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ディスペンセイションとは何であるのか

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ディスペンセイションとは何であ...


引き続いてある読書会で交わした神学のお話です。
連載は「救済」タグから読めます。

(K様の投稿)

山崎先生の記事
http://1co1312.wordpress.com/2014/11/30/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%8B%EF%BC%8810%EF%BC%89/

この記事でよりディスペンに関わるな、と思うところは

使徒行伝20章で、・・・、彼は人々に「神のご計画の全体」をあますところなく伝えたと言いました(25節、新改訳)。

「神のご計画の全体」とは何でしょうか?前後の文脈からすると、その内容は福音(24節)と同義であり、罪の悔い改めとイエスに対する信仰(21節)を含んでいますが、それにとどまらず、より広い神の国のメッセージ(25節)を意味していると思われます。

パウロが神のご計画の全体を伝えたという時、3年もの間来る日も来る日も「主イエスを信ずれば罪が赦されて永遠のいのちが与えられる」というメッセージを繰り返していたわけではないと思います。そうではなく、彼は聖書の全体から、人類の歴史における神のご計画の展開について教え、エペソのクリスチャンたちがその中で今どのような段階に生きており、やがて来る終末への希望を持ちつつどのように生きていくべきかを詳しく語り聞かせていたに違いないのです。

「神のご計画の全体」は「聖書をより包括的に読み解くパラダイム」を考える上で、新約聖書自体にあるコンセプトとしても大事なキーワードになると思いますがいかがでしょう。

しかも山崎先生が「福音」と関連付けられて追跡しているように、新約聖書という文書が成立する前に既に定型化・体系化されていた(後に)「信仰の規範」と呼ばれるようになる「使徒伝承」の枠組みでその内容が追跡されるのが相応しいと思います。

(これは多少マクナイトの「福音の再発見」のステマです。まだご購入頂いていない方がおりましたら、このようなラインの思索を助ける一助と思いますので推薦させて頂きます。)



(高橋の投稿)

K様

「使徒たちは〜」のブログのご紹介とアドバイス、ありがとうございました。
6つほどのエントリーを拝読い、大変参考になることがわかりました。今後もシリーズ最後まで注視して行きたいです。

そうなんです。私がフルク氏に感動したのは「神のご計画の全体」像を創世記から掘り起こし、黙示録に至るまで一つのナレーティブとしてパラダイム化している点にあります。その統合された世界観の元に、時代の進展と共に神の契約が漸進的に更新して行く点に注目した概念がディスペンセイションと呼ばれているもののようです。

学者によっては、ディスペンセイション移行期に非連続性をイメージしている方がおられるようですが、私には一つの物語の中で、スムーズに次なる時代区分にステップアップしているように捉えられています。

サタンの誘惑で失ったエデンの園の祝福が人間に回復する約束が実現するのが千年王国。

天地創造(創世記1:1)後に、サタンの堕落によって茫漠として空虚な世界となった世界(創世記1:2)に、新天新地を回復する約束で黙示録は閉じられています。
#救済

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