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  • Eラーニングで学んだ事⑴

Eラーニングで学んだ事⑴

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Eラーニングで学んだ事⑴ Eラーニングで学んだ事⑴ Eラーニングで学んだ事⑴


岩上敬人先生による、Eラーニング講座・
「使徒パウロの足跡をたどるーパウロの手紙を深くじっくり味わうために」

8週間コースが今週で終了しました。
毎週、課題図書を読んで設問に応える課題が出されました。

二つの設問のうち一つを選んで応えます。
それをネット上に投稿しますので、講師と全ての受講者が閲覧することになります。

理解を増すために、講師の岩上先生がその部分を15ー20分ほどにまとめ上げた講義を拝聴。
さらに、地図や年表、図表などを含む文書もアップされていて、私のようなものでも落第しないよう、「これでもか!」と言わんばかりのサポート体制が幾重にも施されていました。

それぞれが他の受講者の提出課題にも最低1回は応答することも義務付けられていて、
議論が深められて行きました。

その週の課題を終えると、
講師による総評がビデオや文書でアップされます。

さらに「講師への質問コーナー」があり、課題とは直接関係のない受講者の問いにも懇切丁寧にお応えいただいて重複的に理解が進んで行きました。

毎週の課題に取り組んで行く中で段々とパウロさんが近しい人に感じられるようになり、
大袈裟に言えば、その息づかいまでが聞こえて来るような感覚です。

8回の課題の中から私が最も有意義な学びであったと感じているものを
お分かちしたいと思います。

それは、「パウロの回心」についてです。
またこれに関連するローマ7章14節以下の「私」についての論考でした。

ヘレニズム的教養人であったパウロが、
当時のギリシャ・ローマ文明の知識人が多用していた修辞学(rhetoric)的な手法

を採用しながらローマ書を執筆しているとの視点は、
聖書解釈において中心軸となるべきコンセプトであると認識しました。

「ユダヤ的視点」による聖書解釈とは、
ローマ書において「ギリシャ・ローマ的視点」と同一のコンセプトであり、

それは聖書が執筆された時点の社会・文化的な文脈を
掘り起こして行く作業であると理解します。

講座での課題とこれに対する私の応答を紹介させていただいて、
その聖書解釈手法の重要性を皆様ともシェアしたく思います。

その前に、その課題のキモとなっている部分を岩上先生の
「パウロの生涯と聖化の神学」から抜粋します。



「さて、ローマ7:7-25の『私(一人称単数・エゴー)』という表現について、
聖書解釈の長い歴史の中で、様々な見解が出されてきた。
『私』とはパウロ自身を指し、パウロ個人の内面の告白であると解釈する。例えば、クリスチャンになる前のユダヤ人としてのパウロであり、キリストを信じない者の心の葛藤を描いているとする。
あるいは、『私』とは信仰をもった後のパウロであり、クリスチャンの心の葛藤を告白しているとする。
次に『私』とは、パウロ自身を指していないという解釈もある。つまりパウロの個人的な内面の告白ではなく、信仰をもっていないユダヤ人を代表している、あるいは肉的なクリスチャンを代表しているなどの解釈もある。
…………………………………(略)…………………………………
ローマ7:14-25を理解するためには、パウロが用いている修辞的技法を知らなければならない。パウロは、ディアトリベ(対話形式)など、その当時使われていた修辞学を駆使してローマ書を執筆しているからである。
7章でパウロが用いている『私』という表現は、当時の勧告的修辞学(deliberative rhetoric)でよく用いられていた「人格体現化」(プロソーポポエイア)という技法であると考えられる。
人格体現化というのは、面を被って他人を演じること、ある人物になり切るという修辞的技法である。つまり7:14-25で、パウロは自分の内面を吐露しているのではなく、『私』という表現を用いて、誰かを演じている。
その人物とは、
アダムであり(7:7-13)、
アダムにある人間である(7:14-25)。
これまで観察してきたように、パウロは6ー8章の中で、一貫して『アダムとアダムにある人間』、『キリストとキリストにある人間』の対比を描いている。
ローマ7章で描かれている『私』とは、アダムにある人間である。
『私(アダムにある人)』は罪の支配の中にいるので、正しく聖なる律法でさえ、私が罪の虜になっている現実しか見せてくれない。
『私は、ほんとうにみじめな人間です』(7:24)という悲痛な叫びは、罪の力に支配されている『アダムにある人』の敗北宣言である。」

《パウロの生涯と聖化の神学 ・ P.209-212から引用》


〜 長くなりましたので、次回に続きます。〜

#救済

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