイスラエルがイエスをメシアとして悔い改め、信じることの預言であり、この前提条件が果たされてからイエスの地上再臨が実現する。
それでは、そのイスラエルの救い(回復)とは一体何を意味するのか。
そこにある4つの側面を学んでみよう。
①イスラエルは民族的に新生体験をする
その土台は新しい契約・エレミヤ 31:31~34
シナイ契約(モーセ契約)は、
神とイスラエルが結んだ 5 つの契約の中での唯一の条件付契約であった。
このシナイ契約は律法を守る力までは提供していない。
結果、イスラエルはバビロン捕囚や世界離散の憂き目に遭ったきた。
新しい契約においては、新生によって義なる生活を送ることが可能となる。
肉の、人間的なものではなく、聖霊による信仰生活が始まるからである。
国家的新生を体験したイスラエルは千年王国に入り、
そこでは未信者のユダヤ人は存在しない。
預言の進展・エレミヤ 24:7
~神はイスラエルに神を知る心を与える。
②イスラエルは信者となって約束の国へ帰還する
その土台は土地の契約・申命記 29 章~30:20
イスラエルの背信とそれに結果する約束の地からの追放が預言され、歴史上、実現に至った。
彼らは長期にわたり異邦人社会にて迫害を受けて来た。
しかし約束の土地からの追放は永遠のものではない。
イスラエルは新生した後、世界各地からの帰還するようになる。
預言の進展・イザヤ 11:11~12:6
ここで「再び」とあるが、ヘブル語では「2度目に」という原語となっている。
最終的な帰還は 2 つの帰還のうちの 2 番目のものである。
最初の帰還は不信仰のままでのものであり、
1948年のイスラエル共和国建設から現在までの間に成就している。
それは大艱難時代前に起こり、裁き(艱難時代)への序曲となる帰還である。
最終的な帰還(2度目)はレムナント・信者の帰還であり、千年王国への祝福への序曲となる。
マタイ 24:31によると、天使が最終的帰還の際に活躍する。
それは主の再臨の後に起こる。
③イスラエルの約束の土地の所有
その土台はアブラハム契約・創世記 15:12~21
千年王国でのイスラエルの北の境界線はユーフラテス川。
南の境界線には2つの考え方がある。
「エジプトの川」The River of Egypt 〜常に水が流れる川のことで、ナイルデルタにある東端のナイル川支流のこと。所有権の境界を意味する。
「エジプト川」The Brook of Egypt 〜ワジのことで、シナイ半島中央部にある水なし川。実際の入植の境界線のことであろう。
預言の進展・イザヤ 30:23~26
土地の生産力が増加。月は太陽の光のように、太陽は 7 倍の光を放つ。
肉体的な病が癒される。
④ダビデ王座の回復
その土台はダビデ契約・1 歴代 17:10~14
ダビデの死後、彼から出る子孫によって王国が確立される。
IIサム 7:11~16 は、ソロモンに関する預言
I歴代は、イエス(ナタンの子孫)に関する預言
メシアも神殿を建てる(千年王国期)。その王座は永遠に立つ。
永遠の王朝、王国、王座が保証されているが、その根拠はメシアが王として永遠に君臨されるからである。寿命に限界のある人には永遠の王国保持は不可能。
預言の進展・エレミヤ 23:5~6
ダビデの子孫が王座につく。
その王は神人である。統治の特徴は知恵、公
義、正義である。
結論として、千年王国での統治権について確認しよう。
メシアがダビデの王座に座して世界を統治されるが、
教会時代の聖徒らが、
「キリストとともに、千年の間王となる」(黙示録20:6)と預言されていて、
「キリストとの共同相続人」(ローマ8:17)となることは先週学んだ。
地上の統治権はサタン、人間、サタンと変遷してきて、
最後にメシアが相続することも学んだ。
それでは、その相続・統治権とは、
どういう判断基準で各人に与えられるものなのであろうか。
千年王国における統治権は各人に異なったレベルがある。(ルカ 19:11~26)
この主のたとえ話から分かることは、
その判断となる基準が、
「小さなこと(地上での委託事業)に忠実」であるかどうかである。
さらに、主の姿勢に倣い「仕える者」であったかどうかである。(マルコ 9:35)
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